桜花は一片の約束

夢月七海

1.桜花は一片の約束´


「第三緑化ドームの桜、咲いたらしいね」


 斜め向かいに座ったお母さんが、端末で見かけたそんなニュースを口にした。

 僕は、トーストをもぐもぐ噛みながら、頷く。


「もうそんな季節なんだね」

「今年はあんたの受験と大学の準備で忙しかったからね」


 ため息をつきながら、人工コーヒーを読んで、苦い顔をするお母さん。

 もう終わったことのように話しているけれど、現在大学という新しい環境に慣れようと必死な僕との温度差を感じる。


「桜、見に行きたいねぇ」


 自分の分の朝食をトレイに乗せたママが、キッチンから来て僕の前に腰掛けた。

 「いただきます」と言って目玉焼きをつつくママに、僕は尋ねる。


「なんで? 見に行ったらいいじゃない。今んところ、仕事は一段落ついてるでしょ?」

「確かに、緑化ドームの桜も綺麗だけど、本物の桜を見たら、どうしても比べてしまうからね」

「そっか、ミネは本物を見たことあるんだっけ。映画の取材で」

「うん。『淡色』を作るときにね。わざわざ、タイムマシン使って、二〇一〇年代まで行ったんだから」


 ママとお母さんの思い出話を、僕は「ふーん」と頷きながら聞いていた。

 第三緑化ドームの桜は、僕が生まれるずっと前から咲かなくなってしまい、今はプロジェクションマッピングで見せているという話は聞いたことがあった。ただ、その知識はあっても、本物の桜を見たことない上では、プロジェクションマッピングでも十分綺麗じゃないかと思ってしまう。


 ぼんやりしているうちに、お母さんとママの会話は、お互いの仕事のことに変わっていた。お母さんは受信機器のメンテナンスが午後からあって、ママは新作アニメについてのインタビューがあると言っている。

 そこへ隣の部屋を掃除していた家庭用ロボットのJrが戻ってきて、『坊ちゃん、バスの時間まであと十八分ですよ』と注意されたので、慌てて朝食を食べ終え、席を立った。


 ばたばたと朝支度を整える。大学生になっても、この癖は中々直らなかった。

 まだのほほんと朝食を食べている二人の母親に「いってきまーす」と声をかけると、二人は声を合わせて「いってらっしゃーい」と送り出してくれた。






   ◇






 休み時間はあと五分残っているのに、校内は殆どの席が埋まっていた。

 出入り口から入ってきた僕は、辺りを見回して、一番近くの二人掛けのもう一つの空席に腰掛けた。


 隣に座っていたのは、同い年くらいの女の子だった。

 紙の本を開いて、じっと目を落としているのが気になった。僕が座ったことに気付かないくらいに集中している。


 僕は失礼だとは思っていたけれど、彼女の手元の方に目を移した。紙の本が、とても珍しかったから。

 けれどもそれ以上に目を引いたのは、本のすぐそばに置かれた栞だった。そこに挟まれたものを見て、はっとする。


「それって、桜の花びら?」


 無意識にそう声をかけていた。すぐに、読書を邪魔するなんて申し訳ないと思ったけれど。

 彼女は、本の世界から浮上したかのように、驚いた顔で僕を見た。そして、僕に対して柔らかい笑みを返す。


「うん。私のひいおばあちゃんから、もらったものなの」

「へえ。そうなんだ」


 僕はもう一度、栞の方を見た。青いリボンに、薄いピンクの紙の上に、色褪せた白い花びらだけがある。

 こうして本物の桜の花びらを見ると、遠い昔にあの木も春には満開の花を咲かせていたんだなと、妙な心地がしてきた。


「あなたは、本物の桜を見たことはある?」

「えっ! あ、いや、無いよ」


 ぼんやりそんなことを考えていると、彼女からそう話しかけられた。びっくりして、とりあえず首を横に振る。

 彼女は特にがっかりした様子もなく、愛おしそうに自分の手で、栞の中の花びらをなぞった。


「私もないの。だから、いつか、見てみたいなって思っている」

「……」


 悲しそうな、でも真っ直ぐな彼女の眼差しに、僕は何にも言えなくなってしまい、チャイムが鳴って教授が入ってくることにすぐには気付かなかった。






   ◇






 大学の帰り道に、第三緑化ドームに寄ってみた。そこに行くのは、六歳の時にチョコレートコスモスの開花を見た時以来だ。

 予想通り、桜の前には人垣ができていた。ピンク色の花びらの散る映像を見上げて、うっとりと見惚れたり写真を撮ったりしている。


 進入禁止の線を守っているその人垣から一歩後ろに下がり、僕も桜を見る。プロジェクションマッピングは、桜の花から花弁が一枚離れて、宙に舞い、一定時間を過ぎると、再び無くなった花びらが復活する様子を規則正しく映していた。

 これだけでも、十分綺麗だし、散らない桜というのも素晴らしいことだと思う。でも、ママや、あの時の彼女の曾祖母が見たという桜は、これよりも美しかったのだろうか。


 舞い落ちる、一片の映像に手を伸ばしてみる。もちろん、握るどころか届いても触ることすらできない。

 それでも、その一片に、僕は約束した。あなたに、本物の桜を見せます、と。


 桜の見物客が増えてきたので、僕はその場を離れた。

 このまま、ドーム内を探索する。だけど、桜の他に見たい植物があるわけではなかった。


『おや、あなた様は』


 歩き回っていると、管理ロボットを見つけた。丁度、向こうの道から歩いてくるところで、僕と目を合うとすぐに話しかけてきた。

 十年以上ぶりの再会に、気恥ずかしさを感じながら、僕は「どうも」と手を上げる。


『お久しぶりですね。Jr殿はいかがですか?』

「元気にしていますよ」


 もちろん相手はロボットなので、成長していても、僕が誰なのか、あの時一緒にJrがいたことも記憶している。

 そんな懐かしさを噛み締めるような会話を交わした後に、僕はリュックサックから端末を取り出して本題に入る。


「ドームの桜が咲かなくなってから、どれくらい経ちますか?」

『ざっと百年は経っていますね』

「枯れてはいないんですよね? 手立ては尽くしたのですか?」

『咲かなくなってから最初の頃は、専門家を地球から呼んで、様々な治療を施しましたが、どれも成果が上げられませんでした。その内、プロジェクションマッピングという代用法が確立されてからは、それ以上の治療は行わなくなりましたね』

「そうでしたか」


 思ったような答えに、僕は納得して頷く。

 そして、端末を開いて、様々な木の治療法を管理ロボに見せた。


「その後、木に対する医学も発達して、新しい治療法も色々見つかったんです。時間はかかるとは思いますが、試してみませんか?」

『なるほど。確かに、百年ほど前よりも増えていますね。こちらのデータを管理部に送り、提案してみます』

「よろしくお願いします」


 管理ロボの前向きな言葉に、僕はほっとした。

 もちろん、これで桜が咲くようになるとは限らないし、そもそも治療法を実施してくれるかも分からない。だけど、これがいい流れになってくれる、僕にはなぜかそんな自信があった。






   ◇






「桜の開花のニュース、まだ聞かないね」


 いつもの朝のように、お母さんが端末でニュースを見ながら、寂しそうに呟いた。

 天然物のコーヒーの香りを楽しんでいた僕は、その一言にはっとする。ちなみに、このコーヒーは、ママが監督した作品に出た声優さんから送られたものだった。


「何かプロジェクターにトラブルでもあったのかしら?」

「うーん、それにしても、何か情報があってもおかしくないけれど」


 猫舌のため、コーヒーを念入りに冷ましていたママがそういうと、お母さんは首を捻りながら答えた。

 いつの日か聞いたことのあるような会話に、僕はにわかに懐かしさを感じた。あの時は一年生、今の僕は三年生になっていた。


「そういえばあんた、卒論のテーマは決まったの?」

「あ、えっと、まだ」


 時の流れの速さを感じているところに、突然お母さんからそう話しかけられて、僕は驚いたまま正直に話す。

 それを見て、心から嬉しそうにママはにこにこしていた。


「もうそんな時期なのね」

「あっという間だから、提出時間がまだでも、のんびりしていられないよ」

「う、うん、分かってる」


 一方、自身も工学の博士号を持っているお母さんの一言は、釘を刺すように鋭くて痛い。

 僕はまだ、どぎまぎしながらコーヒーを飲んだ。人工のものと比べるほどでもないけれど、天然物も苦かった。


 僕が入学した学部は異次元解析部で、専攻した学科はパラレル観測だった。

 もちろん、卒論を書くのならパラレルワールドについてになるけれど、そこから先はまだ白紙だった。六月に、初めて観測器でパラレルワールドを覗いてみることになっているから、その後ゆっくり考えようと思っていたけれど、お母さんの一言はかなり効いた。


『坊ちゃん、バスの時刻まであと二十二分ですよ』

「あっ、ほんとだ」


 玄関で靴磨きをしていたJrが戻ってくるなり、僕にそう忠告した。

 慌てて、残りの朝食を食べる。もったいないけれど、コーヒーも一気に飲んだ。


 ママとお母さんが、遅刻癖はいつになっても直らないねーと苦笑しながら話している。

 それを横目に朝支度を整えながら、今日の放課後は第三緑化ドームに桜を見に行こうかなと考えていた。






   ◇






 第三緑化ドームの前には、珍しく人だかりができていた。

 速足で近付いてみると、出入り口前に「本日は諸事情により閉館いたします」という立て札と、「なんで入れないの?」と話しかける人々に『申し訳ありません』と繰り返す管理ロボの姿が見えた。


 理由は分からないが、桜どころではないのなら仕方ないと、僕は踵を返した。しかし、その時後ろから管理ロボが、『すみません、そちらの方!』と話しかけられた。

 振り返って、自分の顔を指さすと管理ロボは『そうです、あなた様です』と頷いた。管理ロボは顔の構造上、笑顔は作れないけれど、声色は柔らかく、僕に怒っているわけではなさそうだった。


「どうかしたのですか?」

『お時間がよろしければ、共にドーム内に入っていただけませんか?』

「えっ?」


 急すぎる申し出に、僕は困惑した。周囲の人垣も、ざわっと緊張感が走る。


『管理部からの許可は得ています。お願いします』

「ええ、別に構いませんが……」


 後ろからの視線で背中が痛くなったが、管理ロボがそこまで言う理由も気になったので、僕は頷いた。

 ロボの後ろについて、緑化ドームのドアを潜る。まだ外は明るいのに、自分以外に人間がいないドームのひっそりとした静けさは、気が引けるほど怖かった。


 道沿いに歩いていくと、桜の木が視界に入ってきた。その花は満開に咲き誇っていて、あれ? と内心で首を捻る。

 なぜ桜は咲いているのにニュースになっていないのか、その理由は、木の目の前に立った時に気が付いた。


「……本物だ……」


 僕は桜の花を見上げて、感嘆の声を上げた。

 プロジェクションマッピングも本物そっくりにできていたのだが、本物とは比べようがない。一度しか咲かない花の一つ一つが、はらりと静かに花弁を落として、それらは優雅に舞っている。


 数分間、無言でこの光景を眺めていた。桜の花以外の時間が止まってしまったかのように。

 それから、僕ははっとして、隣の管理ロボを見た。


「もしかして、この花を僕だけに見せてくれたのって……」

『はい。あなたの助言の通りに治療を施した結果、再び花が咲きました。御礼申し上げます』

「いえ、見せてくれただけで十分ですよ」


 胸に手を当ててそう言った管理ロボに対して、僕はぶんぶんと首を横に振る。

 確かに、治療法を提案したのは僕だけれど、それを実行したのはこのロボットと管理部の皆さんだ。ここまで大事にされてしまうのは、恥ずかしくってたまらない。


「あの、この花は、まだ公開しないのですか?」

『ええ。百年ぶりに桜が咲いたとなれば、去年よりも多くの人が見物しに来る可能性があります。現在は急いで、臨時のロボットを増やすなど、対策を整えている状態です』

「じゃあ、この花を見たのは、僕だけなんですね」


 その事実は誇らしさとかなんでもなく、切ないものとして僕の心に響いた。

 あの時、桜の花びらの栞を持っていた彼女の顔を思い浮かべていた。あれから仲良くなった彼女は、あんなに見たがっていた本物の桜の花を、まだ見れていないのだと。


 しかし、予想と反して、管理ロボを首を横に振った。


『いえ、管理部の方々は見ていらっしゃいます。それとはまた別に、偶然蕾を見た一般の方も一人いらっしゃいますね』

「え? 偶然? 桜のプロジェクションマッピングは、蕾の時点から行っていますよね?」

『はい、そうなのですが……、これは個人の守秘義務に関することなので、口外しないでください』


 そう断って、管理ロボは、毎年桜が咲いた後に、夜中こっそりドームを訪れる女性の話をした。

 彼女の要望に応えて、管理ロボはその時だけプロジェクションマッピングをオフして、彼女と一緒に本物の桜が咲いてるかを確認していたらしい。


 今年の彼女は、開化のニュースを聞く前に、妙な胸騒ぎがすると言って夜の緑化ドームを訪ねてきた。

 管理ロボは例年通りに彼女の目の前で、まだ蕾だったの桜をプロジェクションマッピングを消した。その中に、本物の蕾を見つけた。


『……そのため、本物の桜が咲くのを望んでいたその方も、まだ花を見れていないのです』

「もしかしてですけど、その人って……」


 管理ロボの説明を聞いた後に、僕は彼女の名前を言うと、管理ロボはぎこちなく頷いた。驚きと守秘義務の間をせめぎ合っていたのだろう。


『お知合いですか?』

「はい。友達です」


 今はまだ、と心の中で付け加えた。

 管理ロボが納得して頷いている横で、僕は自分のウォッチを指さした。桜の花が咲いた一端を僕も担っているのなら、それに甘えて、どうしてもやりたいことがあった。


「あの、これから彼女を呼んでもいいですか?」

『……管理部に、確認する必要があります。その方の口の堅さは私が保証するので、問題ないと思いますが』


 管理ロボはそう言って、僕から離れていった。きっとお伺いを立てるためだろう。

 表情が変えられるのなら笑っていそうなくらいに、軽やかな口ぶりだった。


 僕はもう一度桜の花を見た。これからこの全てが散ってしまうというのが信じられないくらいに、花はその美しさを誇っている。

 目の前に落ちてきた一片の花びらを、僕は開いた右手で受け止めた。


 その一片に、僕は再び花開いた桜と、約束をした。

 彼女がここに来たら、自分の本当の気持ちを伝えます、と。


















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