2.桜花は一片の約束
「ただいまー」
『おかえりなさい、坊ちゃん』
自宅のドアを開けて、出迎えてくれたJrの声を聞いても、いまだに現実感を掴めなかった。
ぼんやりとしたまま玄関を横切り、リビングに来て、いつもよりひっそりとしていることに気が付く。
「お母さんとママは?」
『ハカセは人工衛星のメンテナンスでターミナルで一泊、ミネさまは取材に出掛けています』
「そっか」
朝はばたばたしながら出発したから、どっちの予定も聞いていなかった。
いや、話していたけれど、大学の授業が楽しみすぎて、心ここにあらずだったのかもしれない。
『初めてのパラレルワールド観測はいかがでしたか?』
「うん。まあ、色々と違うところがあって、驚いたよ」
今日の授業は、「自分が過去に別の選択をしたその先を見る」ことを目的にしていた。そこで僕は、一年生の時に仲良くなった一人の女性と、今とは違う由来で話しかけていたらを観測してみた。
この世界の僕は、偶然同じ講義を取った女性が読んでいた本『淡色』を、自分の母親の一人が監督したアニメ作品の原作だと話して仲良くなった。一方、パラレルワールドの僕は、彼女が持っていた桜の花びらの栞をきっかけに話しかけたようだった。
あの世界の僕はそこから、第三緑化ドームの桜が咲くようにと管理ロボットに助言をして、その努力は三年生の時の春に結実していた。
パラレルワールドの観測は、映像を見るような形になるので、僕はあの時どう思っていたのかまでは分からない。ただ、満開の桜の元へ彼女を呼ぼうとしていた「僕」は、あの場で告白するんじゃないかと感じた。自分自身だからなんとなく分かる。
『では、告白は成功したのですか?』
そこまでの説明を聞いて、Jrは野次馬根性たっぷりな質問をした。
データのコピペ元が「人間の感情に最も近い人工知能」を謳っているとはいえ、Jrを時々下世話だと感じることがある。
「いや、授業の時間が来てしまったから、その後どうなったのかは分からない」
『そうでしたか。……成功したと思いますか?』
「うーん、どうだろうね」
意地悪な質問を重ねるJrに、僕は苦笑いを返すしかなかった。成功率はどのくらいかと答えることは、この世界の僕が彼女と付き合える勝算がどれくらいあるのかを、自ら示すことになってしまうだろう。
僕の恋についてのあれこれはとりあえず横に置いといて、あの観測の後に調べてみたいと思っていたことがあった。
「Jr、今年、本物の桜が咲いたってニュースになっていなかった?」
『はい。検索したところ、記事が見つかりました。三輪だけですが、咲いているのが確認されたそうです』
「うん。分かった」
それを聞いて、僕はやっぱりと思っていた。
まだ確立されていないが、「パラレルワールドで起こった事象が、基本世界にも影響を与えているのではないか」という学説を聞いたことがある。あの世界とこの世界の桜の関係を調べていけば、この学説を紐解く手掛かりになるのかもしれない。
「僕の卒論テーマ、決まったよ」
『他にも決めることはあるのではないでしょうか?』
「何のことかな?」
Jrのからかうような口調にとぼけて見せたが、何が言いたいのかは察していた。
この世界での、僕と彼女の関係性についてだ。今はいい友達ではあるけれど……という悩みは、何度もJrに零している。
来年、新しく咲いた花は、恋人になった彼女と見に行くよ。
目の奥にまだ残っている、満開の桜の残像に、その舞い落ちる一片一片に、そう約束した。
桜花は一片の約束 夢月七海 @yumetuki-773
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