第3話「タイニィ・コミュニケーション」

 図書室の貸し出しカウンターには司書の横山先生が座っていた。

「あら、こんにちは。休みなのにお勉強? 偉いわねぇ」

「えっと……」

 違います、と言いかけた孝一は雅巳に止められた。

「オレたち偉人の勉強してるんです。自主勉強なんですけど。本格的にやりたいから伝記を読もうと思って」

「あらあら、それは素晴らしいわね。棚、わかる?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 丁寧に礼を言ってその場を去る。ナイスマサ、と先生に見えないように手を打ち合わせた。

 伝記の棚はカウンターから真っ正面の所にあった。勝利の余韻も束の間、途端に居たたまれなさが沸いてきた。何しろ後ろを振り向けば横山先生がニコニコしながら自分たちの背中を見ているのだ。

「早いとこ見つけような……」

「うん……」

 ガリレオ、エジソン、野口英世……。偉人たちが長い時間を掛けて築いてきた歴史を10秒単位で紐解いていく。ごくたまに面白いことが書いてある場合はついつい読んでしまうこともある。リンカーンの髭が子供のダメ出しを受けて生やされたものだと知り、うちの親ももっと俺たちの言うこと聞いてくれればいいのに、と孝一は密かに思ったりした。

 例えばTVチャンネルの決定権を独占しないとか、夕食は毎日焼肉とか、そういう気の利いたサービスが欲しい。

 三人で手分けして探していく。やがて靖があっ、と声を上げた。三人が覗き込んだところにはまたノートの切れ端が挟まれている。包帯を巻いて涙を流す猫から吹き出しが出ている。

『やーん、怪我しちゃったニャー』

「保健室!」

 三人が同時に叫んだ。えっ、と驚いた顔の横山先生。三人は慌てて首を振った。


 保健室は教室の一階にある。階段を下り、しばらく廊下を歩く。靖の手にはニュートンの伝記があった。

「借りてこなくても良かったんじゃないの?」

「自主勉強なんて言っちゃったから借りてかないと疑われるかなって……。でも読むの面倒くさいなー」

 職員室の前を通る。その時ちょうど引き戸が開いた。「お、何だお前ら」と言った顔を見て孝一達が固まる。

 現われたのは彼らの担任の川田先生だった。

「なんで学校にいるんだ? 今日は土曜だぞ。あ、さては去年までの癖が抜けてないな? まあその気持ちもわかるけどな」

 川田先生が言っているのは、去年までは土曜日にも学校があったが、今年から週に2回だけ休日になったという話だ。新制度の施行が伝えられたとき、クラスの中でも真面目な者は「勉強する時間が少なくなる! これは悪い制度だ!」と怒っていた。孝一たちは単純に休みが増えることを喜んでいた。どうせなら毎週休みになればいいのに、でもそんなの無理に決まってるよな、などと三人で話したことを覚えている。

 孝一たちが俯いていると、川田先生は何か思いついた顔をした。

「あ、そうだお前ら。ちょっと仕事を手伝ってくれないか? どうせ暇なんだろ」

「暇じゃないよ、オレたちは……」

「ん?」

 正直に答えることなど出来るはずがなかった。「暇です……」と三人揃って答える。よし、と川田先生は満足そうに頷いた。


「うわー、相変わらず汚ったねぇなココ」

 川田先生に連れられて来たのは第二資料室だった。やはりどう見ても物置にしか見えない。

 孝一には、川田先生の態度が普段より随分くだけているように思えていた。口調は普段と変わらないもののどことなく態度が気安い。自分たちが特別扱いされているような気分になり、少し誇らしい気持ちになる。

「学期末に大掃除があるだろ。でも、こんな汚い部屋いきなり掃除しようったって大変だ。だから早め早めに準備だけでもしておこうかな、というわけ」

「それ、ただでやらせようっていうの?」靖がニヤニヤ笑って言う。

「お前らには分からないかもしれないけど、教師って結構安月給なんだぜ」

「先生には分からないかもしれないけど、オレたちだってプライドがあるんだぜ」

「……コーラ三本で手を打たないか」

 どうする? まあいいんじゃない? 鳩首会談は凡そ5秒で全会一致を見た。彼らのプライドの価値が合計330円であることが確定する。

 今月ヤバいんだけどなぁ、と呟く川田先生を尻目に三人のテンションは若干増加。

「教室の端にゴミ袋があるだろ? こいつを焼却炉まで持って行く手伝いをしてほしい。一人でやると何往復もしなきゃならないから面倒なんだ」

 そこには孝一たちが入れそうなサイズの黒いゴミ袋が4つ並んでいる。どの袋も大きく膨らんでいる。試しに持ってみると、ふたつは軽く、ひとつは普通、ひとつはやけに重かった。「こんなの持てねーよ!」と孝一が言うと、川田先生はニヤッと笑って一番重い袋を持ち上げる。しかも片手で。

「ま、これがガキと大人の違いってヤツだ」

「今思ったんだけどコーラ三本って少ないよね」

「ちょ、お前らそれは卑怯じゃないか!?」

 プライドが660円に値上がりした。


 仕事の手順を話し合ったところ、川田先生が普通のものと重いもの、靖が軽いもの二つを持って行くことになった。孝一と雅巳は第二資料室の掃除とロッカーや棚の整理を命じられた。

 ゴミ捨て組が去った後で二人は顔を見合わせる。

「じゃ、保健室行こうか」

「そうだね」

 靖のために合掌した後、二人は保健室に向かった。


 保健室には瑠璃がいた。

 目が合う。彼女は聞き取れないくらいの小さな声で何かを言って頭を下げた。孝一たちも釣られて頭を下げる。

「ええと……」

「……」

「い、いい天気ですね……」

「うん……そうだね……」

 エアコンの音が五月蠅かった。

 なんだこの空気、と思いながら孝一が口を開いた。

「竹田さんたちから聞いたんだけど、小野さんがあの本の場所を知ってるって」

「あ、そういうわけじゃないの。わたしはヒントを持ってるだけ」

 瑠璃は孝一に便箋を差し出した。キャラクターの印刷されたピンクの紙の真ん中に、可愛らしい丸文字で次の行き先が書いてある。

『智美が体育館で待っています』

「……ふと思ったんだけどさ、口で伝えればいいじゃん? なんで手紙なの?」

「な、なんでだろうね……」

 また無言になる。雅巳が孝一を肘で小突いた。

「ところで小野さんは、その……、あれ、見たの?」

 雅巳が尋ねると、瑠璃は顔を赤くして俯いてしまう。最悪だ……と孝一たちは思った。こういう反応をされると自分たちが汚れた人間であるような気になる。居たたまれない。今度は孝一が雅巳を小突いた。ごめんのジェスチャーが返ってくる。


 黄色と緑と白のビニールテープで書かれた線が幾何学模様のように錯綜する体育館の中心。

 垣野内智美はそこに立って、彼らの到着を出迎えた。

「おっす、ET」

「……どーも」

 智美はバスケットボールを手にしていた。その場でバウンドさせる。ダン、ダンというリズミカルな音が4人だけの体育館に反響する。

「鬼ごっこだと思ってたけどな。バスケするわけ?」

「そっちの方が面白いでしょ? あたしと1on1で勝負。あなたたちが勝ったら、本の隠し場所を教えてあげる」

 ETにしては気の利いた趣向だ。孝一は気分の高揚を覚えた。

「で、どっちがやる?」

「僕がやる。バスケは得意なんだ」と雅巳。

「あ、あのね村木くん」

 瑠璃が口を挟む。

「わたしはコウくんがいいと思うな……」

「なんで」雅巳が不機嫌な顔をする。

「なんでって……」俯き、雅巳を伺うように見る。

 しばらく沈黙。助け船を出すように智美が言った。

「あー、あたしも出来ればコウがいいかな」

「だからなんで」

「人のことを変な渾名で馬鹿にするのが気に入らない」タートルネックの少女は言う。「あたしが勝ったらETなんて二度と呼ぶな」

「へ」孝一が笑う。まだ不服そうな雅巳を押しのけて前に出る。

「勝てると思ってるんだ? 女子のくせに」

「その余裕、いつまで続くか楽しみだわ」

 二人は口元だけの笑顔でにらみ合った。

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