eの拳 ~手のひらの中のオリンピック~

輝井永澄

手のひらの中のオリンピック

 「オリンピックは勝つことでなく、参加することに意義がある」と言ったのは近代オリンピックの父・クーベルタン男爵だったか。


 それはそうだろう、と思う。出場が決まった時点でそいつは、少なくとも国内選手のほとんどに「勝って」いるのだから。


 俺に言わせれば、「勝ち負けは問題じゃない」なんて爽やかに言えるのは勝った奴だけだ。だからマスコミや世間は金メダルの数ばかり気にするのだ。



「……IOC会長は、延期した東京オリンピックの日程を、来年7月にすることで合意し……」



 俺はニュースサイトの動画を閉じた。


 2020年、夏。この年に行われるはずだったスポーツの祭典・東京オリンピックは、世界的に流行したコロナウィルスの影響で延期が決まっていた。しかし、代表選考から漏れた俺にはもう、どうでもいいことだ。


 部屋の真ん中で寝っ転がる。外出自粛、大学の研究室は閉鎖中で自宅待機、バイト先の店は休業中。疫病の流行で活動を停めざるを得なくなった首都の経済は大打撃。国民の生活はお先真っ暗――毎日毎日、世間は騒がしいが、俺にとって空っぽの夏であることは変わりがない。


 しかし、こうヒマだとつい、代表選考試合のことを思い出してしまう。



 あのとき――勝ちを焦って踏み込まなければ。


 間合いは完全に掌握していたし、蹴りも突きも、相手は届かず俺は届いていたのに。有利に進めていた試合で調子に乗って相手を深追いし、気が付いた時はカウンターの中段突きで一本を取られていた。



「……オリンピック空手日本代表、って肩書き………欲しかったなぁ」



 ため息をついて窓の外を見る。3月も終わりなのに、外は雪が降っていた。例年通りなら、雪花見だなんだで盛り上がったのだろう。バカ騒ぎでもすれば少しは気も紛れただろうか。



 ――ヴヴッ



 手に持ったままだったスマホが震えた。見ると、同期の山下からメッセージが入っている。



「このキャラの動きヤバくね?」



 その一文と共に添えられた動画のリンクを、俺はなにも考えずタップした。Youtubeの画面が開き、3DCGで作られたキャラクター2体が激しく躍動する――いわゆる格闘ゲームの動画だった。



「ブラナクの新しいのか……グラフィックすげぇな」



 ブラナク――「ブラック・ジャック・ナックル」は俺も昔散々遊んだゲームだった。空手を始めるやつなんてのは大体、子供のころ格闘ゲームにハマっているものだ。ドット絵から3DCGに置き換えられた最新作は、昔遊んだそれよりも遥かに美しく、そして激しい戦いを演出していた。



「………ん?」



 次の瞬間、俺の感覚が切り替わる。


 その動画に登場していたのは、新しく追加された「ガンジ」という空手家のキャラクターだった。素早く踏み込んで突きを繰り出し、踏み込んできた相手の攻撃にカウンターを返す。追加入力の追い突きが強力で、前後のステップで間合いを測りながら攻撃を決めていく――


 俺は動画を閉じ、山下に返信を返した。



「松濤館だな」


「そうそう、めちゃよくできてる」



 山下からの再度の返信を無視し、俺は再び動画に戻った。拳から炎が出たりはするが、それはまさに空手の動きそのものだ。モーション・キャプチャに松濤館流空手の経験者がいたのだろうか。


 俺は再び山下にメッセージを打つ。



「お前このゲームやってんの?」


「発売日に買ったよ」



 そうか――俺は部屋の隅でホコリを被っているゲーム機を見た。暇つぶしにはいいかもしれない。


 * * *


 子供のころに経験したものを、大人になってからもう一度やると新鮮な驚きがある。好きだったアニメを見返したら、昔は気が付かなかった登場人物の細やかな感情に共感したり、とかそういうのだ。この歳になって久しぶりに遊ぶブラナク――最新作である「ブラック・ジャック・ナックル5」は、想像以上に新鮮で――そして難しかった。



「だめだーっ! 勝てねえ!」



 俺はゲームパッドを放り出して寝転がった。最近のゲームは昔と違い、ネットを通じて家にいながら他のプレイヤーと対戦ができる。操作をひと通り覚えた俺は、意気揚々とネット対戦に挑んでいたのだが――



「やっぱ本物の空手と違うんだよな……」



 そうなのだ。


 実際の空手であれば、目の前の相手の呼吸や、視線の動き、動きのリズムや肌に感じる空気感など、様々な要素を肌で感じながら動きを読み、タイミングを計る。しかし、格闘ゲームではそれが「目視」の情報しかないのが俺は不満だった。


 それに、溜まると必殺技が強化される「スーパーゲージ」といった要素や、一定時間パワーアップする技、相手の状態とそれに応じた技の選択など、管理する要素がものすごく多いのだ。相手の動きに気を配り、練習した技を出す、というだけのものではない。どちらかというと、盤面全体を見渡しながら最善手を選択していくチェスや将棋の感覚に近い――それも、10分の1秒単位でターンを交代するチェスだ。



「大体なんだよ、この敵は……空手の試合で稲妻出したりするやついねーっての」



 俺が使っていたキャラはもちろん、空手家の「ガンジ」だが、他のキャラはプロレスラーだったりピエロだったり、もはや人間でないやつまでいる。そしてそいつらが電撃やレーザーを撃って来るのだ。土台、空手で対抗するような相手ではない。



「……待てよ?」



 と、そこまで考えて俺はふと気が付いた。


 そうだ、これは空手ではないのだ。別のルールの元で、別の技を使う連中と戦う。いわばだ。


 俺はスマホを取り出した。山下にメッセージを打つ。



「ブラナク勝てねぇ。攻略法教えて」



 返事はすぐに返ってきた。



「稽古あるのみじゃ」


「うるせぇ教えろ」


「それが人にものを教わる態度か」


「ってか当たり前だけどこれ、空手じゃねぇのな。このルールでのセオリーを知らないと戦えん」


「おっ、わかってきたね」



 そこに気が付いたなら初心者としてはなかなかだ、などと偉そうなことを言いながら、山下は攻略サイトのURLを送ってくれた。



「そもそもガンジって、追加入力の二択三択に勝てないと火力が出せないトリッキーなキャラだからな。初心者向きじゃないよ。ベルとか使いやすいからそっちにしたら」


「やだ、空手がいい」



 俺はどうしても、もう一度空手で勝ちたかった。


 * * *


 攻略サイトをひと通り読んでから、プロゲーマーの対戦動画などを見て回ると、だんだんなにをしているのかがわかってくる。こういうところは実際の格闘技と同じだ。理屈を知らずに反復稽古をしてても組手で勝てるようにはならないのだ。



「なにをすると有利で、なにをすると不利かちゃんと理解するのが基本だよ。それを元に、不利を相手に押し付けていくの。お前、空手では相手の先手を取って奇襲とか得意だけど、それは相手より速くて強いから成立するんだぞ。ゲームではそうはいかない。条件は同じだからな」



 山下からのアドバイスを念頭に、俺は対戦に打ち込んだ。


 有利/不利を理解していればこそ、セオリー破りの奇襲なども生きてくる。究極的には、項目の物凄く多いジャンケンだと言ってもいい。不確定要素が排除されたゲームの世界だからこそ、より純粋に「戦いの上手さ」の比べ合いになる――そうやってみると、目視だけだと思っていた読みあいも実は、より深い肌感覚や空気感の掴みあいがあることに気が付く。わかってくれば楽しいもので、俺は徐々にその世界にのめり込んでいった。



 ネット対戦で勝ったり負けたりしながら、徐々にランクをあげていったある日、俺は同じガンジ使いの対戦相手とマッチングした。


 不人気キャラのガンジを使うプレイヤーは珍しいが、ガンジの戦術ならわかっている。俺は意気込んで対戦をスタートした。



「まず初手は……っと!」



 対戦開始の合図と共に、俺は奇襲を仕掛ける。ガンジ使いならこのセオリー破りに引っ掛かるはず――そう読んだ俺の目論見は当たり、攻撃はヒット。ダウンした相手が起き上がるところへ俺は攻勢を仕掛ける。


 流れは完全に掴んでいた。相手は少しずつ反撃を挟んでくるものの、単発の火力は低い。俺は有利に対戦を進めていた。


 相手の体力ゲージは残り僅か。このまま押し切れば、勝てる――俺は「超必殺技」で相手の体力を削り切りにいく――



「………?」



 違和感があった。


 その違和感に気が付いた俺はふと、ゲージを見る。俺の体力ゲージは想像よりもずっと少なくなっている。なぜ――?


 そして俺は相手側も見た。相手のスーパーゲージは、最大――



「まずい!」



 そう思った瞬間、相手の身体が光る――カウンターの超必殺技だ! 相手の「ガンジ」が踏み込み、炎と共に中段正拳突きを繰り出した――!



 ――ガッ!



 鈍い音と共に、俺の側の「ガンジ」がガードに成功した。


 危なかった――相手の丁寧な反撃によって想像よりも減っていた体力、チャンスが来るまで温存されたスーパーゲージ。間一髪ガードが間に合ったが、あれをまともに喰らえば負けていた。


 俺は画面を見る。相手のキャラクターに、代表選考大会で負けたあの男の顔が重なる。



「……知ってるよ、勢いだけじゃ勝てないんだ」



 そして俺が繰り出したしゃがみ中パンチで、相手の体力はゼロ。「K.O!」の音声が鳴り響いた。


 * * *


 コロナウィルスのワクチンが開発され、感染の流行も落ち着いた、冬。俺はeスポーツ大会の会場で試合に挑んでいた。


 まだまだトッププレイヤーにはほど遠い。それでも、こうした場に参加すること自体に価値がある。より高みを目指すため。より濃密な空気を吸うためだ。


 来月には、現実フィジカルの空手の大会も控えていた。4年後はきっと、オリンピックの濃密な空気を吸って来よう――ゲームでも、空手でも、上を見なければ目に入らないものがある。


 俺の対戦相手が現れた。



「……よりにもよってお前かよ」



 俺はその相手と目を合わせて笑い、対戦の席についてゲームパッドを握った。



<終>

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