収穫
緋那真意
202X年8月某日
今年の夏は猛暑だった。太陽はギラギラと照りつけ、外にただ居るだけで汗が噴き出してくる。
朝の十時は暑さのピークではないが、日差しの強さは既に十分すぎるほど強かった。
「まったくもう、暑いわねぇ!」
「止めましょうよ先輩、余計に暑くなりますよ」
暑さにいら立つ
ここは、街の郊外にある市民農園の一角。
とある大学の農業サークルに所属している二人は、サークルで借りている畑に植えている作物の水やりに来ていた。
本来、夏場の水やりは朝早くに行うのが通例なのだが、今日はたまたま明美がほとんど徹夜に近い就寝時間であったために朝寝坊をしてしまい予定の時間に行くことが出来なかったため、とにかく可能な限り早く行けるタイミングで行こうということになり、結果が十時だったわけである。
「大体、暑いのが嫌ならちゃんと朝来れば良かったんですよ」
「しょうがないでしょ。ちょっと手の離せない用事があったんだから」
「この夏休みに手の離せない用事ですか……。まぁ、僕には分かりかねますけどね」
隆則がやや皮肉を込めたような調子で言うと、明美は眉を吊り上げた。
「何よ美須々? 何か言いたいことでもあるの?」
「いえ、別に。それよりさっさと用事を済ませちゃいましょう」
隆則は明美の抗議を物ともせずに軽く受け流すと、さっさと両手に車に積んできたじょうろを持つと、水場に水を汲みに歩き出した。
「……ったくもう! あいつはいつもいつもああなんだから!」
抗議をあっけなく無視された明美はなおもぶつぶつ文句を垂れながらも、自分も片手にじょうろを持って水場の方へと歩き出した。
この市民農園には上下水道ともに通ってはいないものの、農園の敷地のすぐ脇に農業用の水路が通っていて、農園の利用者はそこから水を汲んで作物を育てている。
用水路の水量は夏でも豊富で、この猛暑の中にあっても水温は涼やかなままだった。
「いや~、相変わらず気持ちいいわねぇ」
じょうろで水を汲みつつ、手を水に浸した明美が生き返ったような声を上げた。
「それには同意です。夏場のここは本当に涼しくて気持ちがいいですね」
両手に水が満杯のじょうろを持った隆則があいづちを打った。
「暑いのはイヤだけど、暑いからこそひんやりとした水が気持ちいいって話もあるから、結構複雑よね?」
「その辺はどうなんでしょうね? まぁ、夏ならではの楽しみを冬にやってもそれほど楽しくないわけですし、その逆も然りなわけですから、深く考えないほうが良いとは思いますよ」
「そういうものかしらね」
その意見に明美は首をひねった。納得できるような、できないような、喉元に小さな魚の小骨が引っ掛かったときのような気分だった。
「そういうものですよ。さ、名残惜しいですけど早く済ませちゃましょう」
「はいはい、わかってるわよ」
隆則に促されて、明美も水場から離れて彼らの畑へと向かった。
明美と隆則が入っている農業サークルでは、春から秋まで様々な野菜を育てている。
今の時期に育てているのはもちろん夏野菜で、なす、きゅうり、ミニトマトなどの苗を六月頃から植えて育ててきた。
梅雨が終わった後は連日晴天が続いて生育も順調に進んでおり、特にきゅうりは連日のように収穫が出ていた。ミニトマトもあと少しで最盛期に入る。
ちなみに収穫物に関してはサークルメンバーの共有物であるが、夏休みの間に採れたものに関しては保管の問題もありそれぞれの裁量に任されている。
「サークルメンバーが交代で毎日まめに水やりをしている成果かしらね」
きゅうりの苗の根本に水をやりつつ明美が言った。
「ですね。農業って、結局こういう地道な作業の積み重ねなのでしょうね」
畑の区画内のあちこちに生えてきている雑草を根こそぎ引っこ抜きつつ隆則も返した。
「まぁね、私たちは所詮農学生でもないアマチュアだけれど、本物の農家さんは、もっとがっちり作物の生育を管理しているみたいね」
「でしょうね。自分で育ててみてわかりましたけど、スーパーで売られているような立派な野菜というものは一朝一夕にはできないんですよね」
明美の言葉に隆則は自戒するかのようにつぶやくと、明美もうなずいた。
「そうよね。私もこのサークルに入った当初は甘く見ていたけど、いや育ててみるといかに自分が甘かったかを思い知らされた感じがするわ」
「先輩は今でも若干甘く見ているきらいがありそうですけれどね」
「うるさいわね! 一言多いのよあんたは!」
いいところで要らないことを言ってくる隆則を明美が怒鳴りつけた。
「先輩こそ僕の言うことに過剰反応しすぎです。もっとおしとやかにお願いします」
「ああん? どの口がそんなセリフを吐くわけ」
「この口です。それと僕は先輩ほど口は悪くありませんので」
「なんですって!」
「先輩、冷静にお願いします。こんなところでムキにならないでください」
「先にあたしの言ってることにケチをつけたのはあんたでしょうが!」
「僕は僕の見立てを言っただけです」
「あんたのその意見が、どれだけ人をいら立たせているか分かってるわけ?」
「それは僕の意見に先輩自身が思い当たる節があるからではないですか?」
隆則の冷静な切り返しを受けて、さすがの明美も小さく「うっ!」とうめいた。
「そ、それは……。その、気付いたことをあえて言わないという選択肢はないの?」
「あいにく口がよく回るものですから、意識したらしゃべってしまうんですよ」
全く悪びれもなくしゃあしゃあと言い放つ隆則に、明美はどんどん気勢を削がれていってしまった。
「……あんたは本当に口が達者よね」
「別におしゃべりが好きなわけでもありませんけれどね」
何とか一矢報いようと明美が言った皮肉も意に介さず、抜いた雑草を丁寧にゴミ袋に片付けながら隆則は言うと、明美の方に歩み寄ってきた。
「じゃあ何よ。私の前でだけは特別ってこと?」
「少なくともこうしていると退屈はしませんね」
「あたしはあんたの退屈しのぎのためにいるんじゃないのよ」
無駄だろうと思いつつも明美は最後の抵抗を試みた。
「先輩こそどうなんです? 僕といると退屈ですか?」
「……たまにこうやって腹は立つけど、退屈はしないわね」
「それならそれでいいじゃないですか。それでおあいこですよ」
隆則が妙にさわやかな笑顔でそう語りかけてくるのを見て、明美は心の中で深くため息をついた。この妙な後輩と知り合って一年と数か月余り、この手の言い争いで勝てたためしがない。
「はいはいはいはい、分かったわよ。そんなことよりそろそろ戻りましょ。今日もきゅうりとミニトマトが豊作よ」
「いいですね、よく冷えたビールが欲しくなります」
「あんたはドライバーなんだから遠慮なさい」
「冗談ですよ」
二人はそんなことを言い合いながら、収穫物やじょうろなどを手にもってそばに駐車してある車へと戻っていった。
空の上にある太陽はまだまだ熱く輝いている。暑い、そして熱い夏はまだまだ続いていく……。
収穫 緋那真意 @firry
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