切り刻まれた赤心

さかたいった

街を歩く

 身長130cmほどの少年が歩いている。

 真夏の日差しは地表を焼き、気分をチーズのようにとろけさせる。

 野球帽を目深に被った少年の表情は、つばの影となり見えづらい。たとえ内にどんな憎悪を秘めていようと、それを外から推し量ることは難しい。

 住宅地を抜け、少年は商店街に歩みを進める。

 活気の失せた店舗群。人気の無い通り。期待と好奇に満ちるはずだったこの街の夏は、泡沫のように露と消えた。

 少年は独り、街を歩いた。

 路上に、動く物体を見つける。ただ実際のところ、それは物体なのか、液体なのか、はたまた気体なのか、定かではない。

 人の形をした、黒い塊だ。人の体の容器に黒い煙か液体を注ぎ込んだような、異様なもの。それが意思を持って動いている。少し腰が曲がったようなその黒い塊は、建物の前に置かれた花壇に水をあげていた。少年は視線を逸らすことなく通り過ぎる。

 少年は静かな商店街を歩く。止まらずに、駆けずに、一定のスピードで歩き続ける。

 通りの左右に連なる店は、開いている。明かりが点き、店内には商品が並んでいる。

 ただそれだけだった。

 まるで見せかけの、お菓子でできた家のように。昔子供部屋で作ったミニチュアハウスのように。

 街から人が消えた。

 人のいない街を、少年は歩いた。


 その店の前では、人型の黒い塊が列を成していた。我先にと商品に群がり、醜態を晒すものもいる。買い物を終え両手に荷物を抱えた黒い塊は、まるでナニカに追われるようにして去っていく。

 野球帽を被った少年は、そんな店の前を通り過ぎる。


 鉄道の高架が見えてきた。

 そこで、少年は初めて足を止めた。

 膝を曲げ、上体は前屈みになり、苦しそうに胸の辺りを手で押さえた。

 暑さによらない汗が、少年の額を濡らす。

 前方からこちらに向かって歩いてきた黒い塊は、少年をできるかぎり避けてすれ違った。

 真夏の日の光が服から露出した部分の肌を舐める。

 少年は胸から手を離し、顔を上げた。

 少しだけ帽子の鍔の位置を調節し、再び歩き始める。


 電子マネーで改札を通過し、エスカレーターでホームに上がる。

 十両編成の列車が到着する長いホームにも、人はいない。かわりにいる黒い塊も、数えるほどだ。

 少年は到着した列車に乗り込む。冷房で冷えた空気が熱された体に心地良い。

 その車両には、黒い塊が三体。それぞれ離れた座席に座っている。

 少年は座らず、ドア窓から外を眺めて過ごした。

 街の姿を留めているだけの、空虚な光景を。


 ターミナル駅の構内から外に出た少年は、街を歩く。

 歩行者天国の大通り。普段人でごった返すこの通りにも、少年の他に人はいない。ところどころに奇怪なオブジェのように人の形をした黒い塊がいるだけだ。

 その動くオブジェ、黒い塊たちはみな、少年を避けて歩く。決して近寄ろうとはしない。野球帽を目深に被った少年は、通りの真ん中を歩いた。誰もそこに近づかない。

 少年は独りだった。どこまでも孤独。帰る場所を失い、行く当ても無い。

 不気味なほど静かな街。過去の遺物と化した寂れた情景。

 地表をこんがりトーストし続けた夏の太陽は、ようやく西の空に沈みかける。

 少年は突然胸を押さえた。首でも絞められているかのように、胸元の服を引っ掴む。

 苦しげに呻きを上げ、両膝を地面につく。

 近くにいた黒い塊が少年のほうを向いたが、すぐに見て見ぬふりをして歩き去る。

 体を支える気力を失った少年は、うつ伏せに地面に横たわった。ローストされたアスファルトが直に熱を伝えてくる。倒れた拍子に野球帽の鍔が地面に当たり、帽子が少年の頭から外れた。

 少年はそのまま動かなくなった。

 どれぐらい経っただろう。少しずつ集まり出した黒い塊たちが、少年を取り囲む。少年との一定の距離を保ちながら。

 プシュ。

 集まった黒い塊の一つが、少年に向けて手に持ったスプレーを発射した。

 プシュ。プシュ。

 黒い塊たちが、次々と少年に向けてスプレーを打つ。

 少年の体は揮発性の高い液体にまみれていく。

 プシュ、プシュ、プシュ。

 水溜まりができるほどに少年はスプレーを浴びた。透明な膜が少年を包む。

 黒い塊たちはやがて、興味を失ったように少年のもとから去り出した。

 少年の形をした物体は、地面に横たわっている。

 誰もそこに目もくれない。

 空が黄昏に染まるころ、少年だったものの体に異変が起きた。

 体の中心、へその辺りから、ペンキで塗られたように色が変わっていく。

 それは赤。夕日のように、炎のように、血のように、赤い。

 体の凹凸や、肌と服との境界が無くなり、全身をレザースーツで包んだようなシンプルなシルエットが出来上がる。

 それは人の形をした、赤い塊だった。

 消毒液にまみれた赤い塊は、起き上がる。人のように立ち、通りを歩き始める。

 この世界に対する強烈な感情を抱きながら。

 赤い塊の周辺に異常が発生した。

 地面に亀裂が走り、建物は突風を浴びたような衝撃を受け、パズルのピースのようにバラバラと表面から崩れていく。

 近くにいた黒い塊は、逃げ出した。逃げ遅れたものは地面に伏し、しばらく痙攣したのち動かなくなる。

 赤い塊は歩いた。歩くだけで、周囲は破壊された。

 竜巻の直撃を受けたように建物の外壁が剥げ、吹き飛び、中に隠れていた黒い塊たちは倒れ、瓦礫の山に埋もれていく。赤い塊が歩いた跡には、抉れた地面と、散乱した瓦礫、そして静けさだけが残った。

 赤い塊は歩き続ける。止まらずに、駆けずに、一定のスピードを保って。

 自動車が衝撃でへこみ、吹き飛び、信号は地面に叩きつけられ、木々は赤い塊を避けるように幹から折れ曲がった。

 赤い塊を遮るものは何も無い。自らを拒絶されたそれは、世界を拒絶した。

 人の消えた街が、崩れていく。まるで幻想であったかのように、街は本来の姿を現していく。

 かつて何を失ったのか? 誰も覚えていない。

 覚えることを放棄した報い。

 選ばれたのは、教訓ではなく、忘却。

 刻まれたのは、記憶ではなく、傷跡。

 赤い塊は歩いた。

 ただ歩き続けた。

 その後に残るのは朽ち果てた残骸。

 赤い塊の進行方向に、人が現われた。

 水色のワンピースを着た、ツインテールの少女だった。

 誰もが逃げ出していく中、少女は赤い塊に近づいていく。その顔に、どこまでも深い悲哀を浮かべて。

 赤い塊は歩き続ける。台風のように周囲を巻き込みながら。

 少女は両腕を精一杯左右に広げ、立ちはだかった。

 赤い塊は少女に近づいていく。

 少女のツインテールがなびく。赤い塊の発する衝撃に苦しみながらも、少女は立ち続けた。

 手を伸ばせば届く距離まで来た。そこで赤い塊はようやく立ち止まった。

 赤い塊を見つめる少女。

 そしてすっと体を寄せ、赤い塊を抱きしめた。

 周囲に迸る衝撃が止んだ。

 少女は一心に赤い塊を抱き続けた。

 赤い塊の脳天の部分から、赤が剥げ始めた。中から少年の姿が現れる。

 少女に抱きしめられる少年。

 感情の無い、虚ろな表情。

 少女が体を離す。

 少女が少年に笑いかける。唇を動かし、言葉を発した。少女のほうが少しだけ、背が高い。

 笑っていた少女が、前のめりに倒れた。

 少年の目の前で、動かなくなる。

 少年はしゃがみ、右手で少女の体に軽く触れた。

 二人の周囲には瓦礫の山。

 太陽は地平に沈み、紺色の世が満ちていく。

 暑かった夏も、いずれ終わる。

 激動の時期も、終わりを迎える。

 大きな傷跡と、ほんの微かな寂しさを残して。

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