恋って、心臓を銃で狙い撃つようなものだと思う

潮風凛

これは、確かに恋だった

 恋って、自分の心臓を銃で狙い撃つようなものだと思う。

 私は、操られるように自分の心臓に銃口を向けて引き金を引く。パンって軽い音じゃなくて、ドンという重い音を立てて薬莢が炸裂する。飛び出した銃弾が、鈍い痛みと共に心臓を穿つ。傷ついた心臓から、ドロッと大切な何かが溢れてもう戻らない。代わりにぽっかりと穴があくのだ。


 ――小さく、深く、貴女しか入ることができない穴が。


 だから、私は貴女をこうして狙っているのだろう。敵だからでもライバルだからでもない。ただ貴女が欲しいから、誰よりも執拗に狙い続ける。空いた穴を埋めるために。貴女の心臓を手に入れるために。


 *


 とある時代。とある国で。気が遠くなるほど長い間、幾つかの小さな組織が小競り合いをしている場所があった。

 どうして私の所属している組織が戦闘をしているのか、私は知らない。もしかしたらとても御大層な理由があったのかもしれないけど、多分もう上官も忘れていると思う。私個人にも、組織に所属して戦闘に参加していることに特に理由はない。私がそう作られ命令されたから、そうしているだけだ。

 私は人間ではない。戦闘のことにだけは頭が回るこの国は、その効率化のために人間の代理で戦う戦闘用の人形を作り出した。それが私達。

 見た目は人間と遜色ない。戦闘に特化した身体能力を持つ躰は、それでも外観だけみれば白く滑らかな少女の肌にしか見えない。「私達」同士ならともかく、人間が区別して認識するのは不可能だと思う。だが、私達には人間と決定的に異なる部分があった。脳が存在しないのだ。

 私達の頭に、脳と呼ばれるものは入っていない。戦闘人形の開発に携わった研究者達は、身体能力向上のためにそんな重たいものを頭に入れることを拒否した。代わりに、特別製の心臓を人形の胸に埋め込んだ。

 その心臓がどういう仕組みで動いているのか、研究者ではない私は知らない。ただ、この小さな心臓だけが「私」と他の人形を区別していることだけは知っている。私個人としての自意識も、偽りの感情も胸元で作り物の生を謳い続ける心臓が生み出したものだ。

 そんな私が私であるという唯一の証に自ら穴をあけて、私は貴女に恋をした。


「こら、ぼさっとしない! そろそろ戦闘始まるよ」


 先輩にあたる組織の女性兵が、物思いに耽っていた私に激を飛ばす。赤毛に切れ長の瑠璃ラピスラズリの瞳を持つ彼女も、私と同じ戦闘人形だ。もうずっと長い間戦場に立ち続け、しぶとく生き残ってきたらしい。

 私は慌てて近くの岩に片膝を立てた状態で隠れ、両手で構えたスナイパーライフルのスコープで敵対組織の様子を覗き見た。じりじりと肌を焼く荒野の太陽。息の詰まるような戦場の緊張感。慎重に相手の出方を窺っていた私は、十字に線が入ったレンズに突然映った貴女を見て思わず心臓が跳ね上がるのを感じた。

 雑然とした戦場であったとしても、貴女の姿は不思議なほど目を惹く。腰まで届く長い黒髪は砂埃の中にあってなお艶やかな輝きを帯び、熱気を孕んだ緩い風に揺れながら華奢な背中を覆う。アサルトライフルを抱え、濃紫のきりっとした瞳は多分私を探している。

 私と貴女は、同じ型らしい。モデルチェンジを数回繰り返した戦闘人形の中において、私達はほぼ同じだけの戦闘能力を有している。同じように生まれて、多分似たような経験をしてきた。だが、共通点はそれだけだ。これまで特に接点らしいものがあったというわけでもない。ただ偶然敵対する組織に所属して、互いに銃口を向けている。それだけの関係。

 話したことすら殆どない。敵対組織との会話などあってないようなものだ。私と貴女はいつも、無言で互いの瞳を睨んでいる。鏡に映した自分の姿を見ているように、それよりも遥かに強い意思を持って。

 そういえば、昔一度だけ貴女ときちんと話したことがあった。多分何処かの戦場で。それ以外の場所を、私も貴女も知らないから。

 どういった経緯で会話になったのかは覚えていない。話の内容すら、殆ど記憶から抜け落ちてしまっている。ただ、貴女が私を睨みつけて言った一言だけが鮮やかに心に残っている。


『私、貴女が嫌いよ』


 その言葉を聞いた時、私の全身に痺れるような衝撃が走るのが分かった。

 初めてだった。誰かに、私達戦闘人形を悪し様に揶揄されることは度々あったけれど。私自身に明確な嫌悪を向けられたのは、生まれて初めてのことだった。

 他人ひとは、私のことを歪んでいると言うかもしれない。作り物の心臓が生み出した偽りの心に過ぎないのに、こんなものが恋だと思っているなんてと失笑するかもしれない。だが、私はあの時確かに自分の心臓に穴をあけた。貴女の言葉と泣きそうに形の良い眉を歪めた意志の強い瞳に操られ、私は自ら己の心臓を銃で撃ち抜いたのだ。

 以来、私の心臓には穴がある。とても小さくて深い、貴女しか埋めることができない穴が。

 私は貴女が欲しい。私の心臓の穴を、貴女で埋めたい。だから、私は今日も貴女を狙う。誰よりも執拗に。誰にも貴女を取られないように。

 再び、ライフルのスコープを覗く。貴女を探して、静かに照準を合わせる。指先から背筋まで駆け抜ける緊張。ほんの一瞬息を詰め、私は慣れた動作で引き金を弾いた。


 *


 嬉しい。嬉しい。とても単純な歓喜の表現しか、私は言葉にすることができない。だって、なんて幸せなのだろう。私の腕の中に貴女がいるなんて!

 私の胸に躰を預けて、貴女はただ瞳を閉じている。僅かに膨らんだ胸は鮮血で真っ赤に汚れ、薄い唇からも僅かな血が滴り落ちている。初めて抱き寄せた柔らかな躰は急速にその温度を下げており、貴女の命の灯火がもうすぐ尽きることは明確だった。

 天頂で戦場を眺めていたはずの太陽は西に観劇する場所を変え、貴女とその他大勢が流した血を更に真っ赤に燃やしている。いつ戦闘が終わったのか、私以外の味方がどうなったのかはよく分からない。折り重なる死体の山にも興味はない。喜びに打ち震える私の瞳に映っているのは貴女だけだった。

 長い戦闘を経て、勝利を得たのは私の方。互いの心臓を狙い睨み合って、とうとう貴女が私の前に四肢を広げて全てを晒している。それが、今の私の全てだった。

 僅かに血で固まってしまった、美しい黒髪を丁寧に指で梳いてみる。引っ張られるのを感じたのか、貴女が薄らと瞼を開いた。


「貴女、は……」


 掠れた声。長い睫毛に彩られた濃紫の双眸が私を捉える。僅かな瞠目の後、溜息のように貴女が囁いた。


「負け、ちゃった……。貴女にだけは、負けたくなかった、のに」


 やっぱり、貴女って嫌い。軽口のように呟かれた言葉に、私は全身に歓喜が広がるのを感じた。嬉しい。愛の言葉を囁かれるよりも、ずっと。

 だって、私と貴女にはこの方が合っている。私は貴女が嫌いで、貴女も私が嫌いで。お互い相手にだけは負けたくないから、毎日飽きることなく睨み合っている。絶対に目を背けることができない。それを恋と呼んだって、別に構わないでしょう?

 次第に浅く、間隔が広がっていく貴女の鼓動を感じながら、私はその小さな耳に口を近づけた。歓喜に震える心のまま、そっと囁く。


「私も、貴女が嫌い。だから、今とても嬉しいわ」

「馬鹿、みたい」


 嘲るようにそう嘯いて、ゆっくりと閉じられた瞳は今度こそもう二度と開かなかった。

 暫し貴女がここにいる幸福に浸っていたが、胸がツキンと小さく痛むのを感じてはたと気づいた。

 私は、貴女を求めていた。自分で空けた貴女しか入らない心臓の穴を埋めるために、今までずっと貴女を欲していた。けれどこうして手にしてなお、私は穴を貴女で満たす方法を知らないのだ。

 それは、ある意味当然とも言えることだった。何故なら、私は自分の心臓のどこに穴があるのか知らない。痛くて満たされなくて苦しいのに、どこに埋めるべき穴があるか分からないのだから。

 それでも、私は穴を満たしたかった。私はすっかり冷たくなった貴女を地面に寝かせると、全身を駆け抜ける衝動のままに貴女の血と泥でぐちゃぐちゃになった胸に両手を突っ込んだ。

 私が撃った弾丸は、貴女を生かしていた心臓と動力を繋ぐ一番太い線を断つように穿っていた。心臓は表面を僅かに傷つけていたものの、殆ど原型を留めている。

 私は貴女の心臓を両手で掬い上げるように持つと、奇怪な色をした「肉みたいなもの」の塊を四方から丹念に眺めた。

 貴女は、私と同じ型の戦闘人形。躰は私と全く同じ、戦闘能力を極限まで高めた作り物。偽りでも感情と個性を詰め込んだ心臓だけが、貴女が貴女である証。

 貴女そのものとでも言うべき小さな心臓をまじまじと見つめていた私は、おもむろにそれに己の口を近づけた。

 穴がどこに空いているのか分からないなら、とりあえず自分の中に取り込んでしまえばいい。私達は食事も排泄も必要としない。吸収する機構をもたない私の躰が、肉に似た異物をどう受け入れるのかは分からない。それでも私が取り込んだ「貴女」はいつか私の一部になって、私の心臓の穴も埋めてくれるだろう。そう思った。

 夕陽が沈み世界が闇で閉ざされて行く中、私は夢中で貴女の心臓を貪った。歯で削り取った肉片が喉を通るたび、私と貴女がひとつになっていくような気がして恍惚とする。溢れ出る血の一滴、理解し難い精密さで動いていたはずの機械部品のひとつだって残さない。丁寧に啜り上げ、私の中に取り込んでいく。

 最後のひと口を飲み込んだ私は、胸元に手を当てるようにして蹲る。何だか胸が暖かい気がする。少し満たされて、気持ちよくて幸せ。まるで、貴女が私の中に根を張って温めてくれているかのよう。これで間違っていなかった。私は、私の心臓に空いた穴を貴女で満たしたのだ。そう感じて嬉しくなった。

 ぼうっとした心地のまま、よろよろと立ち上がる。辺りはすっかり暗くなっていた。青白い月が、貴女の血で汚れた私の両腕と口元を照らす。周囲は不思議なほど静かで、昼間の銃声も人々の歓声も、まるで夢の中の出来事のようだ。

 その時、私の目の前に誰かが立った。


「――っ!!」


 悲鳴に似た叫び声。言葉をはっきり聞き取ることは出来なかったが、私に持っていた銃を向けたから多分敵対組織の兵士。貴女を探しにきたのかもしれない。

 黒々とした銃口から弾丸が飛び出す前に、私はホルスターに残っていたハンドガンで彼を殺した。一瞬の躊躇いもなかった。別に彼が敵だからというわけではなくて、たとえ味方だとしても私は躊躇しなかったと思う。

 穴の空いた私の心臓。今、その穴は満たされた。貴女の心臓を取り込んで、私と貴女はひとつになった。

 だからもう、この心臓は誰にも触らせない。


 *


 とある時代、とある国で。

 狂ってしまった人造人間の話が伝わっている。

 戦闘人形としてとある組織に所属していた彼女は、別の人形の心臓を食べると、全身を鮮血でしとどに濡らしながら敵味方関係なく殺して戦場を出た。

 それから、彼女はずっとひとりで旅をしている。少し動きにくい躰で。それでも大切に自分の心臓を守りながら。

 いつか、完全に機能が停止するその日まで。


 ――いつまでも、貴女と共に。

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恋って、心臓を銃で狙い撃つようなものだと思う 潮風凛 @shiokaze_rin

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