空手家VSジャングルの奥地に潜み人の生き血を啜るもの


「ジャングルの奥地に潜み、生物の血を啜って生きる未確認生命体が街に突如として現れて俺の血をギャーッ!」

「おとうさーん!!」

街は阿鼻叫喚の地獄と化していた。

その理由は皆様も不思議とおわかりになっているだろうが、説明しておこう。

ジャングルの奥地に潜み、他の生命の血を啜り殺す未確認生命体チュパカブラ、

それが突如として街に現れ、人の生き血を啜って回りだしたのである。不思議だね。

しかし世の中には不思議なことが満ちている、具体的に何がと言われても特には思い浮かばないが、世の中には不思議なことが満ちているのだから、街にチュパカブラが突如として現れたところで不思議ではないと言えるだろう。

「俺の右腕がーッ!!」

「おとうさーん!!」

犠牲となったのはサラリーマン風の男だった。

七三分け、黒縁のメガネ、そして大量生産のスーツ。

スーツの下に隠されたその背中にはフェニックスの入れ墨。

運動をしているわけではないが、暴飲暴食に勤しむわけでもない中肉中背の体躯。

サラリーマンを描いてくださいと言われれば、

思わず描いてしまいそうな外見である。

だが、彼の背を見るが良い。

子供の体躯をした二足歩行の爬虫類とでも呼ぶべき存在、

あるいは背の甲羅がない河童とでも言おうか。

サラリーマン風の男におぶさるようにチュパカブラが取り付いている。

鉤爪があり、サラリーマン風の男の肉に食い込んでいる。

そしてチュパカブラは右肩の付け根にその鋭い牙を突き立てていた。

「おとうさーん!!」

チュパカブラがその特徴的な鳴き声を上げながら、

サラリーマン風の男から血を吸い上げていけば、どうなるのか。

男の右腕はミイラになったかのようにからからに萎びていた。

左腕に何の異常も無いというのに、

右腕だけがミイラになっているというのはどういうことだろうか。

「俺の左腕がーッ!」

だが、安心していただきたい。

今、まさにチュパカブラがサラリーマン風の男の左肩の付け根に牙を突き立てて、

血を吸い上げていく。そうなれば急激なスピードで血が失われ、左腕もミイラになっていく。

つまるところ、これで左右の腕のバランスが取れているということだ。

もしも右だけミイラでは左右非対称でなんだか気持ち悪いなぁ、

と思われた方がいらっしゃったとしても、これで安心である。


「やめろ!誰か!誰か助けてくれ!」

サラリーマン風の男は周囲を見回す、

だがチュパカブラの突然の襲来に一般市民どころか野次馬すらも逃げ果てて、

周囲には人っ子一人いないのだ。

「ニャーン」

猫ちゃんはいたね。


「クソ……ッ!こんなところで……俺は……今まさに死なんとしている……」

人間は切り上げ計算で100%の血液を失うと絶命すると言われている。

つまりチュパカブラにこのまま血を吸われ続ければサラリーマン風の男は死ぬ。

痛みはない、しかし異常な眠気に襲われていた。

血液は体内で命を運ぶ、

ならばそれが失われればただただゆるやかに止まるのも必然だろうか。


――替え玉ください

――替え玉ください

――替え玉ください

――いいかげんにしてください


ゴボゴボと泡が生まれては消えるように、

サラリーマン風の男の記憶が蘇っては消えていった。

死の直前に記憶が蘇るというのは、

今までの人生から危機の打開策を見つけるためであるのだという。

しかし、どうしたことだろう。

サラリーマン風の男は自嘲する。


手を伸ばしても、手を伸ばしても、記憶は弾けて消えてしまった。

死を前にして幸福だった記憶を抱きしめて眠ることすら出来ない。


「……畜生ッ!悔しくて悔しくてしょうがない!」

背に取り付いたチュパカブラを見ることすら、サラリーマン風の男にはかなわない。

他でもない自分のことであるというのに、

己の知らないところでただ命が乾いていき、死ぬというのだ。


「おとうさーん!!」

チュパカブラが叫び、とうとうサラリーマン風の男の首筋に牙を突き立てる。

このままではサラリーマン風の男の首の血が吸い尽くされ、

ストローのように細い感じになってしまうだろう。


突如として風が吹いた。

だが、自然現象ではなかったのだろう。

それは空気砲であるかのように正確にチュパカブラを狙い撃った。

悲鳴。その鉤爪ですら堪えきれぬ程の風の前に、チュパカブラが吹き飛ぶ。

背を押されるようにしてサラリーマン風が顔からコンクリートの地面に突っ伏す。


「わかってねぇ奴がいるな」


「あ、アナタは……」

サラリーマン風の男が呟くと同時に、チュパカブラが跳んだ。

街に存在するのは、己と餌一匹それだけのはずだった。

「ニャーン」

あと猫ちゃん。


ジャングルの奥地に潜む未確認生命体が現れれば、

脆弱なる都会人は恐怖し逃げ遅れた者を除けば己のもとに舞い戻れるはずがない。

そのはずだった。

何故だ、チュパカブラは思考する。

だが、思考よりも早く、体は動いていた。


今はまず、不埒なる乱入者の血ィ吸うたらねばならない。


「おとうさーん!!」

「…………わからせる必要があるな」


チュパカブラの視線の遥か先には、古びた道着を纏った男。

帯の色は黒、黒帯とは結構強めの空手家のみに許されたいい感じの色である。

その手には何も持っていない。

ならば先程吹いた風は偶然か、否、何かしらのトリックがあるのだろう。

だが、先程は不意を撃たれたとはいえ、今度は問題ない。


未確認生命体チュパカブラ――

しかし、今回ばかりはその生命機能を確認していただきたい。

IQ200、その鉤爪は鋭く、

その牙は鋭いだけでなく注射器のように血を吸い取る機構を備えている。

そして、チュパカブラが背に持つジェット噴射機構。

何故、チュパカブラが今まで未確認生命体であったのか、

皆様もおわかりになっていただけただろう。

背のジェット噴射機構により、その動きは異常な素早さを持っている。

つまりチュパカブラを肉眼で捉えることは不可能なのだ。


そのチュパカブラが今、一人の男を殺すために全力でジェット吹かしている。


「あー!突如として俺を助けに来てくれた人にチュパカブラがジェット噴射して襲いに行ってるーーーーッ!!!!!」


思わずサラリーマン風の男は目を伏せた。

助けに来てくれた男がジェット噴射吸血死をするところなど、

誰が見ることができるだろうか。


「……おい」

「うわっ!」

「終わったぜ」


だが、再びサラリーマン風の男が顔を上げた時、

傷一つ無い道着を纏った男と、地に伏したチュパカブラの死体であった。


「これはまさか、ジェット噴射で吸血殺を狙ったチュパカブラがカウンターで殺されたというのですか」

「……いや、まぁ、そういう感じだけど」


照れくさそうに道着の男は頭をかいた。

一流の空手家ならばチュパカブラのスピードに対して、

カウンターで正拳突きを見舞い、撃ち落とすことも可能であろう。

しかし――


「あの風は一体……?」

「まぁ、いいだろうよ……わからなくていいことだってあるからな」


じゃあな、早く病院行けよ。そう言って道着の男は手を上げて去っていく。

サラリーマン風の男は、ひたすらに頭を下げてその姿を見送っていた。

病院へ急ぎ、命を繋がなければならない。

そんなことはわかっている、

だがそれよりも自身の命を救った男への礼節を優先したかったのだ。


「……見つけちゃった♡」

そして、その様子を伺う少女が一人。


後に羆を殺しに行くことになる青年、若瀬わかせ

羆を殺しに行かせることとなる少女、殺死天ころして


その出会いはチュパカブラから始まった。

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