カプチーノ

水縹 こはる

カプチーノ


 もう何度目かの沈黙に、僕の心はカップの底のブラウンシュガーよろしく沈んでいた。

 おかしい、こんなはずではなかったのに。


 そもそもデートの時はいつも可愛いスカート姿だった彼女が、Tシャツとジーンズにちょっと肌寒いからカーディガンでも羽織っておくかというような格好で現れた時点で嫌な予感はしていた。対する僕はお気に入りのジャケット・セットアップに糊のきいたYシャツ、誰がどう見ても「キメて来た男」だ。

 だって舞い上がるだろう、半年前に別れた彼女に未練がましく「今度会って話せませんか?」と送った返事が「私も会いたいと思っていました。いつもの喫茶店で会いましょう」だったら。そりゃあ仕方ないだろう、「いつもの喫茶店」が初デートの思い出の場所だったら。鏡の前でファッションショーが始まったって許してほしい。

「いつもの喫茶店」は、彼女がコーヒー好きだと聞いて僕がうんうんと、うなりながら選んだ場所だ。だって僕はコーヒーが苦手だから、店の良し悪しなんてわからなかったから。だけど彼女はそこをとても気に入ってくれて、何度も一緒に通ったし、彼女に合わせてコーヒーを飲むのは少し辛かったけど。わざわざそこを再開の場に選んでくれたことが嬉しかった。

 てっきり彼女も、僕との再会を喜んでくれていると思っていた。だが実際の彼女は僕の前に現れて「久しぶり」と言ったきりなんだか曖昧に微笑み続けているだけだ。僕はそれに動揺してどうでもいいことばかりべらべら喋って、沈黙の度にすすったコーヒーはこれで三杯目だ。口に広がる苦みに思わず涙が滲んでしまいそうになる。


「それで、えっと…」


 半年分のどうでもいい話題もそろそろ底をついて、なんだか悲しいやら情けないやらですっかり勇気を失った僕は、「やっぱりこの気持ちは僕の一方通行だったのかな」なんて思って、


「じゃあ、そろそろ」

 帰る?と尋ねる前に彼女がふぅーっと長い息を吐いた。


「話したいことって、何だったの?」

 核心を突いた彼女の言葉に、思わず息が詰まる。


「それは…」

 今日はそれを話すつもりだったのに。いざ話そうとなると口がうまく動いてくれない。それにこんな状況だ、きっと振られておしまいだ、そんな気がする。一瞬で色々なネガティブな感情が胸に渦巻いたが、彼女の妙に凪いだ瞳と見つめあうと不思議と言葉がこぼれ落ちた。


「二人で話して、二人のためにと思って別れたけど、でもやっぱり君のことずっと好きだった。忘れられなかった。だから、もう一度…僕と付き合ってくれませんか」


 僕のその言葉を聞くと、彼女は不意に僕のコーヒーカップを奪って一気に中身を飲み干して、

「ふー、まずぅ」

 と少し照れくさそうに笑った。それは見たことのない彼女で、僕はどうしようもなくどきりとした。

「じゃあ、行こっか」

 どこへ?

 そう聞く間もなく、彼女が足早に店を出て行こうとするのを見て、慌てて会計を済ませ、後を追いかけた。


 彼女に連れられるままやって来たのは、なんてことないラーメン屋だった。急なことに混乱したままの僕はぼさっとして、彼女が食券を二枚買って店主のおじさんに「おねがいしまーす」なんて言いながら渡すところを眺めていた。

 席について水を飲むと、彼女は一瞬言葉を探すようなふりをして、

「私ね、あのコーヒー嫌いだったんだ、全然おいしくないし。それに君、ホントはコーヒー嫌いだよね?」

 と衝撃的な言葉を言い放ってくれた。


「君のそういうところ嫌いだった。私のためって遠慮して自分を犠牲にしすぎちゃうところ。」

 彼女は困ったように笑っている。

「私も…おいしくもないのにおいしいって言っちゃったり、無理して可愛い格好したり…そうやって雁字搦めになってっちゃってね。だから二人のために別れるっていうの、何も間違いじゃなかったと思うの」

 すっと肝が冷える。これから言われる言葉がこわい。


「でもね」


 そんな僕の顔をみて、彼女はいたずらが成功した少女のように微笑んだ。


「私もずっと君のこと忘れられなかったよ。ずっと好きなままだった。何をしてても、何をみても、何を食べても、ふとした瞬間に君のこと思い出しちゃうの。だからあの日から今日まで、どうしたら私たちうまくやれたんだろうって考えてた。それで今日…あ」

 彼女の言葉に夢中で聞き入っていた僕の意識は、二人分のラーメンを運んできた店主によって引き戻された。

 どこにでもありそうな無骨な醬油ラーメン。

「私、このラーメン大好きなの!」


 そう言って嬉しそうに笑う彼女に、以前の彼女ならちょっと似合わないな…なんて思ったかもしれないけれど、Tシャツにジーンズで待ちきれないとばかりに割り箸を割る彼女には妙によく似合っていて、思わず笑みがこぼれた。


「はやく食べないと冷めちゃうよ」


 彼女の言葉はラーメンに遮られてしまったけれど、聞かなくてもわかる。大丈夫だ。

「んー、おいしいー!」

 幸せそうにラーメンをすする彼女は、今まで知っていた彼女と全然違ったけれど、今まで知っていたどの彼女よりも、とびきりいとおしかったから。

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カプチーノ 水縹 こはる @mihanada

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