最強VS最強



ぜいぜいと蝉が鳴いていた。

野球部が威勢のいい掛け声を上げてグラウンドを走り、

テニスコートではテニス部がぽこぽこと小気味良い音を立ててラリーを行っている。

空手部――になるには、部員が足りなかった若瀬わかせ光背こうはいの二人は、グラウンドの隅を借りてひたすらに瓦を割っていた。

瓦とは屋根葺きに使われる建材である、

空手使いはそれを地面に固定し、

下に振り下ろした拳や手刀、蹴りなどで破壊するという訓練を行う。

瓦職人は基本的に屋根のために瓦を作っているが、

技量の低い見習い瓦職人や自身の技術を金で買い取られた瓦職人、

あるいは、瓦への愛が憎しみへと変じた暗黒瓦職人が空手家に瓦を下ろすのだという。

白帯(空手を始めたての人間のことをいう)ならば、瓦一枚から

黒帯ともなれば自身の身長よりも高い瓦を割るという。

光背は黒帯、若瀬は茶帯を結んでいた。

黒は達人の茶は黒には及ばぬ実力者の色を表す。

だから彼らが割る瓦枚数の差を詳しく説明する必要はないだろう。


「若瀬先輩、瓦割り枚数の記録更新ですか?スゴイじゃないですか88枚割!

 私は160枚割れますけどぉ~~~!!!」

そう言って、光背がうひひと笑う。

高校1年生にして黒帯の彼女は、

空手が恐ろしく強い高校や暴力が支配する高校への入学を蹴り、

空手同好会しか無いような近場の高校を選んだ。

若瀬と同じ高校だった。


「うるせぇな」

果たして、光背の華奢な体のどこにそのような膂力があるのか、

そう思いながら、若瀬が毒づく。いつも続けているやり取りだった。

話す内容も、光背の笑みも、いつも同じようなものだ。

瓦の枚数だけが日々を重ねるごとに増えていった。


「うひひ、先輩は……よわよわですねぇ、でも大丈夫ですよ。

 もしもヤバイやつに襲われても、パッカーンと私が守ってあげますから」

「そのパッカーンはなんなんだよ」

「私のチョップで相手の頭がパッカーンと割れる音です」

「グロいわ」

「じゃ、ギューンっとやっちゃいますよ、心臓をこう」

光背が目に見えぬ敵に繰り出すように、その場で貫手を何度も打った。

「緩やかな効果音からの即死攻撃やめーや」

「うひひ」


光背は笑い、若瀬はため息をつく。

何故、こんな女が俺よりも遥かに強いんだろうか。


「先輩、私がいないからってサボっちゃ駄目ですよ」

「サボるわけねぇだろ、お前がいない間に300倍ぐらいにパワーアップしとくわ」

「うひひ、言いますねぇ……楽しみにしてますよ」

「お前こそ……羆に殺されんなよ」

「あ……心配してくれてます……?

 うひひ……大丈夫ですって!私IQ300ありますから」

「……別に心配してねぇよ」


夏休みを利用して、光背は羆を殺しに行くのだという。

熊殺しは空手家の本能のようなものである、

だがそれが無くても、きっと光背は行くのだろう。

そのような確信が若瀬にはある。


「心配ご無用!ビシ……っと!やりますよ!」

「わかってるよ、困ってる人がほっとけないんだろ」

「そうです、わかってますね!うひひ、そうです!やらいでか!羆!

 駄目ですからねぇ……ほら、人が殺されて、泣いちゃうのはね」

「……なぁ、俺も」

「いーえ、先輩は大人しく修行しててください!

 帰ってきた弟子がどれほど強くなってるのか楽しみにしてますからね」

「誰が弟子だよ」

「うひひ!」


それから、型の練習や組み手を行い、

光背が若瀬をからかい、普段どおりの日が過ぎた。

そして、光背が羆に殺されて普段どおりの日は失われた。


別れは言えなかった。

だから若瀬は、ただの部活だったはずの空手の修行を辞めることが出来ないでいる。

記憶は残酷で、もう若瀬には光背の声が上手く思い出せない。

握った手の柔らかさも、彼女が作った下手くそな弁当の味も、

写真を見なければ、彼女の顔すらも彼女が死んだ以降に流れた日々に消されそうになってしまう。


それでも、光背と共に修行した成果――光背の技は、今も若瀬の中に生きている。



その羆の生まれを誰も知らない。

彼が母羆から生まれた時、父羆の姿は無く、母羆は既に死んでいた。

母羆の産むという意志か、あるいは羆の生きるという意志か。

いずれにせよ、彼は誰も知らぬ森の奥で死体から生まれた。

同族は無く、餌となる生物すら周りにない環境で、彼は母羆を喰らった。


――母は己の身体を食らってまで、自分に生きることを願っただろうか。


空腹の中で時折羆は考える。

弱い考えだ、と羆は頭を振る。


――例え、母がそう望まなくとも俺が生きることを望んだのだ。


骨すらも食い潰すと、とうとう羆は森の出口を求めて旅立った。

森の奥の暗がりから徐々に光に近づく度に、羆は恐るべき敵に出会った。

森を支配する百獣の王森ライオン、恐るべき毒を操るコモドドラゴン、

多数で以て一匹を攻め立てる狼、そして、同種である羆。

言葉を交わすことは無かった。

ただ、暴力を相手に刻み込み、代償として相手の肉を得た。

森に住むあらゆる野生動物よりも強くなった時、

彼は初めて、人間という種族に出会った。


彼はその人間が着る装束の名を知らない。

人間が締める帯に込められた意味というものを知らない。

ただ――眼の前の人間が頭を下げた時、羆も釣られるように頭を下げた。


「グマ……」

「……熊殺しだ」


ライオン、コモドドラゴン、狼、羆、

目の前の人間という種族はそのどれよりも弱いはずだった。

だが、戦ってみれば戦ってきた誰よりも強い。


――それは何だ、教えてくれ。

羆には言葉がわからぬ、理解する必要もない。

だが、その時初めて彼は言葉を発した。


「グ、マ、マ、マングース……」


答える言葉はない。

目の前の人間は血溜まりに突っ伏して、死んでいた。


――それが知りたい。

――もっと強くなりたい。


ただ生きるだけならば、森の中で動物や植物を喰らっていれば良い。

そして、もはや羆にはそれが出来なくなっていた。


集落を襲えば、強い人間が来る。

強い人間が来れば、技を知ることが出来る。


熊殺し殺しの誕生であった。



「空手ビーム、空手ビーム、空手ビーム、空手ビーム、空手ビーム、空手ビーム、空手ビーム、空手ビーム、空手ビーム、空手ビーム、空手ビーム、空手ビーム、空」


当て勘という言葉をご存知であろうか。

主として打撃系格闘技に用いられるこの言葉の意味は、

文字通り相手に攻撃を命中させる能力のことをいう。

チュパカブラに空気の拳を見舞ったように、

当て勘を極めれば、絶対に相手に命中させる攻撃を放つことが出来るようになってもなんらおかしなことはない。


必滅の光線連射が羆を打ち付けた。

雨を避けることの出来る生物はいない、

雨より速く、広く、強い攻撃を避けることの出来る生物もまた、存在しない。


「グマ……グマ!グマ!グマ!グマ!グマ!グマ!グマ!」

「勝てるわけがない!あの羆野郎ォーッ!!」

「ちんちんがいっぱいだ……♡」


だが、熊殺し殺しはそうであるべきという生物の常識を超越する。

無慈悲な掃射を行うというのならば、

それすらも殺し尽くせぬ絶対量で以て応対するとでも言うかのように、

羆が取った手段は分裂であった。


羆が何故分裂を行うことが出来るのか――私にはわからない。

だが、生物には未知の領域がある。

分裂したとしてもなんらおかしなことはない。


「グマーッ!」

「空手ビー……クソッ!」

圧倒的なる数、

それが若瀬の発生が速い上に硬直が無くゲージ消費も無い空手ビームを上回った。

若瀬の周囲360度に展開した分裂羆は全てわかせに殺させるためのフェイント。

地面に潜った羆本体が下から若瀬を打った。

羆は冬眠の際に穴を掘ることはご存知であろう。

ならば羆離れした熊殺し殺しは超高速で穴を掘って若瀬に接近してもなんらおかしなことはない。


地中深くからのジャンピングアッパーが若瀬の腹部を打ち付けた。

通常の人間であれば、中身を全てぶちまけて死んでいただろう。

だが、若瀬は黒帯である。

その身体が宙に舞い上がるだけで済んだ。

もっとも、そこで死んでいたほうが幸いであったのかもしれぬ。


空中に打ち上げられれば若瀬に自由はきかぬ。

無防備な若瀬の身体に熊殺し殺しの全力の回し蹴りが叩き込まれた。


衝撃で骨が全て折れた。

身体が地面に打ち付けられ、ボールのように何度も跳ねた。

上半身と下半身が二つに分かれるような衝撃、だが未だ繋がっている。

痛覚が異常を起こし、脳が身体中に偽りの冷気を伝えた。

立ち上がる意志があっても、立ち上がれないほどのダメージが叩き込まれた。


「グ、グママママママママママママママ!!!!!!」

どれほどの肉よりも、熊殺し殺しにとっては勝利こそが快楽であった。

子供を作ろうとは思わぬ、羆生など己一人で完結しても構わぬ。

ただ、この感情を独占したい――それが今の熊殺し殺しの全てだ。


「グ……」

熊殺し殺しはその場で正拳突きを繰り出す。

熱線放射が木を焼き切った。

人が何人も手を繋いでようやく、囲い込めるであろう幹の太さ。

それをバターを切るようにあっさりと――熊殺し殺しは切り裂いてみせた。


「駄目だァ……やっぱり勝てなかったんだ」

ついに空手ビームを会得した熊殺し殺しの前に、男衆は絶望した。

羆の好物と言えば、蜂蜜とマンドラゴラである。

最早、ヒグマワリトデル村でマンドラゴラを育てることは不可能だろう。


「……まだよ」

「や、やめろ……殺死天ころして

「ばぁか♡私達を助けに来てくれた人たちが殺されるのをぼんやりと眺めることが正しいと思ってるのかなぁ♡」

「…………」


IQ300を誇る貸駒かしこま、空手を極めし若瀬。

二人はこの村に何の関係もない――身体は健康、身内に病人がいるでもない。

ただ、羆に襲われていると言うだけで助けに来てくれたのだ。

それを見捨てれば、最早――人間ですらない。


「羆ァーッ!俺が相手だァーッ!」

「ぶっ殺してやらァーッ!!」

「……お兄ちゃん、ごめんね」

折角、若瀬が来てくれたというのに、これでは自殺と何も変わらない。

殺死天は侘びた。

それでも、人が死ぬ時に最後に見る光景が――

助けに来た人間に見捨てられるそれでは、死んでも死にきれるわけがない。

命の価値は命で返すしか無い。


「……や」

やめろと若瀬は言おうとした。

声が出ない――心臓の鼓動がどんどんと弱まっていくのが自分でもわかる。

異常に眠い――目を閉じてしまおうか、骨が折れていては立ち上がることも出来ない。


――先輩。

若瀬は声を聞いた。光背の声だ。

聞こえるはずがない、ならば幻聴か、あの世からの迎えか。


――私よりも強くなるんですよね

「お前、死んでんだろうが……どうやったら死人より強くなれるんだよ。

 屍積み上げりゃ、天国に届くのか?」


――うひひ、私が天国に行ったと思ってくれてるんですね。

「そうだよ……お前はスゴイやつだよ、俺なんかよりも立派な奴だ」


――じゃあ……その私が認めてあげます。先輩は私よりも強いですよ

「…………そうか」


「……先輩は死んじゃ駄目ですよ」

「……わかってねぇな、

 大の男が羆に負けるわけねぇだろ」


ゆっくりと立ち上がった若瀬の足首には、針が刺さっていた。

IQ300ならば毒針を生み出せる――当然、その逆も。

だが、その答えを若瀬が理解する必要はない。


若瀬は若瀬の答えを理解し、再び羆を相手に立ち上がった。


「俺の相手は……お前だ」

「グ、グママジデ」

もしも、熊殺し殺しに表情があるならば――立ち上がった若瀬を見て、

如何なる表情を浮かべただろうか。

何故、立ち上がれるのかもわからない若瀬がシンプルな構えを取るのを見て、

それに応じるように熊殺し殺しは駆けた。


「カウンターを教えてやる」

「グマアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

殺すだけならばビームで良い、分裂体を向かわせても良い。

だが、教えてやる――その言葉が熊殺し殺しを走らせた。

一つでも多くの技を熊殺し殺しは知りたい。


熊殺し殺しが放ったのは全力の心臓突きであった。

人間に獣の爪はない。

だが、羆が手刀を作れば獣の爪と合わさり恐るべき刺殺兵器と化す。


――じゃ、ギューンっとやっちゃいますよ、心臓をこう。


見たことのある技だった。

若瀬は苦笑する。

(ギューンとやれなかったのかよ、馬鹿だな。

 俺は違うぜ、こういうところでキメるんだよ……わかってんだろ?)


若瀬は熊殺し殺しに向け、一歩踏み込んだ。

熊殺し殺しの想定よりも速く、心臓が貫かれ――それが熊殺し殺しの不意を打った。

相打ちを狙った若瀬の手刀が熊殺し殺しの毛皮を突き破り、

その心臓に針が刺さった。

IQ300の作り出した恐るべき猛毒は――例え熊殺し殺しであろうとも、殺し切る。


「わかったか」

若瀬は笑って、言い切った。



若瀬が目を覚ました時、見たものは白い天井。そして男衆と殺死天の姿だった。

病院らしい、ベッドで眠っていたようだ。

殺死天は泣いていた。

「……なんで、生きてんだ俺は」

「馬鹿ぁ!」

殺死天の肘打ちが、若瀬の下腹部を強かに打ち付ける。

「……こういう時、ビンタとかじゃねぇのかよ」


「マンドラゴラですよ」

「は?」

「マンドラゴラは心臓の病に効くのです……」

「そんな物理的に!?」


結局の所、自分が助けようと思った者に助けられたらしい。

若瀬は苦笑する。


「ありがとうな」

「……違うよ、私達が……」

「あぁ、くっそ……泣くなよ」

泣きじゃくるばかりで殺死天が何を言おうとしたのかは、若瀬には全くわからない。

だが、それほど泣かせてやったというのだから、そう悪いことでもないのだろう。


「た、大変でヤンスよ~~~!!!!」

その時、病室の扉が勢いよく開いた。

出っ歯の少年、ヤンス君だ。


「どうしたヤンス君?」

「大変でヤンス!!異世界転生したチュパカブラが!!

 次元を捻じ曲げてこちらに侵略を仕掛けてきたでヤンス~~~~!!!

 推定IQは5000!!

 次元の壁を破ってもなんらおかしなことはないでヤンス~~~!!!!」

「くっそ……」

まだ重傷のはずである。

だが、不思議と若瀬は苦痛なく立ち上がることが出来た。


「お兄ちゃん!?」

「行くしかねぇだろ!」

「キヒヒーッ!!チュパカブラに真の知性を思い知らせてやるとしますかねェーッ!!」

「よし、じゃあ皆!行くでヤンスよォ~~~!!!」

「無事に……帰ってきてね」


不安げに、殺死天が若瀬を見た。

若瀬が振り返り、笑みを浮かべる。


「わかってんだろ?大丈夫に決まってんだろ」

「うん……わかってる♡」


【大人はメスガキには負けないが羆は想定していないんだが??? 終わり】

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