春風ひとつ、想いを揺らして

黒中光

過去からのラブレター

 勝弘が強くスコップを突き刺すと、ガキンと金属が触れ合う音がした。散り始めた桜の下、腕がだるくなってきた僕は期待に声を上げる。


「やっと、見つかったか?」


 土の中から出てきたのは、高級チョコを入れる缶。長い年月で塗った色は所々剥げて錆びついている。

 掘り出して地面に置くと皆がワラワラ集まってきた。その中にいた、髪の長い眼鏡の女子がゆっくりと頷いた。


「間違いない、これよ」


 全員の口から感嘆の声が湧きあがる。当然だ。昔僕らが埋め、記憶の彼方に忘れ去っていた物が今、目の前にあるのだから。


「開けようぜ」


 勝弘が飛びつき、蓋をガタガタ揺さぶる。


「楽しみだよね」


 隣に来た智里がにっこり笑いかけてくる。彼女は僕の恋人。フワリと広がる笑顔にほだされて、揺れる髪の毛につい手を伸ばしそうになるけど、今は我慢だ。さすがに、人目くらいは気にする。


 彼女とは高校になって再会した。二人とも軽音楽部で、そこで仲が復活して帰り道を一緒に帰ることになったりして。

 一年半ほど前に、文化祭の帰り道だ。二人ともライブ明けで興奮しながら夜道を歩いてた時。月が綺麗だったとか、そんな理由だったと思う。この時間を手放したくないと思って、告白した。


 僕らが掘り出したのは、タイムカプセルだ。今を去ること8年前。ちょうど、10歳の頃か。当時の担任の提案で10年後の自分に向けてのメッセージを入れることになっていた。まあ、その計画自体、当時引っ越しで学校が変わってしまう智里との思い出作りのためだったりするのだが。


 それが何故、たった8年で掘り起こすことになってしまったのか。それはなんと、僕たちがいた校舎が耐震工事で建て直すことになったからだ。周辺も掘り起こされるそうで、その前になんとしてもタイムカプセルを掘りださねばならなかった。


「開いたぞー」


 パカンという小気味の良い音がして、古びた手紙が顔を出す。封筒に入っている物、便箋を折りたたんだだけ物。全て少し黄ばみ、地中で過ごした年月の長さを窺わせる。


「じゃあ、名前呼ぶから、取りに来て」


 先ほどのメガネ女子が、皆に声をかける。彼女は島岡。カプセルを埋めた時、学級委員長だった彼女が全体を仕切っている。当時のクラスメートを集めるよう、勝弘に打診したのも彼女だそうだ。


 僕も智里も手紙を受け取り、桜の木にもたれかかる。今日は風が吹いていて気持ちが良い。日差しが温かくて、おだやかな気持ちになる。


 手に持った手紙に視線を落とす。さて、どうしようか。タイムカプセルに入れていた手紙、その内容を僕は覚えていた。だが、それを今読むべきなのか。悩ましい。


 結論を先送りしたくて、僕は横でメッセージを読んでいる智里に声をかけた。


「なんて、書いてた?」

「えー、恥ずかしいな」

「いいじゃん。聞きたい」

「う~ん。歌手になれてますか、とか。皆と仲良くしてますか、とか」


 歌手、か。案外なれてるんじゃないだろうか。プロじゃないけど、今の智里は大学のサークルでボーカルをしている。声が透き通って、とにかく綺麗なんだ。


 智里は視線を上げて遠くを見つめている。グラウンドを挟んだ向かいにはジャングルジムがあった。


「智里は、よく登ってたよね」

「うん、高いとこから景色を見下ろすの好きだったから」

「一回、転げ落ちてたよね」

「……あの時は、子供だったから。今はやらないよ」


 プクッと頬を膨らませる姿が可愛くて、ついいじりたくなる。


「この前のライブのリハ。舞台から転げ落ちてたよね」

「あれは! ……もうっ、ロク~」


 ポカリと肩を叩かれて、笑った。楽しい。やっぱり、これでいいんじゃないかな。寂しいけど、今手に持った手紙のことは忘れてしまっても。


「おい、禄郎! お前、手紙読まねえのか?」


 勝弘が声をかけてきた。小学生の頃、よく遊んだ友達で、コイツとは今でも時々連絡を取りあっているので、気楽に絡んできた。大きな声で、自分の手紙をヒラヒラさせている。


「あ、そうだ。 ……確かお前のって、自分宛てじゃなかったな!」


 勝弘の言葉に驚いた。まさか、覚えていたとは思わなかった。その通り、どうせ10年間誰も見ないんだからと、僕はメッセージを自分宛てには書かなかった。その宛先は――。


「そうだ、そうだ! ラブレター。初恋の人相手だ!」


 勝弘が嬉しそうに僕を指さしてきた。その顔は満面の笑み。逆に、僕は自分の顔から表情がこわばったのを感じた。勝弘め、余計なセリフを……。


 隣で、智里がこっちを振り向いてジッとぼくを見つめていた。問いただすような表情。それは、そうだろう。彼氏が昔好きだった相手の話だなんて。しかも、今自分の目の前でその女に向けたラブレターを持っているとなれば。人によっては修羅場になってもおかしくない。


 しかし、智里は喚いたりはしなかった。泣きもしない。ただ、フイッと向こうを向いてしまっただけだ。直前に、刺すような冷たい視線を残して。


「……」


 これは、完全に怒ったな。智里は性格が素直な分、怒った時もなかなかで、こうなったらそう簡単に言うことを聞いてくれなくなる。電話もメールもすべて無視。1週間は絶縁状態になる。


 何とかせねば。今のうちに。


 焦る僕をしり目に、他の連中は勝手に盛り上がっている。人の色恋は楽しいのだろう。無遠慮に話している。勝弘くらいしか知らないもんな。僕と智里の関係。その勝弘は自分が何をしたのか全然気づいてないし。


「ねえ、誰なんだろ。田崎くんの初恋って」

「あの頃人気があった女子でしょ。 ――島岡さんじゃない?」

「あ、分かる。カッコよかったもんね、島岡さん」


 女子がキャアキャア言っている。いくつになっても、そこらへん女子は大抵変わらない。そんな中、当の島岡だけが、自分のメッセージを読みながらポツリと言った。


「わたしは、男子には人気なかったと思うけど」


 そんなことないよー、という女子の横では、男子たちが気まずそうに視線をそらす。

 実は島岡の言う通り。今の彼女は、髪が長くて抜群のスタイルをシンプルな服装で包んでいる。男なら大抵振り向くような美人で、再会した男子がどよめいたほどだ。でも、当時は違う。ボーイッシュな短い髪でサバサバした口調の彼女は若干きつい感じで男子は皆彼女が苦手だった。女子からは宝塚っぽいイメージで人気があったが。


 風が吹いて、頭上からはらはらと桜の花びらが舞い落ちる。そうだ、あの時が僕の初恋だ。


 風が吹いて、舞い落ちる桜の花びらに、そっと手を伸ばしていた女の子。僕の初恋の女性は指先にそっと花びらを乗せていた。

 その姿があんまり美しくて、儚くて。毎日のように見ていたはずなのに、彼女が遠く感じて。同年代の女子を初めて、綺麗だと感じたんだ……。

 

「むしろ、桂子ちゃんじゃない?」


 島岡の一言に、皆があーっ、と声を上げて納得する。相沢桂子。島岡とは正反対。のんびりした性格で、ちょっとドジっ子だけど、屈託のない彼女は男女どちらからも愛される人間だった。今日は来ていないが、今は教育学部に行って教師になろうとしているらしい。


「そうだ、桂子ちゃんだ」

「絶対そうだよ」

「俺も聞きたい、なあ禄郎! どうなんだよ~」


 みんなが絡んでくるのが嫌だったのか、智里は離れていってしまった。このままだと帰ってしまいそうなので、追いかける。幸い、向こうでは島岡が皆に向けて何か話して気を取られている。


「なあ、ちょっと……」

「迷ってるでしょ」

「え」

「その手紙、渡そうかどうかって」


 思わず、足が止まってしまった。動けなかった。その通りだった。あの時の自分の気持ちを無駄にしたくないな、という想いと今自分は智里と付き合っているのだからこれで良いという想いがせめぎ合い、揺れていた。だから、過去のラブレターを手に、何もできなかった。


 気づかれてたのか。クルリと振り返った智里は唇をギュッと噛んで。顔を真っ赤にして怒っていた。今にも泣きそうだった。


「忘れられてないんだよね。その人のこと。 ……だったら、あたしは何?」

「いや、落ち着け」

「はあっ? 一年以上付き合っておいて、実はずっと他の女が好きでしたって――っ! そんなこと言われて落ち着いてられる訳ないでしょ」


 今まで盛り上がってたあたしは、バカみたいじゃない!


 その言葉に、どう返事をすればいいのか。頭が機能を停止して、このままじゃダメだ、くらいは分かるけど、じゃあどう言えば良いのか分からない。手足が痺れたみたいになって、感覚が無くなる。


 風が吹いた。手に持っていた手紙が飛ばされ、智里の足元に落ちる。チャンスだ。これを逃したら、もう次はないかもしれない。


「読んでみてくれないかな」

「え?」

「その手紙……」


 智里は、顔をしかめるだけで動かない。余所の女に渡す手紙を読むなんて考えたくもないのだろう。でも、どんな言葉で言っても今は伝わらない。これしか、ないんだ。


「頼むよ」


 今持っている気持ちを全てこめた。

 僕の表情を見て、智里は渋々と言った調子で手紙を拾った。やや、乱暴に封筒から取り出して見せたのは、僕への当てつけだろうか。


 黙って読み進めていった彼女の目がゆっくりと開いていく。


「これって……」


 そう。これは幼い頃、近所に住んでいた女の子に向けた手紙だ。活発で明るくて、周りが見えなくなるくらいに一生懸命で。クラスで一番歌が上手かった女の子。そして、引っ越して僕の前から消えてしまった女の子。


 しょっちゅう一緒に遊んでいたのに、彼女の良さに気づいたのは、彼女が引っ越してしまう直前だった。

 想いを伝えても、離れ離れになってしまう。大人なら、電車を乗り継いで会いに行けるけど、小学生だった僕にはそんな芸当できないことは分かっていた。


 でも、諦めたくなかった。だから、この手紙を書いたんだ。

 たとえ、遠くに行ってしまっても、あのタイムカプセルが開く時、彼女は必ずここに来ると思ったから。大人になったその時、この手紙で想いを伝えようと思った。


 だって、考えもしなかったんだ。まさか、タイムカプセルが開く前に再会して、恋人になれるなんて。


 ラブレターは、交際を申し込むときに渡すものだ。すでに付き合ってしまっている相手に渡すのはどうなのか。でも、当時の不器用だけど一生懸命だった自分の想いを無視もできず、悩んでしまった。


 意図したのとは違うけど、その想いは届いた。締めるのは今の僕の役目だ。照れくさそうに俯いている智里に告げる。


「小学生の頃から好きでした。これからも、そばにいてくれませんか」

「――うん」


 弾んだ声でそう言ってくれた。でも、恥ずかしくなったのか、目線をそらして続ける。


「でも、心配させたから。……ペナルティだよ」


 おや、なんだろう。


「最近美味しそうな料理のレシピ見つけたの。――だから、明日! 実験台。全部食べてよ」

「了解」


 受験が終わってから、智里は料理修行をしている。全部が全部上手にできるわけじゃないけど、着実に上手くなっているし、そもそも彼女が作ったものを残すような真似はしない。


「行こうか」


 フワリと春風が吹き、二人で並んで歩きだす。気づけば、手を繋いでいた。柔らかく、温かい手。強く握り過ぎたらしくて「痛いよ」と窘められたが、聞こえない振りをした。


「あ……」


 彼女の視線の先には、ひらりひらりと優雅に舞う桜の花びら。僕の隣で、智里がそっと手を伸ばす――。

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