『現代美少女妖怪紀行』 ~水着姿の可愛いアマビエちゃんの写真を撮ってネットで拡散しよう!~

白川嘘一郎

水着姿の可愛いアマビエちゃんの写真を撮ってネットで拡散しよう!

 僕の名前は藤丘紫芳しおう。少々風変りな名前を付けられた事を除いては、至って普通の高校一年生だ。

 趣味も妖怪写真のコレクションと、至って普通である。



 休校で暇を持て余していた僕は、若さに任せて二時間ばかり自転車を漕ぎ――海岸沿いの町までやって来た。

 晩冬の浜辺は三割増しで肌寒く、僕の他には人っ子ひとりとしていない。病気が流行っていなくともそうだろう。

 単独行動でこんな場所に来る程度の事は、大目に見て貰おう。


 コートの内側で軽く汗ばんだ肌から、冷たく刺すような海風が情容赦なく体温を奪っていく。


 ――これだけ世間で話題になっているのだ。もしかするとここD県でも会えるかも知れないと思った。

 そう、あの妖怪“アマビエ”に。


    *    *    *


 澄んだ空気と光線の具合の所為せいか、夏場に訪れた時よりも水平線が遠く感じる。

 何も無く、誰もおらず、全てが停まったかのような視界の中で、ただ打ち寄せる波だけが時を刻んでいる。

 

 ざばり、と不意に一際ひときわ大きな水音がした。

 見ると――水着姿の少女が海から上がってくるところだった。


 海水の温度は気温よりむしろ高いとは言うが、とても泳ぐような季節ではない。

 そもそも、うら若い少女がこんな処でひとり泳いだりするものだろうか。

 それに――つい先程まで周囲には誰もいなかった筈だ。着替えや荷物の類も見当たらない。


 少女は、ぺたりぺたりと砂浜に素足の跡を残しながら、こちらに歩いて来た。

 華やいだ珊瑚朱色のビキニをまとった色白の肢体の上を滑るように、艶めいた長い黒髪が揺れている。


 無人の冬の海で泳ぐ少女。普通に考えれば、まずありえない光景だ。

 只、れは、どこか詩的で趣のある光景でもあった。

 こういう場合、普通の人間であれば、恐怖と萌えとどちらが打ち克つものなのだろうか。


 僕のすぐ前までやって来た少女は、僕の鼻先に小さくて可愛らしいその掌をかざし、右に左にひらひらと振ってみせた。

 海から上がってきたばかりだというのに、その長い髪も、ビキニの水着からはちきれんばかりに存在を主張している肌も、水滴の一粒たりとも付いてはいない。

 あえて何も反応せずにいると、少女はぐっと顔を寄せて来る。

 潮の香りを打ち消すように、女の子のいい匂いがした。いや、人間の女子の匂いなど、こんな近い距離で嗅いだ事はないのだが。


「ん……やっぱ視えないのかなぁ」


 驚くばかりの萌幻燈アニメ声で彼女はそう呟いた。

 人間離れした――まさしくそんな形容が似合う美少女である。少なくとも僕の目にはそう映っている。

 少女は顔を近づけたまま、白魚のような指先で僕の頬のあたりを突つこうとした。


「――視えてますよ」


 僕の言葉に、少女は驚いて飛び退すさった。

 そして、弓の弦が反動で戻ってくるがごとく、再び僕に近付いてきた。


「わたしが見えるの!?」


 人形のようにつぶらな瞳をぱちくりとさせ、少女は云った。

 その声には、嬉しそうに弾んだ調子が含まれていた。


 妖怪は誰でも視ることが出来る。

 より正確に言えば、視えると信じている者であれば、誰にでも。

 ――



 例えば、大いに人口に膾炙するところでは鎌鼬かまいたちなる妖怪がいる。

 人を転ばせ、小さな鎌で斬りつけて創を負わせ、血止めの薬を塗って逃げて行くという、何が楽しいのやらさっぱり分からぬ妖怪である。

 ひと頃は『竜巻などで生じた真空状態で肌が裂けるのだ』などと尤もらしい解説が幅を利かせたこともあったが、そんな器用な真空状態がちょくちょく生じようものなら、其れは其れで立派な超常現象ではないか。


 真相は大方、山中を歩いていて木の葉などで知らず知らず傷つけてしまっただけであろう。

 本の頁で指先を切ってしまった経験がある者なら承知だと思うが、薄く柔らかな一片であっても、やり様によっては意外にも深く皮膚を切り裂くことが出来る。そうしたきずは大抵、その瞬間には痛みを感じず、さして血も出ない。

 暫く経ってから、見覚えのない創に気付くという寸法だ。

 ――そんな時、山道の脇の茂みや、木々の枝の上を、鼬や狸のような小動物がサァッと横切る。

 恐らく人影に驚いたのだろう。しかし、視る者にとっては其れこそが妖怪鎌鼬の逃げ去る姿となるのだ。



 僕には確かに、目の前にいるこの美少女が視えている。

 けれども、もし今ここを通りがかった人がいたとしても、この浜辺には僕ひとりの姿しか認められないだろう。

 だから僕は、妖怪を写真に撮ろうとするのだ。


    *    *    *


 ビキニの少女は、砂の上でぴょんぴょんと跳ねた。


「うれしいなー。わたしが視える人なんて、何十年ぶりだろう?」


 名が付き姿形が与えられ、人々から認識された瞬間から、その事象は妖怪となる。

 認識されないものは視える事もない。

 だが今となってはこの妖怪の姿が視える者も少なくはないのではないだろうか。


「ふふ。せっかくだから訊いちゃおうかな~。わたしは何という妖怪でしょう~?」


 水着姿で僕の廻りをぐるぐると歩きながら、彼女は云った。明らかに浮かれている。

 これはあの、『いくつに見える?』という類の質問と同じだ。

 間違った回答――実際よりも幾分若い――が返って来るのを期待しているのだ。

 海座頭や舟幽霊といった著名な海妖怪の名を答えて貰いたがっているのかも知れない。


 が、僕は事もなげに答えた。


「何って、“アマビエ”でしょう」


 彼女は、また大きく眼を瞬かせた。

 まさか自分の事を僕が知っているとは思いも寄らず、当てが外れたのだろう。しかし、一息遅れてそれよりも喜びのほうが上回ったらしかった。


「……ええ~っ!? ほ、ほんとに、わたしのこと知ってるの!?」


 彼女――妖怪アマビエは、感激のあまり身を震わせた。そうやって跳ねたり動いたりするたびに、ビキニに包まれた胸が弾んで揺れるのが気になってしまう。


「地道に営業活動してきた甲斐があったよー。摺物すりものって、ほんとにすごいんだね!


 摺物とは、いわゆる瓦版――木版で刷られた1枚の新聞。地震や火事といった天災についての記事や、心中などの男女の醜聞から娯楽的なゴシップまで何でもあり、つまり現代でいうところの週刊文春みたいなものだ。


 1846(弘化3)年、『肥後国海中の怪』と題された摺物に描かれていたのが、このアマビエという妖怪に関する最古の記録である。

 今の熊本県のあたりで、毎晩海中で光るものが目撃されていた。役人が現地に赴いたところ、アマビエと名乗るその怪異の張本人がのこのこと海から現れ、「当年より六ヶ年は豊作となるが、もし疫病が流行ったら私の姿を絵に写して見せよ」と告げ、再び海中に帰って行ったと云う。

 そして実際その摺物には、ヒレのような三本足とクチバシを持った長い髪の人魚――地元の小学生から公募したゆるキャラか何かかとしか思えないアマビエの姿が描かれていたのだった。

 

 そう、この奇妙な妖怪は、自分の姿を絵にして拡散して貰いたがるという性質を持っているのである。

 そして其れは、僕にとっても本来の目的であった。


 電信手帳スマホのカメラを向けると、アマビエは今度は何やら得意げな顔をした。ころころと表情豊かな妖怪だ。


「それ、知ってるよ。妖怪だっていつまでも時代遅れじゃないんだもんね。それで“シャシン”を写して、版画に刷ってもらうんでしょ?」


 ――微妙に知識が古い。が、彼女の生きてきた時間に比べれば、ここ十年二十年で進歩した技術の事など疎くとも無理なかろう。


 液晶の枠の中に捉えた彼女の表情が、今度はふと少し不安げな色に翳った。


「ねえ……あなたからは、わたしって、どんなふうに視えてる?」


    *    *    *


 妖怪を認識するのは人である。

 僕が今視ているアマビエは、予算を吝嗇ケチったマスコット崩れのようなあの姿ではなく、ビキニを着た美少女だ。

 それは僕が、妖怪とはそういうものだと常日頃から夢想しているからに他ならない。

 実際に液晶に映っているのは、揺らめく海面の照り返しや、風に撫でられる細かな砂の動きであり、耳に聴こえるのは打ち寄せる波の音と海鳥の声。それらが一種の催眠となって僕に少女の幻影を見せている。

 枯れ木が幽霊に見えるように。猫の盛りが泣き喚く赤子に、虫の声や家鳴りが妖怪の立てる物音に聴こえたりするように。


 そんなもの、ただの錯覚、幻覚の類じゃないかと云われるかも知れない。

 近代に入ってからというもの、科学的思考の浸透によって、多くの妖怪が存在そのものを否定されてきた。

 かの“児啼爺こなきじじい”などは、伝承地である徳島県における研究者のフィールドワークによって、「実際に赤ん坊の泣き声を真似た奇声を発しながら徘徊する老人が実在し、子供らを気味悪がらせていた」と云う、何ともコメントに困る正体ルーツがほぼ解明されていたりもする。


 しかし再び鎌鼬かまいたちを例に取ろう。そのきずの正体は木の葉によるものかもしれない。

 だが、山に入った者全てが必ず創を負うわけでもないだろう。その事象はなぜ起こるのか。


 奇しくも西洋にも“ラプラスの悪魔”と称される、偶然の因果律を原子レベルで全て把握し得る超越存在の概念があるが、たまさか木の葉がそのように動いて人の身体に創を残す――その偶然そのものこそが、妖怪の意思なのではないか。

 鎌を持った鼬の妖怪と云う、、それが妖怪というものなのではないか。


『もしも愛が幻想なら、同じ幻想を見れりゃそれでいい』と及川光博ミッチーも唄っている。


 

 この世に不細工な妖怪など一匹もいないのだよ。


「――わたしって、どんなふうに視えてる?」


 彼女のその問いに対して、僕は迷わずこう答える。


「とても可愛い女の子ですよ」と。


 己を認識してほしい、己の姿を定義してもらいたい――

 おそらく其れは、彼女のような妖怪にとってはとても重要な事なのだろう。ともすれば存在そのものを左右する程の……。


「『かわいい』と、皆がわたしを絵に描いてくれる……?」


「ええ、そうです。写真もネットで拡散されるでしょう」


 ――そのためには、この幻想を共有できるだけの画像を撮らなければならない。

 僕は、意味がわからずきょとんと突っ立っているアマビエに向かって云った。


 まずは基本の立ち姿からなっていない。

 カメラを向けられた小さい子供がよくやるように、砂に両足をベタリと付けた棒立ちだ。これではどんなに良い素材も魅力が半減してしまう。


「――頭の天辺から糸で吊るされていると、そう意識するんですよ。重心を下に向けちゃいけません」


 美少女とは、あくまでふわりと軽く、宙に浮くような存在である必要がある。

 美少女が重力を感じさせていいのは、前屈みになった時の胸と髪だけだ。


「え、えっと……こう、かな……?」


 彼女はぎこちない動作で身をくねらせ、不慣れながらもポーズを取り始めた。

 流石は、自分を描いた絵を人に見せよと云う妖怪である。存外に筋がいい。


 ――しなを作るその様には、何処か見覚えがあった。

 アマビエの記録と時代的に重なる“五渡亭”a.k.a 歌川国貞の美人画の構図である。


 国貞は二十二歳から美人画や春画を描き始め、艶本や滝沢馬琴の合巻本ラノベの挿絵などを手掛けた、文化文政時代のいわゆる化政文化を象徴する人気萌絵師である。少しはだけた着物の下の、女性の身体の曲線美を生々しく想像させる筆致に定評がある。


「はい、上出来です。可愛いですよ」


「わたし、かわいい……?」


 僕に言われるままに、両手で胸を寄せるような仕草をしながら、はにかんだ表情でアマビエは云った。

 無論それも逃さず写真に収める。そうこうするうちにすぐに記録容量が一杯になってしまった。


「名残惜しいですが、僕はそろそろ――」


 帰り支度を始めた僕を見て、彼女は心底寂しそうな顔で、僕のコートの袖口を掴んで引っ張った。


「もう行っちゃうの……?」


 今まで生きて来て、こんな台詞を掛けられた事など無い。


 だが、あまり遅くまでいる訳にもいくまい。帰りの道程も二時間ほど見なくてはいけないのだ。

 ごく普通の高校生としては、門限は守らなければならない。


「また明日も来ますよ。どうせ暇ですし」


 そう言うと、彼女はぱぁっと顔を輝かせた。


「ほんと? ぜったい、ぜったいだよ!」


 そう繰り返すアマビエに別れを告げ、僕は自転車にまたがってペダルを漕ぎ始める。

 赤信号で停まって振り返ると、アマビエは浜辺からこっちを見たまま、千切れんばかりに手を振っていた。



    *    *    *



 翌日。昨日より更に良い具合に晴れた海岸で、僕は再びアマビエと出会った。

 ――と言うか、波消しブロックの上に腰かけて、ビキニ姿のまま待ち構えていた彼女が先に僕を見付けて手を振って来たのだが。


「今日も、“シャシン”を撮ってくれるの?」


 散歩に行く前の犬みたいな様子でそう訊いてくる彼女を前にして、僕は持って来た荷物の中から或る物を取り出した。

 海辺の美少女と言えば決して欠かす事の出来ない――純白の清楚なワンピースである。


 アマビエは、大きな目を一層丸くし、息を呑んでそれを見つめた。


「当世風の着物だ……!」


 おずおずとワンピースを受け取ったアマビエは、おっかなびっくりその生地を拡げてみる。


 ビキニ水着で現れておいて今更何を――と思うが、本来想起される出で立ちを変えると云うことは、彼らにとって其れ程に重大な事なのだろう。


「これ、ほんとにわたしが着ていいの?」


 少し不安気な上目遣いで、彼女は僕の顔を見てくる。

 其れは、彼ら妖怪の存在認識アイデンティティに関わるものであるからだ。


「あのね……。昨日の、もう一回言ってもらっていい……?」


 昨日の――

 少し考えてから、僕は云う。


「アマビエさんは可愛いので、その服もきっと似合いますよ」


「……えへへー」


 彼女は照れ笑いを浮かべ、意を決したようにワンピースを頭からかぶった。

 袖を通し、長い髪を襟元から出すのを手伝ってやると、彼女が重ねてまた僕に訊く。


「わたし、かわいい?」


 どこで覚えたのか、あるいは僕の深層心理に応えてそうしているのか、彼女はワンピースの裾を少したくし上げるようにしながら、その場でくるりと回ってみせた。

 白い裾が波のように翻るのを見ながら、僕が黙ってカメラを向けながらうなずくと、彼女は目を細めて嬉しそうに笑った。


 水着が下に透けて見えるのが是又エロティックで良い。


 ――ちょろい、ちょろすぎる。


 大方の妖怪は、彼らの出す条件さえ呑んでやれば“ちょろい”ものであるが――

 矢張やはり彼らは、人間から認識される事自体を目的としている節がある。

 寝ている人の枕を返したりする事に、他にどのような意味があると云うのか。


 ひとしきり彼女に様々なポーズを撮らせて画像に収めた後、僕は二着目の衣装を取り出した。


 濃紺の、極めて正統派オーソドックスなセーラー服である。


「――水兵さん?」


 アマビエは、衣装を受け取りながら不思議そうに云った。

 アマビエの噂は、明治時代に入ってからも再流行した事がある。その当時の知識だろうか。


 彼女は、スカーフを引っ張ったり、スカートのファスナーを突ついてみたりしている。


「あぁ、着方がわからないんですね。着せてあげましょうか」


「い、いい! 自分で着られるから!」


 最初は水着姿だった癖に、何故か目の前で着替えるのは気恥ずかしくなったらしく、彼女はセーラー服の上下を抱えてブロックの陰に引っ込んでしまった。


    *    *    *


 暇を持て余した僕は、電信手帳スマホにしたためた記録を整理し直してみる事にした。

 昨夜、画像を整理するついでにインターネットをひもといて調べて結果である。


 彼女――“アマビエ”の摺物から二年さかのぼった1844(天保15)年に、越後国において“海彦アマビコ”なる妖怪の目撃談が、絵図と共に記録に残っている。

 三本足の黒い猿のような姿をした其れは、海中から現れて「当年に日本人の七割が死ぬ。だが私の姿を描いた絵図を見た者は死を逃れることが出来る」と予言したと云う。


 アマビエが目撃されたのはこの二年後、越後から遠く離れた肥後の海である。

 越後の“海彦”自体もまた、それ以前に広島や名古屋に類話が存在すると云う説もあり、これ程よく似た事件が偶然に同時発生するとは考え難い。“アマビコ”が誤って伝えられたのが“アマビエ”であると結論付けるのが妥当と云えよう。


 高知県から四国中国地方に拡がる“七人ミサキ”や、兵庫奈良滋賀など近畿圏で語られる“砂かけ婆”など、全国に散在する妖怪譚の大半は、伝播の経路がおおよそ想像できるものである。

 しかるに、記録を参照する限り、新潟から突然に熊本までワープしてきたかのように現れたのがアマビエなのである。



 予言する妖怪と云えば、最も有名なのは人面の牛“くだん”であろう。

 後に太平洋戦争などと結び付けられた説話が有名な“件”だが、最古の出典は江戸時代まで辿る事が出来、其処では“くだべ”となっている。


 ――1827(文政10)年。富山は立山において、山菜採りに来た者の前に現れた人面の化物が「これから数年間疫病が流行し多くの犠牲者が出る。しかし自分の姿を描き写し絵図を見れば、その者は難を逃れる」と予言したとされる。

 是又これまた、何処かで聞いたような話である。


 実のところ、この時代の妖怪譚では、「自分の姿を絵に描け」と要求する妖怪は決して珍しくなかったのだ。

 其れは――ラブコメの幼馴染がツンデレであるのとほぼ同じぐらいのテンプレ度合いである、と言えばわかるだろうか。

 この時代というのは、天保の改革前後、瓦版が流行し始め大量に刷られるようになった時期と一致する。


 流石にWebやSNSとまではいかないが、現代のごく普通の高校生である僕が想像しているよりもずっと、当時の人々の文化の情報網ネットワークは、日本の端から端まで届くほどに広く、そして密なものであったのかも知れない。

 多少雑で、伝播の途中で変形したりしてしまうのはご愛敬――いや、これも現代でも同じか。



 近代の創作であることが明らかな怪談物語を除けば、ほとんどの妖怪は、化け物に変身して人を喰らったり巨大な火の玉を吐き出したりと云った、明らかに物理法則に反するような能力は持たない。


 豊作不作や疫病と云った、自然に起こり得る出来事にまつわる『予言』を特性とするのも、という仮説と符合するではないか。

 そしてその能力は、その妖怪の存在が人々に広く認識されるほど発揮されるのだろう。


    *    *    *


 さて――

 これを踏まえると、彼女――アマビエの予言は、本家と思われる海彦のものとは最早全く別種のものであると云えよう。



 ブロックの陰から、セーラー服をちゃんと着こなしたアマビエが顔を覗かせた。

 可愛い。

 何処から見ても、学校帰りに裸足で波打ち際で遊ぶ女子高生――しかもとびきり美少女の――だ。

 しかし、美少女妖怪の探求者としては、其れは其れとして確かめねばならない事がある。


 恥ずかしそうに少し俯き加減でこちらに歩いて来るアマビエの姿を、是は是で絵になるなとシャッターを連打しながら、僕は訊いてみた。


「ところでアマビエさん……“海彦”という妖怪に心当たりはありますか? 海から出て来て予言をし、自分の姿を絵に描けと云ったそうなんですが」


 彼女の脚がぴたっと止まった。


「そして実は――越後で“海彦”が目撃される二十五年も前に、肥前国において“神社姫”という妖怪の話が伝えられているんですよ」


 頭に双つの角を生やした人面魚のような姿を持つ神社姫は、浜辺に現れてこう告げたと云う。


『当年より七ヶ年豊作が続く

 此節又コロリといふ病流行す

 我姿を書に写して見せしむべし

 其病をまぬかれ長寿ならしむる』


 言うまでもなく肥前国は、アマビエが目撃された肥後の隣だ。


 ちょうどあの版画そっくりに、そっぽを向いて口をとがらせ、空惚そらとぼけた顔をしている彼女に向かって、僕は云った。


「妖怪アマビエ――あなたの存在は越後の“海彦”から、予言の内容は肥前の“神社姫”からの借り物ですね?」


「……うぅ……」


 愈々いよいよ観念したのか、彼女の口から妙な呻きが漏れた。


「ごめんなさい~」


 彼女は土下座でもするように、砂浜に膝と両手をついた。


「そうなの……海彦さんと神社姫さんからパクりました……」


 しおらしく認めた彼女のスカートに、砂がまとわりつく。

 彼女は気にしているようだが、何も其処を責める積もりなど無い。


 ――只、腑に落ちない処がある。


 別の伝承を下敷きにして妖怪が生まれるのはくある事だ。

 しかし何故“海彦”の予言をまま使わず、“神社姫”の予言を習合させたのだろうか。


 そう問うと、彼女は足元の砂を指でいじりながら答えた。


「だって七割死ぬとか怖すぎだし……」


「更に、神社姫の予言と比べると『自分の絵を見せろ』と云うだけで終わっていて、病気を避けられるとも長寿になるとも明言していません――其れは、どうしてですか?」


「大きなこと言っちゃって、もし出来なかったら困るから……」


 ――七年の豊作を六年にしてみたり、どうして改変の仕方がこう一々みみっちいのか。



 そして、最後の謎。

 越後の“海彦”の絵図を見て、真っ先に連想する海の生き物がいる。海豹あざらしだ。


 海豹を未だ知らなかった人間にとって――全身海水に濡れて黒光りし、ヒレと尾を使って移動する姿は、三本足のあの妖怪に視えたのではないか。


 しかしアマビエの絵は、昨日も書いたように極めて独創的なルックスをしており、伝聞による変遷と云うだけでは到底説明が付かない程、元の海彦とは似ても似つかぬのである。

 いったいあの絵姿は、何処から来たのか――。


「けっきょく誰もわたしの絵を描いてくれなかったから、仕方なく自分で描いた絵を瓦版屋さんの前に置いておいたら、それが刷られちゃって……」


 ――お前か。


 パクツイで嘘松で自作自演――

 現代のSNSだったら最悪に叩かれる炎上妖怪ではないか……!


「ごめんなさい……」


 しゅんと項垂うなだれるアマビエに向かって、僕は云った。


「――可愛いから許します」


「……え?」


「仔猫の悪戯を本気で叱る人がまずいないように、人間は見た目が可愛ければ大抵の事は容赦してしまう生き物なんですよ。可愛いは正義です」


「ほんと……みんな、わたしのことちゃんと妖怪として認めてくれる……?」


「ええ。こうやって可愛い画像を拡散すれば、みんながあなたの姿を視たいと思う筈だ」


 僕はスマホの画面をアマビエに見せながら指を滑らせ、厳選した昨日の画像を順番に彼女に見せてやった。


 明るい顔になって其れを眺めていた彼女の視線が、不意に止まった。


「え……このたち、いったい誰……?」


 急に冷たくなった声で、そう云う。

 彼女に向けていた画面を確認すると、其処には――。


 ブレザー、セーラー服、ミッション系ワンピースと、三者三様の制服をまとった女の子たちが、頬を寄せ合ってピースサインをしていた。


 去る秋の連休、山に籠って撮影に成功した鎌鼬かまいたち三姉妹である。


 勿論、制服は撮影用に僕が用意した物で、真ん中の娘が着ているセーラー服は、今アマビエが着ている物だ。


「――わたしだけじゃなかったんだ」


 アマビエは、何故か不機嫌そうな膨れっ面になり、乱暴にスマホを僕に突き返して喚いた。


「ひどいひどい! ほかのに着せた服を着させたのが、いちばんひどい!」


「は? 撮影用の衣装ってそういうものでしょう」


「……もう知らないっ! 病気にでも何でもなっちゃえ!」


 セーラー服の上下を乱暴に脱ぎ捨てて再びビキニだけになると、アマビエは砂を蹴って駆け出して行った。


 そうして海に飛び込んだきり出て来ない。

 何度か呼びかけてみたが無駄だった。


 ――やれやれ。


 仕方なくワンピースとセーラー服を拾い上げ、僕は諦めて帰ろうとした。


 ――ばしゃん。


 水音がして振り返る。やはりそこには何の姿も見えなかったが――。


 ……ばか。


 耳元で、風の囁きがそんなふうに聴こえた。


    *    *    *


 自宅に帰り、僕は今日撮ったワンピース姿の彼女の画像を電子画廊インスタにアップした。


 本当に、心の底から嬉しそうな、いい表情をしている。

 こんな妖怪がいるかも知れない。いたらいいな。――心の片隅でそんなふうに思えてきたならば、ネットや画像を通してでも、きっとこの笑顔が視えるだろう。


 そして――


 キャッチーでインパクトのある不吉な予言を敢えて避けて、ただ自分の姿を描いてほしいとだけ云い替えた、あの純粋で心優しい女の子の事だ。

 江戸時代よりも明治時代よりもずっと多くの人間が彼女の存在を信じたのなら、本当に疫病を鎮める力ぐらい持つかも知れない。



 もし海辺で彼女の姿を見かけたなら、是非「可愛い」と褒めてやってほしい。

 きっと少し照れながら、でもとても嬉しそうに笑うだろうから。





    (参考文献: 『予言獣アマビコ考 -「海彦」をてがかりに-』長野栄俊)

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