第3話 マティーニ

 さてさて夜はまだ始まったばかり...暫くはこの素晴らしいジントニックをじっくりと味わいながら、バーテンダーさんとの会話を楽しむ事にしよう。


 彼はそう考えながらグラスを傾けた。



 店に流れている控えめな音量の音楽が耳に心地良い。


 今流れている音楽はStingのRussians。


 たしかアルバム"The Dream of the Blue Turtles"に入っている曲で、悲しいまでに冷たく愁いを帯びたブルーな曲想で彼のお気に入りの一曲である。


 店内に綺麗だけど哀しげで、だけどどこかやさしさを感じる歌が流れる...


 彼の持つBarのイメージは、音楽は流れていないか、流れていてもジャズかクラシックと思っていた。


 どうやらこの女性バーテンダーさんは思った以上に柔軟な感性の持ち主の様である。


 「本格的なオーセンティックバーでStingですか?珍しいですね?」


 と彼が問い掛けると、グラスを磨く手を少し止めて彼女は


 「確かに少し邪道かもしれませんね。でも私のお店ですし店の雰囲気を壊さなければBGMは何でも良いと思っちゃってます。だからクラシックやジャズから洋楽にポップス、アニソンもありますよ♪」


 彼女は悪戯っぽく微笑みながらバックバーの片隅に設置されたmcintoshのオーディオシステムを指差した。



 暫し音楽の話で盛り上がり、気が付くとグラスの中身が大分少なくなって来た。


 さっさと飲み干してしまい、何か二杯目を注文しようかと思ったがその前に煙草が吸いたくなって来た。


 革製のパイプポーチの中から折りたたみ式のパイプスタンドを取り出しその上にSTANWELLのパイプを置く。


 次にポーチの中から二つ折にし収納ている名刺サイズの紙と小分けした煙草とタンパーを取り出し、カウンターの上で紙を広げると、その上にベントレーのロイヤルバニラを小袋から取り出し軽く煙草の葉を揉みほぐす。


 後は少し摘み、パイプのボウルに硬さを調節しながら四回に分けて詰めて行く。


 一連の作業を彼女もグラスを磨く手を止めて興味深く見つめている。


 「美人さんにそんなに見つめられると緊張しちゃいますよ⋯」


 悪戯心を出し彼女に何気なく言ってみると、意外な事に彼女は頬を染めて下を向き何やらモニョモニョ呟いている⋯


 あ、失言しちゃったかな〜と内心思いながらも、知らない振りをしながらパイプを咥えて軽く吸い煙草の詰め具合を確認すると、デュポンのライターを取り出しフタを開ける。


カキン!と甲高い音が店内に響く。


 この音がデュポンの醍醐味だよな⋯などと思いながら火をパイプのボウルに近付ける。


 ボウル焦がさない様に注意しながら軽く息を吸うと煙草に火が移る。


 2~3服して煙草が盛り上がって来たのをタンパーで慣らして再度点火。


 後は軽く吸って吐いてを繰り返す。


 パイプから立ち上る紫煙と共に、店内に品の良い甘い香りが広がって行く。


 「パイプの香りを嗅ぐのは初めてなんですが凄く良い香りですね♪甘い香りで素敵です♪」


 パイプの香りは紙巻き煙草に比べると強いのが多く、嫌がられるかと思ったが、予想を上回る好反応だった。


 さらに少しからかってみようかと思い、彼女に作家の北方謙三氏の言葉を借り、


「あんまり近づいていると家に帰ってから胸がキュンとしちゃいますよ。パイプの香りが髪に付いてるから思い出しちゃいますよ。」


 と言うと、彼女はまた下を向き何やらモニョモニョ呟いた。



「次は以下がなさいますか?」


 グラスのお酒を飲み干し、一息ついた絶妙なタイミングで彼女が声をかけて来る。


 次は何を注文しようか?彼女なら大抵のオーダーに答えてくれそうだ...


 そう思いつつも心の片隅に意地悪な気持ちが顔を覗かせる。


 もう一度だけ試してみよう...


 意地悪半分、そしてもう半分は彼女に期待しつつ彼は次のお酒をオーダーした。


 「辛口のマティーニをお願いします。デュークススタイルで...」


 彼女にそう伝える。


彼女は一瞬ビックリした表情を浮かべたが、直ぐに満面の笑みを浮かべ


 「かしこましました♪完璧なデュークススタイルでは無く少し私のアレンジが入ってしまいますが宜しいでしょうか?」


 と彼に答えた。


 ⋯え!出来るの!?⋯彼が戸惑いながらも了承すると、彼女は直ぐにテキパキと作業に入る。


 まず目の前のフルーツの入った篭から良さそうなレモンを取ると、研ぎ上げられたペティナイフで皮を大ぶりに六枚切り取った。


 切り取ったレモンの皮を小皿に置くと、次に別の小皿にオリーブとカシューナッツを入れた。


 小皿を用意しながら


 「ジンとベルモットの銘柄は私にお任せ頂いて宜しいでしょうか?」


 と彼に尋ねる。


 彼から銘柄についての了承を取り付けると、冷凍庫からキンキンに冷えたジンを取り出し、続いて冷蔵庫からドライ・ベルモットのボトルを取り出すとカウンターに並べた。


 「ジンはせっかくなので品物自体は残念ながら終売になっているビフィータのクラウンジュエルを、ベルモットはセイクレッドのエクストラベルモットを選ばせて頂きました。」


 「これをジンとベルモットのバランスが崩れないギリギリのラインまでドライに仕上げさせて頂きます。」


 彼女はそう言うと冷凍庫からこれまたキンキンに冷えて霜のビッシリ付いたカクテルグラスを取り出し、スポットライトで照らされたカウンターのバーマットを敷いたスペースに置いた。


 次の瞬間、バースプーン一杯分程のベルモットを直接グラスに注ぐと、続いて素早くジンをメジャーカップを使わずに注ぎ入れ、バースプーンで軽くステアした。


 その作業には全く迷いが無い。


 彼女の鮮やかな手捌きに見惚れている間に作業はどんどん進み、小皿に入ったレモンの皮の内五枚を使い、四方からピールしてグラスとお酒にレモンの皮の香りを付けていく。


 そして六枚目の皮をグラスの上でツイストすると、そのままグラスの底にそっと沈め、ゆっくり持ち上げると彼のコースターにそっと置いた。


 次にオリーブとカシューナッツの入った小皿をグラスの横に置くと


 「お待たせ致しました。デュークスマティーニです♪」


 少しい悪戯っぽい笑顔を浮かべて彼に伝えた。


 「イギリスのデュークスホテルのバーテンダー、ジルベルト・プレディ氏の作り方とは少し違うのですがご容赦下さいね。」


 彼女はそう言いながらも彼の反応が気になるのだろうか?少しソワソワしながら彼の様子を伺っている。


 「頂きます。」


 グラスに軽く手を合わせていつもの癖でそう呟くと、グラスを口に運んだ。


 「うわっ!美味しい!」


 思わず声が出てしまう。


 一口、お酒を口に含むと歯茎に沁みるほど極限まで冷えたマティーニがトロッと口の中に広がる。


 50度と度数の高いクラウンジュエルであるが、飲みやすく口の中に豊かな香りが広がる。


 そしてセイクレッドのベルモットのハーブやスパイスの効いたキレのある味わいが見事なハーモニーを創り上げている。


 「リンススタイルでもっとドライに仕上げる事も考えたのですが、これ以上ベルモットを減らすと味のバランスが崩れちゃうと思って...。まだ辛口の方が宜しかったですか?」


 と聞いて来たので


 「いえ、私もこれ位の割合が好みですね。今まで飲んで来たマティーニの中でもトップクラスの美味しさですよ!」


 と答えた。


 すると彼女は


 「ありがとうございます。そんなにお褒め頂いて光栄です♪」


 と心から嬉しそうに微笑んだ。


 その笑顔にまたまたドキッとしながらも一度味覚を変えようと小皿に入ったカクテルピンの刺さったオリーブに手を伸ばす。


 すると彼女が「あ、そのオリーブは私が小豆島まで行って詰んで来たのを漬けた物なんですよ。お口に合うと良いんですが♪」と事も無げに言った。


 は?この人、今、サラッととんでもない事を言ったぞ?


 ...いやいやいや、自分で漬けた?とんでも無く手間暇がかかる作業だぞ〜⁉何者なんだこの女性は〜⁉


 彼があっけに取られているのを眺めて、少しドヤ顔を浮かべつつ悪戯っぽく笑う美和さんでした。

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『Bar風花(かざはな)』〜カクテルとパイプに美人バーテンダーさんを添えて〜 天照 @sdf-laelaps

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