ヘンナヒト

真野てん

第1話 ヘンナヒト



 昔から、春先には変な人が湧くという。


 よく陽気のせいで頭の中がお花畑になっているとか、木の芽ふく頃には血が騒ぐだとかいったりするけれど、どれも俗説の域を出ない。


 漢方にいわく「春の病は、肝にあり」との言葉がある。

 肝とはもちろん肝臓のこと。血液のめぐりや、清浄作用を司る。


 それから自律神経を調整する機能そのものを指す考え方であり、それはしばしば「気」の流れに例えられるという。


 つまり「肝が傷つく」といった場合、イライラや憂うつ、不安感などが症状として現れるといった具合である。


 しかしながらどれだけ尤もらしく理屈をつけて説明できるようにしてみたところで、周りから見れば、変な人という一言で片付けられてしまう手合いが多いのも事実だ。


 そんな人物に彼もまた――桜田コウタも出会ってしまった。





 とある大学病院の敷地内。

 春の日差しをいっぱいに浴びた憩いの庭には、療養中の入院患者やリハビリに訪れている人達でいつも賑わっていた。


 看護師に車いすを押される笑顔の老人や、トレーニングウェアに身を包んだスポーツマン風のお兄さん。白衣をまとう医師の卵達は、洋書片手に議論を戦わせている。


 そんな中、光り差す遊歩道を延々と歩くひとりの男がいた。

 彼は自らの両手を天に突き上げ、ただひたすらに歩みを進めている。

 道すがら花粉症の診察に来ていたコウタは、男とすれ違う。

 彼の双眸は真剣そのものだった――。


「と、いうことがあったんだけれども」


 コウタはその日の出来事をクラスメートの相原タクミに語って聞かせた。

 するとタクミは別段驚いた様子もなく「ああ。あの人だろ?」と。


 新学期も始まって二週間が過ぎ、葉桜が学び舎を彩るようになってすでに久しい。

 コウタとタクミは、教室の窓辺でゆるやかな午後のひとときを過ごしていた。


「あの人? 知り合いかい?」


「いんや。高等部の三島先輩のことだよ。結構有名だぜ」


 三島ケンタロウ――中高一貫校である彼らの学園の一年先輩にあたるとコウタはタクミに教わった。

  彼が両手を掲げて例の病院内を闊歩するようになったのは、今年に入ってからだという。


「何のために?」


「知らねえよ。そんなの本人に聞け。ま、春先にゃ変人が増えるっていうからな」


「変人……ねぇ」


 購買のタマゴサンドを紙パックの牛乳で流し込むタクミを横に、コウタの脳裏には彼の友人をして変人と称されるあの男の、真剣な眼差しが焼き付いて離れなかった。


 また別の日。

 コウタは再び、天に両手を掲げる男――三島ケンタロウに出会った。


 場所は以前と同じく病院の敷地内。

 しかもその日は雨であったにもかかわらず、彼は例の奇行を続けていた。


 まるで天を支えるかのように頭上へと伸ばされた両腕。

 気が触れているようには到底思えないしっかりとした足取り。


 そして何よりコウタを引きつけるのは、ここではないどこかへと焦点が結ばれているかのような必死な眼差しだった。


 降り注ぐ雨など物ともせずただ濡れるに任せて練り歩くケンタロウに、どういうわけだかコウタは心惹かれていく。


 はたから見ればただの変人である。

 だがコウタには、そうは見えなかったのだ。


「あ、あの……」


 気がつけばコウタは、彼に傘を差し出していた――。




「あ! お兄ちゃん!」


 ケンタロウに誘われてコウタがやってきたのは、院内のとある病室だった。

 そこにはひとりの少女が、ベッドに横たわっていた。


 彼は周到にも、着替えとタオルを持参していた。例の『儀式』によってずぶ濡れになっていた全身も今ではすっかり小奇麗になっている。


 鬼気迫る表情だった顔も、信じられないくらいに和らいで。

 慈愛に満ち溢れた優しい瞳を、パジャマ姿の少女へと向けている。


「あれぇ? そのひとだあれ?」


「ああ……お兄ちゃんのお友達だよ。さっきお外で会ったんだ」


「お兄ちゃんが『お空を持ち上げてる』ときに?」


「そうだよ」


 少女の名前は三島ヒナ。ケンタロウの妹である。今年で十歳になるというが、現在闘病中につき休学しているのだとコウタは聞いた。


「空を持ち上げる?」


 不意にコウタがそう尋ねると、ヒナはまるで星でも生み出したのではないかという程に輝いた表情で「そうだよ!」と答えた。


「ヒナが病気でね、お胸が苦しい時にいったの。きっとお空が落っこちてきてるからお胸が押されて苦しいんだって。そしたらね、お兄ちゃんがね、お空を持ち上げてくれるっていったの!」


「空が落ちてくる……」


「うん。すっごく重たそうな色してたの。ちょうど今日みたいに」


 コウタは病室の窓から見える鉛色の雨空に目をやった。

 そして「なるほど」と唇を動かして。


「……それで身体は楽になったのかい?」


「うん!」


「そう……良かったね。いいお兄ちゃんだね」


 コウタがそういうと、ヒナは照れくさそうに布団のなかへと隠れた。「えへへ」と嬉しそうな声が聞こえ、コウタはケンタロウと顔を見合わせて微笑んだ――。


「え~。もう行っちゃうの……」


「あとで母さん達ともう一回来るよ。それまでお利口さんにしておくんだぞ」


「はーい」


 残念そうなヒナに別れを告げると、コウタとケンタロウは病室をあとにした。

 白い壁と床が続く病院の廊下を、吸音サンダルを履いたナースが忙しそうにパタパタと駆けてゆく。それを横目にしながらコウタは、意を決したかのように重い口を開いた。


「三島先輩。俺――」





 夏も間近に控えた、ある日のこと。

 いまにも落ちてきそうな鈍色の空の下で。


「ようコウタ。これからか?」


「うん。今日は一時間は『持ち上げる』つもりだよ」


「そっか。俺はもうあがるけど、今日はあと二人くらい来るらしいから頑張れよ」


「ありがとう。そっちも試合近いんだろ? あんまり無理すんな」


「サンキュ~」


 学校指定のジャージを着込んだコウタとタクミが、互いに笑顔を交わして別々の方向へと歩を進めた。

 タクミは程よくかいた汗をタオルで拭いながら、病院の外へ。


 そしてコウタは入院患者やリハビリ客が憩う、院内の庭園へと身を投じる。遊歩道にはすでに複数の先客が歩いており、年齢も性別もまちまちだったが、ある点において共通していることがあった。

 それは皆で天を支えるかのように、両手を高々と掲げていることだった――。


 最初はひとりだった。


 病床の妹を思う優しい兄の、神様へのささやかな抵抗。

 彼は周りから変人扱いされながらも挫けることなく、その歩みを止めなかった。

 雨の日も、風の日も、やると心に決めてからはほぼ毎日のように。


 それを見たひとりの少年は、彼の真剣な眼差しに何かを感じ取り同志となった。

 さらに少年の友人がことの仔細を理解すると、顔の広さを十二分に活かして一気に話が拡散していった。


 皆でヒナちゃんを元気付けよう――。


 それを合言葉に、かつてはケンタロウを気味悪がっていた人達にも、彼の優しさが伝播していったのだ。


 いまでは病院側にも許可を取り付け、数十人からなるチームが交代制で『空を持ち上げて』いるのである。


 実に非科学的だ。偽薬によるプラシーボ効果以前の自己満足な話である。

 だが、それでも――。


 コウタはふと彼女の病室を見上げた。

 すると窓辺には兄妹が仲良く並び立ち、こちらへと元気に手を振っている。

 コウタは彼らに手を振り返すと、


「よし!」


 掛け声と共に両手を突き上げ、力強く一歩を踏み出すのだった。

 程なくしてヒナの病状は快方へ向かっていった。そして翌年には、同い年のクラスメート達と無事進級を果たしたのである――。





「ヒナ先生~」


 小雨舞い降る秋の曇天に、グッと両手を突き上げている白衣の女がひとり――そんな私をナースが呼んだ。どうやら傘を持ってきてくれたらしい。


 あれから十五年。私は医者になった。


 ちょっとした時間が出来ると、こうして外に出て『空を持ち上げて』いる。

 やっぱり周りからは変な目で見られることもあるけれど、そんなことは気にしない。


 だって。


 今度は私が、誰かを支えるヘンナヒトになる番だから。






◆2020年4月現在。かつてない未曽有の危機が世界中を席巻しております。健康上の問題や金銭的にも先行きの見えない前途を案じ、誰もが不安になっていることでしょう。「冷静な行動を」とは口にするのは簡単です。しかし実際にはたやすいことではありません。こんなときこそ助け合いましょう。触れ合わずとも出来る対策があれば、それを実行していきましょう。一連のコロナ騒動に寄せて。一日でもはやく事態が収束しますように(作者より)

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ヘンナヒト 真野てん @heberex

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