空はいつもそこにある

緋那真意

語り部は語る

 空は灰色に塗りつぶされていました。

 空一面に分厚い雲が広がり、日の光が届くことがなくなって久しくなります。

 いつからそうなってしまったのか、正確なことを知る人はいません。

 とある長生きした人が、その祖父から聞いたところによると、その人が生まれるより更に前の時代に、世界全体をめちゃくちゃに破壊してしまうほどの途方もない戦争が起こり、その結果として世界はいつまでも晴れることのない分厚い雲に覆われるようになってしまったのだそうです。

 本当の空の色は澄み切った青色であると、誰もが一度は教わります。

 しかし、もうその本当の青い空を見た人は誰もいないのです。



 そんな時間が何年も何年も続いたある時、一人の子供が「本物の青い空を見てみたい」と言い出しました。

 それを聞いた周りの子供たちはその子のことを馬鹿にしたり、あるいはその言葉に呆れたりしました。それでも子供は青空が見たいと言い続けました。

 それを聞きつけた大人たちも懸命に子供をなだめようとしましたが、子供はどうしても青い空が見てみたいと言ってききません。

 そんな騒ぎの中、一人の旅人が通りかかりました。旅人は世界の様々な場所を巡って見聞を深めているのだといいます。

 話を聞きつけた旅人はとにかくまずその子供の話を聞いてみようと語り、自分から子供のところに出向き声を掛けました。

 旅人が自らの素性を話すと、子供はたちまち興味を示しました。

「おじさん、旅人なの? 青い空の見える場所を知ってるの?」

 子供は目をきらきらさせながら問いました。

「それに答える前に、ちょっと聞いてもいいかい?」

「なに?」

「君はどうして見たこともない青い空を見てみたいと思ったんだい?」

「だって、灰色の空より青い空の方がずっときれいじゃん?」

 子供は迷いのない表情ではっきりと答えました。旅人はうなずき、更に問いました。

「でも、君は生まれた時から灰色の空しか見たことがないんじゃないのかい? どうして見たこともない青い空をきれいだと思ったんだい?」

 今度の質問には、子供はすぐに答えられませんでした。しきりに何かを考えるように首をかしげながら言葉を紡ぎます。

「よくわかんない。でも、この間初めて青い空の写真を見たときに思ったんだ。こっちの空の方が今の空よりもずっとずっと素敵だなぁ、って。だから、本物の青い空が見てみたいって、そう思ったの」

「なるほどな」

 旅人はその子供の言葉を馬鹿にすることも揶揄することもなく受け入れました。

「ただ、非常に残念ではあるのだが、私も青い空というものを見たことはないな」

「旅人のおじさんでも見たことがないの?」

 子供はあからさまにがっかりしたように声を上げました。

「ああ、ない。私は生まれてからずっとあちこちを旅してまわり、何度となく空を見上げてきた。けれど、灰色じゃない青い空というものは今まで一度として見たことはない」

「そんなぁ……」

 子供はひどく落ち込みました。やはり青い空なんて幻のようなものなのだろうかと灰色の雲に覆われた空を悲しげに見上げました。



 子供が落ち込む姿を見た旅人は穏やかな声で語りかけました。

「安心しなさい。あくまで私は見たことがなかっただけだ。君が生きている間にはあるいは青い空が見られることがあるかもしれない」

「でも、おじさんが見られなかったのに、本当に見ることが出来るの?」

「私が言ったから、君は青い空を見ることをあきらめてしまうのかい?」

「えっ!?」

 子供は旅人の言葉にはっとした表情を浮かべました。

「私のことは私のことさ。私が見れなかったからといって君まで見れないとは限らないじゃないか。誰かが言うから、誰かができないから、自分もできないなんてことはないんだ。どうしてそんなに簡単にあきらめてしまうんだい? できるできないを決めるのは他の誰かじゃない、自分自身なんだ」

「おじさん……」

 子供は呆けたような顔をしたまま旅人を見つめています。

「いいかい? この空はみんなのあきらめの象徴なんだ。誰しもが青い空を取り戻したいと思いつつ、あまりに途方もないことだから、みんなやる前から尻込みしてあきらめてしまっているんだ。もし君が本当に青い空が見たいのだと心からそう願っているのなら、誰に何を言われようと絶対にあきらめないことだ」

 旅人は強い口調でそう言いました。その言葉を聞いた子供はびくんと体を震わせました。

「絶対にあきらめない、こと……」

「そう。何かをやり遂げるには、絶対に曲がらない強い心が必要なんだ。それがどんなに難しくて、とてもできそうにないことであったとしても、そこでくじけてはいけない。あきらめてはいけない。あきらめてしまえば、そこで全ては終わる。終わるのはあっという間なんだ」



 旅人はそこで一度言葉を切り、子供の顔を見つめました。子供の顔は未だに呆けたままでしたが、目の奥にはかすかに光が見えました。

 それを確認した旅人は子供に問いました。

「君は、まだ青い空が見たいと思うかい?」

「うん……」

「本当に、心の底から、そう思っているのかい?」

「うん」

「自分をごまかしていないかい? 嘘じゃないって言えるかい?」

「嘘じゃない、嘘じゃないよ!」

 子供の声は答えるたびに元気がよくなっていくのを確認した旅人は、満足そうにうなずきました。

「うん、いい声だ。もう大丈夫だな」

「大丈夫って、何のこと?」

「もう私があれこれ世話を焼かなくても問題はないだろうということさ」

「おじさん、もう行っちゃうの? 旅の話とかもっと聞きたかったのに」

 急に我に返って現実的な話をしてくる子供に、旅人は苦笑いを浮かべました。

「旅の話など聞いて満足するものじゃないさ。君にその気があるのなら、もう少し大きくなったら旅をするのもいいかもしれない」

「おじさんはいつまで旅を続けるつもりなの?」

「さぁ、いつまでかな? 続けられる限りは続けるつもりさ。さっきも話した通り、何事も終わらせるのはあっという間だからね」

 旅人は遠くを見やりながらそう答えました。

「そっか。じゃあぼくもあきらめないで頑張るよ。少なくともまたいつか、旅人のおじさんに会うまでは、青い空を見られるようにぼくなりに頑張ってみる」

「うん、それがいい。私がまたいつかここに来たとき、君に会えるのを楽しみにしているよ」

 旅人は子供の頭を撫でながら、微笑んで言いました。



 子供と別れた後、旅人は気ままな旅を続けていましたが、旅の途中に事故で片足を失う重傷を負って旅を断念せざるを得なくなり、子供のことを気にかけながらもその地で生涯を閉じました。

 子供は旅人と別れた後、一生懸命に勉強を重ねて科学者となり、青い空を取り戻すための研究にその生涯を捧げました。彼は生きているうちにその目で青い空を見ることは叶いませんでしたが、彼の意志を受け継いだ人々はあきらめることなく研究を重ね、ついには青い空を取り戻したのでした。

 彼はこんな言葉を残しました。「青い空はいつだって人の心の中にある。あきらめることはない」と。

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空はいつもそこにある 緋那真意 @firry

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