あの夏を生きた僕ら
東雲一
「あの夏を生きた僕ら」
セミの鳴き声が鳴り響く山道を僕は、汗をかきながら、登っていた。毎年なら、多くの登山者でいっぱいになるらしいのだが、今年は、僕と彼女の二人だけだ。なんとも、寂しい夏の登山になっている。
彼女の名前は夏野。麦わら帽子を被る彼女とは、学校で知り合い、数年前から、付き合い始めた。
彼女と目指すのは神社だ。彼女いわく、どんな願い事も叶えてくれる神社らしい。どこでそんな情報を仕入れたのかは知らないが、正直、とても胡散臭い。
どうやら、彼女は家族の一人が、病気で入院しているため、早く元気になってもらうため、神社に行きたいとのことだ。
神社に対して興味はなかったが、こうして、彼女と同じ目的に向かって、過ごす時間ができたことは楽しかった。
神社は山奥にあるらしく、果たしてたどり着けるのだろうか。彼女は、地図を見て、案内してくれるが、確か僕の記憶が正しければ、彼女は方向音痴だった気がする。このまま、任せていては、日がくれるかもしれない。
「夏野。たどり着けそうか。例の神社まで」
「うーん、たぶん!」
「ほんとかよ。三時間くらい登ってるが、それらしきものすら見えないぞ」
「だって、この地図分かりづらいんだもの」
夏野は、膨れっ面で、言って、僕に持っていた地図を見せようとした時だ。山の上から土砂が崩れる激しい音がした。
「危ない、一木くん」
そんな彼女の声がした。僕の体は、彼女に突き飛ばされた直後、彼女にめがけてものすごい量の土砂が流れ込んできた。
「夏野!」
僕は運よく、彼女のおかげで、土砂に巻き込まれずに済んだが、彼女は土砂に巻き込まれ、姿を消していた。
土砂はかなり山の下の方まで流れていた。僕のいる周辺には、彼女の姿がないことからして、山の下まで彼女は流されたのかもしれない。
僕は、慌てて、山を降りた。急いで、降りたせいで、足を滑らせ、腕や足が擦りむいてしまう。
僕は痛いのを我慢して、彼女を探す。なかなか、彼女を見つけることができない。考えたくないが、土砂の中に、埋まってしまっているのだろうか。
「一木くん......」
僕の名前を呼ぶ彼女の声がした。いつもの元気な声ではなく、弱々しい彼女らしくない声だ。
嫌な予感がしながら、彼女の声がする方に行ってみると、彼女は地面に倒れ込んでいた。意識が朦朧とした状態で、傷だらけだ。かなり危険な状態であることが、見てとれた。
「夏野。大丈夫か。今、助けるからな」
「一木くん、せっかく助けたのに、何でそんなに傷だらけなの。擦りむいて少し出血してるみたい」
「僕のことはいいんだ。夏野の方こそ、体は大丈夫なのか」
「大丈夫ではないみたい......。視界がどんどん暗くなってきて、意識がもう少しで途切れてしまいそうなの」
「僕がそばについてる。君を絶対に死なせない」
僕は、彼女の手を握りながら言った。暖かかった彼女の手は、かなり冷たくなっている。携帯を取り出し、急いで、救急車を呼ぼうとしたが、山奥で圏外の表示になっていた。
「こんなときに圏外なんて」
「神社......」
彼女は、小さな声で呟いた。
「神社?」
僕は、顔を上げると、滝の流れる場所に小さな神社が立っているのが見えた。滝の水で、七色の虹がかかり、どこからか鳥のさえずりが聞こえる。
彼女のことで頭がいっぱいで神社の存在に気づかなかった。この神社が、僕たちの探していた神社なのか。
「本当に神社があったのか。こんな山奥に」
話しかけたが、彼女からなんの反応もかえってこなかったので、変だと思い見ると、彼女は目を瞑っていた。
「夏野!大丈夫か」
彼女は、相変わらず目を覚ます気配がない。彼女の手を握る僕の手は、しきりに震えていた。
「ねえ、そこの君、願いを言いに来たの」
どこからか、声が聞こえた。誰だろう。全く聞き覚えのない声だ。周囲にも、彼女以外の誰かがいる様子もない。
「ごめん、今は彼女が大変なことになっているんだ。話している時間はないんだ」
「でも、彼女はもう死んでるよ」
誰かも分からない声は、残酷な事実を軽々しく言った。うっすら、そうかもしれないと思ってはいたが、受け入れたくなかった。わずかな希望をもっていたかった。
「嘘だ!そんなの。何で、そんなこと分かるんだよ!」
「それは、僕が神様だからだよ。ここの神社に住んでいるね」
神様だって。神様なんて実際にいるのか。胡散臭いし、いつもの自分なら到底信じないだろう。だけど、もし、実在するならば、僕には叶えてほしい願いができた。
「ほんとに神様なんだな。頼む。彼女を生き返らせてくれないか」
「運が良かったね。実は、人を生き返せるのは禁止事項なんだ。だけど、彼女の精神はまだ完全にこの世から離れていないみたいだから、できなくはないよ」
「じゃあ、彼女は生き返るのか」
「彼女が生き返るのかは君次第だね。彼女は、今、この世とあの世の間にいるんだ。そして、あの世に向かって進んでいる。君が、彼女の精神をこちら側に戻してくれたら、助けられるよ」
「何でもするよ。具体的にどうすればいいんだ」
「その前に、彼女の肉体を保存しなきゃだね」
神様が、そういうと、至るところから蝉が飛んできて、彼女の出血した部分に何匹か止まった。こうも、大量に蝉が止まっていると気持ち悪い。
「これで、彼女の肉体は、大丈夫。あとは、あそこの滝壺の中に入って、彼女の精神をこの世界に戻してくれれば、生き返らせることができるよ」
「よし、あそこの滝壺だな。今すぐ彼女を助けに行く」
「待って。大事なことを言わないといけない。願いを叶えるのには、条件があるんだ。対価を支払ってよ。彼女を助ける代わりに、君には、それに値する何かを差し出す必要がある」
対価だって。彼女を助けるためなら、どんな対価だって支払うつもりだ。神様は、この後、僕が支払うべき対価について話した。その内容は、僕にとって、胸が苦しくなる話だったけれど、それで彼女を救えるならと、承諾した。
※※※
滝壺に飛び込むと、どんどん、底深くまで、体が沈んでいった。水のなかだというのに苦しくない。不思議な感覚だ。
最初は、上からの日の光で、明るく幻想的な様子だったが、次第に暗くなっていき、底に着くころには、辺りは真っ暗で、何も見えない状態になっていた。
ここはあの世とこの世の狭間。このどこかに彼女がいる。
暗闇は、果てしなく、続いているように見える。方向感覚も分からなくなってくる。あの世に行く前に彼女を見つけ出さなくてはならない。
歩いていると、暗闇の中にいくつか、スクリーンのようなものが現れて映像が流れた。今まで僕の思い出が、映像となって表示される。その中には、夏野との思い出もあった。死に際に、走馬灯を見るというが、まさにこの光景がそうなのかもしれない。
あれは、夏野と初めて出会った時の思い出だ。教室の中、偶然、隣り合わせの席になって、この時は恥ずかしくて、目を合わせることすらできなかったな。
こっちは、夜中に、僕が彼女に告白した歩道橋の思い出だ。彼女が、笑顔でうなずいてくれた時は、嬉しかった。
こんなにも、彼女との思い出があったなんて。
なんとなく、彼女は、次々と思い出が映し出される方向にいる気がした。僕は、彼女がいるであろう場所に向かって駆け出した。
しばらくすると、暗闇から明るい場所に出た。そこは、お花が咲き乱れる草原があり、青く澄んだ大空が広がっていた。そよ風が心地よく、草木が優しく揺れる音がする。
草原の真ん中には一本の大樹が生えており、その近くに彼女はいた。
「夏野、やっと会えた。そっちへ、行っては駄目だ」
彼女は、僕の方を振り返ると、笑顔で言った。
「あっ、一木くん。みてみて、このお花、とても綺麗なの」
彼女は、草原に咲く花びらが赤い一輪の花を指差した。確かに、美しく綺麗な花だ。彼女は昔から花が好きだから、ここの花にも興味が出るのは、理解できた。
「夏野......」
「なに?」
「突然、変なことを言い出すと思うかもしれないけれど、最後に僕の話を聞いてくれるか」
彼女は、笑顔を浮かべて言った。
「最後だなんて。まるで、これからずっと会えないみたいな言い方ね」
やっぱり、彼女の笑顔は、僕に元気をくれる。何度、この笑顔に救われただろう。辛いとき、挫けそうになった時、いつも君がそばにいて手を握ってくれた。
「今までありがとう、夏野。君がいつもそばにいてくれて本当に幸せだった」
彼女に関する色々なことを思い出されて、自ずと涙が頬を伝った。最後はかっこよく終わらせようと思ったのに、情けないところを彼女に見せてしまった。
彼女は、僕の泣き顔を見て、なにかを察したのか、真剣な表情を浮かべ言った。
「こちらこそ、ありがとう」
彼女が言い終わった瞬間、広大な草原を駆けるように風が吹いた。思わず閉じた目を開けると、目の前にいた彼女は、いなくなっていた。
彼女がいなくなった後も、草原の花は、何事もなかったかのように、風に揺られている。
「神様、これで彼女は助かるんだよな」
「うん、助かるよ。今、目を覚ましたのを確認したから」
「そうか。良かった。でも、もう、彼女とは会えないんだね」
「そうだね」
彼女を助けに滝壺に入る前、僕は神様から彼女を助ける代わりに、自分の命を差し出すように言われた。生きられる命にも、枠があり、誰かの枠を減らさない限り、彼女は生き返らせることはできないらしい。
彼女ともう会えなくなると知った時、とても辛くて、正直、とても悩んだ。
でも、本当は、心の中で決まっていたのだと思う。彼女に生きてほしかったから。
そして、僕は、最後に神様に、頼んでいた。
もし、彼女が生き返って、目を覚ました時、僕のことで悲しまないように。
僕のことを探し回らないように。
彼女の生きる世界には、僕がもとからいなかったことにしてほしいとーー。
あの夏を生きた僕ら 東雲一 @sharpen12
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