お義母さんとプリン

夕辺歩

第1話 プリン

 私が風邪を引くと、ママはいつも大好きなプリンを作ってくれたっけ。

 寝ている私を覗き込むママ。

 お粥を食べさせてくれるママ。

 汗ばんだ身体を拭ってくれるママ。

 おでこの濡れタオルを替えてくれるママ。


「ママ……」


 涙で天井がにじんだ。

 近付いてくる足音に、私はあわてて目元をぬぐった。ノックもなしにドアが開いた。


由香ゆかちゃん、食器洗剤ってこれ?」

「あ、それは食洗機用です。スポンジ用は赤いボトルの」

「ああ、あっち」

「あの、お義母かあさん、私やりますから」

「いいから寝てて! 玉ちゃんのためにも、ね?」


 夫の康介こうすけと同じ太い眉をひそめて、お義母さんは私をベッドに押し留めた。

 少しすると、キッチンの方から食器を洗うやかましい音が聞こえてきた。

 私は溜息をついた。『玉ちゃん』がまたお腹を強く蹴った。


 お義母さんから電話があったのは、心配顔の康介が仕事に出かけてすぐだった。『康介から電話で聞いたんだけど風邪ひいたの? つらいの?』うっかり『はい少し』と答えたのが運の尽き。強引に押しかけられて今に至る。

 私はお義母さんが苦手だ。とにかくガサツで騒々しい。二年前に癌で死んだうちのママとは大違い。

 結構ですと言うのに始めた洗濯ではネットを使おうとさえしなかったし、家具やフローリングを傷付けずには掃除機をかけられないし、ゴミの分別は呆れるほどいい加減だし、挙げ句の果てに『玉ちゃん』なんていう妙な胎児ネームで私のお腹の子を呼ぶし。

 義理とはいえ家族なのにちっとも理解できない。分かり合える所が一つもない。無神経な振る舞いの数々に、風邪で弱った私の心と身体はもう限界だった。今ほどママのプリンが恋しい時はなかった。


 突然、食器の割れる音がした。

 少しするとまたドアが開いて、しょんぼりしたお義母さんが顔を覗かせた。


「由香ちゃん……」

「大丈夫でしたか。コップか何かですか?」

「お皿。ごめんね、私、不器用で」

「いいです別に」


 自分でもそうと分かるくらい硬い声が出た。

 まずい、と心のどこかで思いながらも、私は私を止められなかった。


「お義母さん、本当に今日はもう結構です」

「あ、駄目よ安静に」


 上掛けをめくって起き上がろうとする私にお義母さんが駆け寄ってきた。


「ちょっと由香ちゃん」

「平気ですから」


 起きる起きないの押し問答になりかけた時だった。突然の鋭い痛み。大きくお腹が動いて、私は思い切り顔をしかめた。

 お義母さんが真っ青になった。


陣痛じんつう⁉︎」


 私は首を振った。

 違う。多分そうじゃない。

 これは普段感じるのと変わらない痛みだ。


「……この頃いつも、こうなんです。……この子、すごく元気みたいで」

「ああ、康介と一緒。あの子もよく動いた」


 そうつぶやくお義母さんは、どうしてだろう、痛みをこらえる顔だった。目に涙さえ浮かべていた。


「私もね、お腹に康介がいる時、今の由香ちゃんみたいに、ひどく体調崩したの。その時はどうしても一人で耐えるしかなくて、薬も飲めないし、すごくすごく、すごく辛かったの」

「お義母さん……」


 少しずつ少しずつ、痛みが引いていく。

 張った感じがすっかりなくなる頃には、私の胸に居座っていたイライラやモヤモヤはほとんど消えていた。お義母さんと二人、ホッとして笑い合った。


「よし。夕飯の買い出しに行ってこよう」


 目元を拭って、お義母さんが元気よく立ち上がった。


「甘い物も買っちゃおうかな。プリンとか。私プリンが一番好き。由香ちゃんは?」

「あ、私もです」


 聞かれて、つい声が高くなった。

 何だ、と思った。

 ちゃんとあるじゃない。分かり合える所。

 玉ちゃんがまた、今度は少し軽く、お腹を蹴った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お義母さんとプリン 夕辺歩 @ayumu_yube

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ