吐き気を催すヒトの殻
西順
第1話 心中の何か
アパートの隣室から女の笑い声が聴こえる。きっと俺を笑っているに違いない。
最近、笑い声を聴く度に吐き気を催すようになってきた。
隣室で女が笑っている。仕事場で同僚が笑っている。テレビで芸人が笑っている。皆が俺を笑っている。
掛かり付けの精神科医に相談したが、「気にし過ぎです」と薬の量を増やされただけだ。きっとあの精神科医も陰で俺を笑っている。
お前らのせいでこんなにも苦しんでいるのに、なんでこいつらは笑っていられるんだ?
隣室の壁を蹴飛ばしてやったら、翌日女の彼氏が仕返しにきた。
土下座した俺を見下して、二人は俺を笑っていた。
同僚が仕事をサボっていたから注意をしたら、上司に告げ口されて、俺がサボっていた事にされた。陰で同僚が笑っていた。
気持ちが悪い。吐き気がする。俺は上司の小言の最中にも関わらず、トイレに駆け込み、胃の中のモノを吐き出した。
抱えた便器の中では、まるで栄養ドリンクのような色をした胃液が、俺を笑っていた。
何だか身体がジクジクする。俺はそのまま仕事場を抜け出し家路に着いた。
スマホの着信が煩わしかったので、途中の川に投げ捨ててやったら、心が少しスッキリした。
それでも皆が笑っている。
行き交う人たちと道ですれ違う。俺の横を通り過ぎた奴らが、俺の後ろで笑っている。
何が可笑しいんだ? 何がおかしいんだ? 目に映る人たちは気持ちの悪い笑い袋だ。俺は笑い袋にはなれなかった不良品だ。
俺の心の中の何かが、俺と言う人型の殻を破り捨てて這い出てこようとしているのを、俺の人型の殻はもう押し留めておけはしなかった。
隣室の呼鈴を鳴らす。
間抜けな女は何の疑いもせずに玄関のドアを開けた。
俺の姿を見るなり悲鳴を上げようとする女の喉に、包丁を一突きしてやった。
それで、それだけで声の出なくなった女は仰向けにひっくり返って死に絶えた。まるで死んだカナブンみたいに無様だった。
でも、何かがおかしい。人間、死んだら血がドバドバ出るものなんじゃないのか?
不思議に思った俺は、女の腹を包丁で引き裂いた。
血はまるで出なかった。
血がないどころの話ではない。中身が無かったのだ。
あったのは人の形をした殻だけで、まるで蝉の脱け殻の如く中身はすっからかんだった。
そして腑に落ちた。
人とは俺の中身のような何かであり、外の殻は人ではないのだ。
人はいつの間にか外の殻に捕食され、その内側に囚われた人はジクジクと溶かされて、いずれ消えてしまうのだ。
解放してやらなければ!
俺は包丁を持って駆け出した。
人通りの多い駅前にやって来た俺は、包丁で手当たり次第に目に付いた人の殻をした何かを斬りつけていく。
殻に囚われた人間を解放する為に、俺は斬り続けたが、皆既に中身を溶かされてしまった後のようで、殻の中身は空だった。
そして必死になって解放しようとする俺を、いつの間にか警官、いや警官のような何かが拳銃を俺に突き付けて取り囲んでいた。
更にその周りを野次馬が取り囲み、皆が俺を指差して笑っている。
笑うな!
俺は包丁を振りかざし、人型の殻をした何かに突っ込んでいく。
が、それは警官のような何かが一斉に発砲した拳銃の銃弾によって阻まれてしまった。
倒れ伏す俺の腹がモゾモゾする。何かが這い出ようとしているだ。
その手助けをする為に、俺は自分の腹を切り裂いた。
中にいたのは、到底人とは思えない、一匹のナメクジだった。
吐き気を催すヒトの殻 西順 @nisijun624
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