大人はメスガキには負けないが羆は想定していないんだが???
春海水亭
IQ300VS羆
「私の計算が正しければ……相手がアナタであろうと私の勝率は99%ォ!!」
メガネが陽光を反射し、キラリと輝いた。
それはまるで
「やめろ!一旦引けって!無理だから!絶対勝てないから!」
周りの引き止める声も貸駒にとっては小鳥のさえずり、
あるいは戦士を送り出す軍歌のようにすら思えた。
「くすくす……強がっちゃってぇ……本当に勝てるのかなぁ」
背をうんと伸ばしても貸駒の胸元に届くか届かないか、
それぐらいの身長の少女、
小学校に通い始めてから何年か経過した、それぐらいの年齢だろうか。
しかし、その表情はあどけなさとは正反対の位置にある。
頬を薄っすらと赤く染め、息は荒い。
これから起こる事象を前に、目はとろりと夢見るようであった。
「キヒヒィーッ!!私という絶対値を前にしてはいくら熊とは言え、虚数も同然!
アナタというXに死を代入して差し上げますよォーッ!!」
「貸駒ァーッ!!!!!」
勢いよくメガネを放り投げ、貸駒が駆けた。
メガネは何度か土の上を跳ね、その内に勢いを失って、地を転がった。
貸駒の後方には何人かの男衆、そして殺死天。
目の前には貸駒の背をさらに上回る巨体。
銃弾をも食い止める頑強なる毛皮、人の肉だけに留まらず骨まで裂く恐るべき爪。
人間の最高峰の更にその上をゆく運動神経を持った怪物――羆であった。
「この飛び蹴りで私が勝利する確率は……1000%ォーッ!!!死ねーッ!!」
勢いよく助走を付けた貸駒は脚に更に力を込め、跳び上がった。
肉体は軽やかに舞い、その足先が狙うは羆の心臓。
その靴先には貸駒が恐るべき計算能力で生み出した毒針が仕込まれている。
羆は人間のように後脚二本でその巨体を支え、貸駒を迎える。
「グマァァァァァァッ!!!!!」
羆が咆哮を上げる。
向かい来る貸駒を前に、羆が顔を歪めた。
動物に表情があるのか、感情があるのか、心があるのか。
その答えは今、示されたと言っても過言ではないだろう。
「グマーッ!!」
「なっ……」
貸駒が血を吐いた。
何故か、羆の拳が彼の腹部を撃ち抜いたからだ。
皮膚を貫き、肉を貫き、内臓をずたずたに破壊し、骨を砕く。
本来貸駒の中にあるべきものの代わりに、羆の拳が彼の体内に侵入する。
バケツいっぱいに注がれた水に、更に水を注げば当然水はあふれる。
それと同じことだ。
羆が入れた拳の分、貸駒の中身は溢れた。
内蔵も血も肉も骨も。
「馬鹿な……これでは……計算違い……」
羆の一撃に再度、貸駒の肉体は宙を舞い、背中から地に落ちた。
しかし背の衝撃も気にならぬ。
徐々に命が失われていくのを感じながら、貸駒はただ羆を見た。
敵の姿を――目に焼き付けるために、
もしも己の知らぬ霊魂や恨みの力というものが存在するのならば、
例え、死のうとも羆を殺すために。
「グマママママ……」
羆は嘲笑っていた。
貸駒は理解する、動物に感情があるのかはわからない。
だが――眼の前にいる羆には、はっきりと存在するのだ。
嗜虐心。悪意。そのようなものが。
「……しかし、この程度では……私はやられませんよォーッ!!」
そう貸駒は叫んだつもりだったのだろう。
だが、その思考は言葉にはならず、ただひゅうひゅうと息が漏れただけだった。
「正拳突き……馬鹿な」
貸駒は羆の悪意を理解していた、だが――彼が理解できていたのはそれだけだった。
周囲の男がざわめいたのは貸駒の敗北だけではない。
貸駒を殺したのは羆の無造作な身体能力ではない。羆の技だ。
極まった空手家が熊を殺すために山に入る性質を持つことはご存知であろう。
羆が貸駒に見舞ったのは、まさしく空手家の正拳突きであった。
すなわち――
「熊殺し殺し……ッ!」
「グマママママ!!!!!」
正解だ。そう言うかのように羆が吠えた。
貸駒だけではない、皆が羆の悪意を理解し、恐怖した。
人間を上回る知性と空手家を上回る技を持った悪意ある羆、
この村が壊滅するだけに留まらぬ――最悪の場合、羆のために日本は壊滅する。
「グマママママママママママママ、グママ、グンマ」
一歩、一歩、のしり、のしりと羆が貸駒に向けて歩を進める。
勝者が敗者を貪ることは自然界の掟である。
なれば、敗者たる貸駒が喰われることは当然であろう。
「……何をしてるんだ!」
「やめろ!大人を舐め腐るにしても羆を舐めるな!」
貸駒を守るかのように、殺死天が羆の前に立ち塞がった。
あのIQ300の貸駒を以てしても羆と体躯を比べれば、大人と子供も同然であった。
なれば少女である殺死天と羆を比べれば、大人と子供どころの差ではない。
羆と子供のような絶望的な差が生じるのだ。
「なっさけないなァ……貸駒さん、こんなところで負けちゃうんだ。
大人なのに……よっわぁ……」
震える身体で殺死天は両腕を頭の前に、右足は一歩引いた。
皆が皆、理解した――ファイティングポーズである。
身体は震え、汗は絶え間なく流れ続ける。
虚勢と何も変わらぬのだ、勝てるわけがない。
「くすくすくす……じゃあ今度は私が試しちゃおっかなぁ……」
だが、勝てる勝てないの問題ではないのだ。
殺死天は幼いながらに性交を愛した。
クラスメイトを全員抱き、大人も抱き、犬も抱いた。猫のちんぽは痛い。
セックスが大好きということは子作りが大好きということである。
子作りの反対は殺人である。
目の前で人が死ぬ――大嫌いなそれを許せるほどに、殺死天は大人ではなかった。
「やめろ!メスガキ!勝てるわけがない!」
貸駒は叫んだつもりでいたが、やはり声は出なかった。
「や、やめろ……!」
周囲の男は声を出す、だが足は出ない。
殺死天をさらに庇うことも、しかし逃げることも出来ない。
その心は完全に羆という恐怖に支配されていた。
「マグマ、グママン、マンマン」
「羆語はわからないよぉ……人間語喋って♡」
向かい合う少女と羆。
羆が貸駒の前に少女を貪らんとした、その時である。
「グマママーッ!!!」
羆の側頭部に衝撃が走った。
羆の肉体がよろめき、しかし体勢を立て直し、その正体を見た。
飛び蹴りであった。
貸駒によるものではない。新たなる乱入者だ。
「わからせに来てやったぜ……」
「あっ……」
道着を纏った年若い青年を、殺死天は見た。
そして羆もまた敵を見た。
道着を纏った年若い青年――
「大人が羆に負けるわけないんだが?」
ここで一時、時を巻き戻そう。
若瀬という青年が何者であるのか、
何故羆と戦うこととなったのか、
わからせるべきことは数多あるのだから。
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