信号から骨の豚の手を引いて
塚野 夜行
信号から骨の豚の手を引いて
初めて娘が何かを見たのは、十一月の昼下がりだった。
徒歩数十分ほどのスーパーからの買い物帰り。娘とその母と言える人が横断歩道で信号待ちをしているときのこと。
「おさとう」
娘は横断歩道の真ん中を真っ直ぐ指さした。
母は聞いていたのかどうか分からない。虚を見ながら、今夜の献立でも考えていたのだろう。
「おさとう」
娘は繰り返した。今度は聞こえた母は、
「何もないですよー」
青信号になったので、娘の手を引いて歩き出した。
娘の片手がガムテープなどが入った袋で塞がっていたので、この日は何もなかった。
ある日、また同じ横断歩道で信号待ちをしていたとき。
「ジャム」
娘はまた中央を示しながら言った。
「イチゴのジャム」
「何もありませんよー」
母は娘に寄り添うように答えた。
娘は翌朝からパンにはマーガリンしか塗らなくなった。
「お母さん」
後日、今度はそのようなことを言いながら横断歩道の白線を指さす娘。
「お母さんはここにいますよー」
「おかあさん」
母はつないだ手を小さく振って応えるが、娘は頑なに繋いでいないほうの手で車が通り過ぎていく道を指し続ける。まるで何かがそこに横たわっているように。
母の目には何もいる様子はなかった。車の影と見間違えたのだろうか。
しかしなぜ、母と見間違えたのか。
「おかあさん、お母さん、おかあさん、お母さん、おかあさん――」
娘は呼びかけるようにくり返す。
歩き疲れたのだろうか、帰ったら添い寝してお昼寝をしよう。久しぶりに、日の当たる暖かい部屋で。
信号が「進め」と命令する。
母は娘の手を引いて歩き出した。以外にも娘は抵抗する様子もなく、すんなりと母に続いた。
――よかった。結局なんでもなかったようね。
少し心配になっていた母が渡りきってから娘を見ると、彼女の繋いでいないほうの手が不自然に上へ曲げられていた。まるで誰かに手を引かれているようだった。
「……誰とお手てつないでいるのかな?」
思わず尋ねてしまった母を、娘は光を飲み込んでしまいそうな黒い目に映して答えた。
「おかあさん」
誰にも見えない三本目の影がそこにあった。
娘は信号から骨の豚の手を引いてきたのだ。
信号から骨の豚の手を引いて 塚野 夜行 @yuzuhuri
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