一章 サリマン・キーガン──兵隊さんごっこ(5)
5
アルマンが家で泣く母と小さな妹を抱き締めていた頃、アルマンと別れ、町の入り口にある小さな役所を訪ねたキャスケットは、受付嬢に「姉さん、公衆無線機を貸してもらえないか」と帽子の鍔を押し上げた。
妙齢の受付嬢はしばし目をぱちくりとさせたが、すぐに「ああはい、無線機ですね。そちらをお使いください」とカウンター脇にある大きな背負い鞄サイズの無線機を指した。キャスケットは疲れたような掠れた声で「どうも」と言った。
「……兵隊さん、軍都生まれ?」
「ん……いや、生まれは南部だ」
「そう……? 年上の人を兄さん姉さんって呼ぶのは軍都のお方だけだと思ってたけど」
「ああ、オレの上官がそれだった。移ってしまったんだな」
受付嬢と会話をしながらも、キャスケットは無線機にカチカチと番号を打ち込んでいく。そうして数秒、受話器を手に取り耳に当てた。
《はい、こちらペリドット陸軍第一師団遺品返還部》
朗々とした若い兵士の声に、キャスケットも聞き取りやすさを心がけ咳を払う。
「こちらキャスケット上等兵。任務の終了を報告致します」
《……報告開始了解、ナンバー及び帰宅者と授受者の名前を》
「ナンバー十、帰宅者サリマン・キーガン、授受者そのきょうだいアルマン・キーガン」
《了解、ご苦労。……キャスケット上等兵》
「はい?」
《傍でベーゼ軍曹が代わるよう言っているのだが……》
相手の言い辛そうな声色に、それまで淡々と報告を行っていたキャスケットの顔が微妙に
「あー……汽車の時間があるんで、私はもう行かなくてはいけないとお伝えください」
《勘弁してくれ、目の前に本人いるんだぞ。この人じゃあ虚偽罪で本当に営倉に送りそうだ。代わるからな》
「あ、ちょっと」
抗議
《キャスケット、私だベーゼだ。任務はどうだった?》
ベーゼ──コンスタンティン・フリッツ・ベーゼ軍曹。先の防衛戦争でキャスケットの直属の上官だった男だ。
──この時間ならいないと思ったんだが……。
溜め息を吞み込む。
「別に、十人目にもなればもう慣れましたよ」
《そうかそうか、それならばいい。檸檬ジュースは奢れたかね?》
「はあ」
《キーガンはお前の同期だったし、話すことが多かったろう。お前は口下手だからなぁ、困らせなかったか?》
「……思い出を語れば、オレの主観が混じります。オレはあったことをそのまま話しただけです」
舌に油でも塗ったように喋るベーゼに対し、キャスケットは相手が上官であるにも
と──
《それでキャスケット上等兵、お前今日は何人撃ち殺したんだ?》
不意に、ベーゼがそんな物騒なことを訊いてきた。キャスケットは一瞬言葉を詰めたが、辛うじて取り乱すことなく息を吐く。
「……殺してませんよ」
ちらり、視線を転じさせる。
「軍曹、もう戦争は終わってるんですから」
《ん……そうか、そうだったな。つい癖で》
「直してくださいよそんな癖」
《善処しよう》
話題が途切れた。キャスケットは、サリマンの手紙を思い出した。血と油と煤に塗れた用紙。その姿が自分の胸元に入っている一通の手紙と重なった。端に焦げ跡がついた、かつて自分が受け取った手紙──。
一つ息を吸うと、キャスケットは「あの」と続ける。
「軍曹は……、あの日の、焼却炉の、こと……」
聞き取れなかったようで、相手が訊き返すように喉を鳴らした。キャスケットは迷うように口籠ると、「いえ、なんでもありません」と視線を伏せた。それから失礼します、と受話器を置こうとしたが、ベーゼが《ああそれと》と続けた。
《アルマン──だったか。そんな名前のキーガン家の次男がいるはずなんだが》
「……それがどうしたんです?」
《徴兵がかかった際その子も呼ばれたはずなんだが、母親が
ベーゼは
それも悪い癖だ──キャスケットはしばし考え目を伏せた。
「さあ、わかりません。オレと同い年くらいのきょうだいはいましたが、中性的な奴で、男にも女にも見えましたよ。……どっちでもいいんじゃないですか」
投げやりにも聞こえる風に言えば、ベーゼはまたそうかそうか、と受話器の向こうで頷いた。
通信を終え、キャスケットは受付嬢に礼としていくらか金銭を渡し役所を出た。「別にいいですよ、兵隊さん」という彼女に「長電話だったから」と軽く手の平を翻した。
軍服の上からでも機能的に鍛えられたとわかる筋肉質な体軀、病人のように青白い顔色と生気を感じ取るのが難しい乏しい表情。枕元や暗い夜道に立たれたら、それを見た百人中百人が間違いなく「あ、出ちゃった」とか「げ、見えちゃった」と思うだろう。しかし二つ並んだ蜂蜜色の瞳だけが妙に多弁で、それだけが生者である証明のようになっているのが印象的だった。
そんな兵士だから、受付嬢は彼が去った後でもしばらく彼のことを考えていた。田舎の役所の受付なんていう暇な仕事だったからかもしれない。話した内容をなんとなしに復唱し、ふと、ある一つの事実に気付いた。
「……南部、って」
森に覆われた父国ペリドット、その端の端。多数の狩猟民族から成り立ったこの国の中でも、とりわけ高い身体能力を持つ一族が腰を下ろしていた地域。そこは数年前、隣国であり敵国スモークォに開戦の
帰る故郷がないから、あの仕事をしているのだろうか。敵国の攻撃機同様に『死神』と呼ばれ、忌み嫌われる仕事を──。
兵役を終えたであろう年齢の
軍事国家として成り立つこの国──ペリドット帝国の陸軍には、戦後に設置されたという変わった後方支援部が存在した。
名を『遺品返還部』。字の通り、死亡した兵士の遺品や遺言をその宛先へ送り届けることを役目とする部である。
しかしその部に所属する兵士が訪れるということはつまり、出兵した家族や友人が死んだことを意味する。故に青い鞄を背負った遺品返還部の兵は『死神』と呼ばれ、複雑な感情を向けられた。
伸び放題の雑草。きっと戦時中自分たちの兵糧の素にもなっただろう麦畑が脇にずぅっと続く田舎道を、役所を後にしたキャスケットはゆっくり歩いていた。
手元にある、やたら絵や図の多い青い手帳には、次に向かう授受者の所在地が書かれている。
「北部都市『
『金猫』といえば首都や軍都を中心に点在する花街の中でも特に栄えている特殊商業都市だ。キャスケットもそっちに任務があった際、上官に連れられて何度か行ったことがある。迷うことはなさそうだ。
一枚の認識票と、一枚の手紙と、一欠片の骨の分だけ軽くなった鞄を肩に負い直す。
死んだ人間の関係者に、死神のように「死にました」と伝えるこの任務ももう十回目で、授受者との関わり方も心得てきた。
「……」
けれど
それがどれだけ無意味でどれだけ無意義なことでも、キャスケットが一人の人間で、そして自分も同じような状況で死んだかもしれないという可能性があった限り、その考えを止めることは出来なかった。
今こうして『帰った』彼らは死の間際、なにを感じたのだろうなどという、
──やはり無意味で無意義な、ありふれた疑問。
【一章 サリマン・キーガン──兵隊さんごっこ/了】
=====
次回「二章 ノル・リセーニュ──晴天心中」は4月11日(土)更新予定。
そして、遺骸が嘶く―死者たちの手紙― 酒場御行/メディアワークス文庫 @mwbunko
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