第4話「それは白い雪のように」
試合時間は20分、その間でより多くの点を取った方の勝ち。先行は厳正なるジャンケンの結果孝一が奪い取った。
センターラインの中心で孝一と智美が向き合う。雅巳と瑠璃は邪魔にならない位置で並んで座っていた。二人の間には微妙な隙間が空いている。なんであんなに離れてるんだと訝しんでいると、ほらよそ見しない、と智美に怒られた。
審判は雅巳の担当になった。彼は体育館端の時計の秒針が0になるのを待っていた。残り8秒……4、3、2、1。
「試合開始!」
雅巳の合図と共に二人は動き出した。
孝一がじりじりと前に出る。智美は横を抜かれないように牽制。猫同士の喧嘩のように飛び掛かるタイミングを待っている。
孝一が大きく身体を傾けた。仕掛けてきた! 智美も大きく前に出る。だが初歩的なフェイントだ。彼女の突進と逆方向に突き抜けるようにドリブル。キュ、とゴム地の擦れる音が鳴る。ゴールから2メートル手前でフリー、跳躍、完璧なタイミングのレイアップ。
「って外してるし!?」
リングで跳ね返ったボールはコートの外へ。なんだよっと舌打ちしながら拾い、智美に投げて寄越した。
「ナイスフェイント」
「うっせー死ね」
スポーツマンシップに乗っ取った悪態が交わされる。
攻守交代、智美の攻撃。彼女はフェイントを使わなかった。しかし相当に強引な進み方で孝一を後退させていく。押し切られてたまるかと前に出ようとした孝一の、踏み込みを図ったかのような見事なタイミングで智美はバックステップ。孝一がバランスを崩して転倒する。スリーポイントラインのギリギリ手前、フェードアウェイ気味のロングシュート。スパッと綺麗な音を立ててネットが揺れた。
「ぃよっしゃぁー!」
「ちっくしょおお!?」
孝一が頭を抱えた。満面の笑みを浮かべながら瑠璃に駆け寄りハイタッチを決める。雅巳は苦笑していた。
「えー、あれ決めちゃうんだ……。コウやばいよ、お前負けるかもよ」
「冗談! まだ18分ある!」
試合は拮抗する。孝一がコートの真ん中からやけくそで放ったスリーポイントシュートが偶然決まって智美と二人して驚いたり、智美がこの短時間でフェイントを習得したり、孝一のレイアップの精度がだんだん上がってきたりしていた。
試合の最中瑠璃はずっと一生懸命に雅巳に話し掛けていた。雅巳は適当に相槌を打ちながら試合の行方を見守っていた。
「残り一分か。コウ、このままだと本当に負けるぞ」
「え? 今何点差?」
「1点差。一分で決められるか?」
「なめんな!」
問題は単純だと孝一は思う。要するに智美に攻めさせずに自分が決めればいい話だ。
ここまでの試合で智美の癖は見えていた。それでなくても体育の授業や普段の小競り合いで大体の性格は知っている。ダン、ダンとボールのバウンド音。智美と目が合う。彼女は笑っている。俺も同じ顔をしているだろうなと自覚する。
点差は智美に有利。接触を避け逃げ回っているだけで向こうの勝ちは確定する。だが彼女がそんな手を取る相手ではないことを孝一は知っている。
智美が駆けてくる。その動きの先がはっきりと読めた。右に踏み込み、と見せかけて左、だがそれも又フェイント、本命は右!
スピンムーブから抜き去ろうとした智美から孝一はボールを奪い取った。
「取られた!?」
「当然ッ!!」
その位置からシュート。軌道はまっすぐゴールへ向かう、いや、少しだけ左。バックボードでリバウンド。智美が安堵の表情、だがすぐに焦りに変わる、跳ねたボールの落下地点に孝一が走り込んでいた。
空中でホールド。そのまま攻撃態勢。すっと投げられたボールが一瞬の連続のような放物線を描いた。
オレンジ色のリングに接触。ボールは長い時間を掛けてリングの周囲を回転する。息を飲む永遠のような時間、やがて運動エネルギーを失ったボールは、引き込まれるようにネットの内側に落ちていく。
バウンド音と同時に時計の秒針がゼロを捕らえる。
「あ――――――、負けた負けた負けちゃった! 超くやしいなーあーもうーっ!!」
智美は口調とは裏腹に随分爽やかな態度だ。冬場の寒さを忘れたように彼女の頬が火照っている。お疲れ様、と良いながら瑠璃がタオルを渡した。
「いや、良い勝負だったよ。正直コウが勝てるとは思わなかった」
雅巳が拍手をする。孝一はそれに相槌を打った。
「本当だよな、智美があんなバスケ上手いなんて知らなかった。いやホント、すげーよお前……」
「んー、でもやっぱり男子には勝てないなぁ。もうちょっと行けると思ったんだけどな……」
試合前までのわだかまりは二人の間からすっかり消えてしまったようだった。瑠璃がその様子を見ながら雅巳の袖を引いた。
「ねえ、今コウくん、智美のこと名前で……」
「え、そう? 聞こえなかったよ僕は」
雅巳はとぼけた顔をした。「まあ、そんなことより本題だ。約束通り教えてくれる?」
「うん、まあ、約束だもんね」
智美が言う。
「本は第二資料室に隠してある。ゴミ袋の中に偽装してさ。いやー、あれ運ぶの大変だったよね重くってさ。この中身全部エッチな本かと思うとちょっと引いたけど、そんなのどうでもよくなっちゃった。そういう本が好きでも好きじゃなくてもコウたちとあたしたちが友達だって事には変わりないよね。……なに、二人ともどうしたの、そんな顔して」
「第二……」
「資料室……?」
孝一と雅巳は顔を見合わせる。
焼却炉の方向から白煙が見えていた。
「ちょ―――!?」
孝一たちは全力で走る。後ろから事情の分からない智美と瑠璃がついてくる。
体育館から校舎に続く渡り廊下を駆け抜け、100メートル近くを走って北口玄関に到着する。靴を履き替えて外へ。焼却炉は学校の敷地の隅にある。全力で走って一分程度。
焼却炉の前で靖がコーラを飲んでいた。ビニール袋を下げている。
「靖!」
「おー、孝一、捕まえたんだ」
靖が笑っている。
「大変だったー、川田追い払うの。ジュース奢って貰ったのに失礼だけどさ、事情が事情だし、近くにいられると困るよね……。でも俺あいつのこと見直したよ。結構シュミ合うし冗談も通じる。いい担任持ったよね、俺ら」
「分かったから焼却炉今すぐ止めろ――!!」
「え、何? え?」
さて、ここで重大なことは以下の二つである。
1、孝一たちは誰一人焼却炉の操作方法を知らなかった。
2、教師に事情を説明することは出来ない。
この二つの命題から導かれる結論は極めて明快だ。
つまり――見送るしかなかったのだ。
「お、オレのフーミンが! 宮沢りえのサンタフェがぁぁ!!」
「そんなことより僕ののりピーはどこに行ったんだ!? うわああ!!」
「お、俺の電影少女が……あいちゃん! 戻ってきてくれあいちゃあああああああん!!」
12月の空の下に三人の絶叫が木霊する。
木枯らしは彼らの声を遠くへ運び散らしていく。
彼らの声に気付いたのだろう、教室から真由美と麻衣が降りてきた。「あいつらどうしたの?」と智美たちに尋ねる。そして怪訝な顔になった。
智美は唇を噛み締めていた。
瑠璃は両手で顔を覆い、必死に何かを堪えていた。
今ここで音を立てて何かが死んだのだ。
彼らの青春と言えるもの。世界の終わり。
灰になって葬送されたそれは白い雪のように、見えない地平に積もっていく。
―――
彼は新着メールを開く。
『今バスを降りたところ。
あと10分くらいかな。みんなもう着いてる?』
差出人の名前は後藤靖となっている。
『オレたちはとっくに着いてるよ。可及的速やかに全力で走れ』と返信を書いた。
「あれから随分経つんだよね。みんな元気かな?」
「さあ。色々変わっているかもしれないし、変わっていない気もする」
実際、それは分からない。だけどすぐに分かることだ。例えどんなに変わっていても、きっと期待は裏切られることがないだろう。
あの時死んだ時間が今ここで変わらず待っていてくれる。そんな気がしている。
彼は目を細めながら十数年ぶりの学び舎を見上げる。
今日は5年2組の同窓会。懐かしい出会いの日に相応しい晴れ渡る空の下、あの頃と同じ姿でここに在る。
「なぁ、ET」
「何よ、エリオット」
「きっとオレたちはここにいるよ。これまでも、これからもずっと」
孝一は人差し指で彼女の額を軽く突く。
ばか、と小さく呟いて、智美は彼の指に自分の指を重ね合わせた。
それは白い雪のように 広咲瞑 @t_hirosaki
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