ゆきの反物

ヨシダケイ

ゆきの反物


それは噂に違わぬ見事な反物であった。


行商人の私は、


「江戸にこの世のモノとは思えない美しい反物がある」という噂を聞きつけ、

はるばる信州から江戸までやってきたのだった。


長旅と降り続く雪のせいで私の身体は冷え切っていたが、店で反物を見た途端、旅の疲れは吹き飛んでしまった。


「今、大旦那を呼んできますね」


そう言って奥へ行ったのは、丁稚らしき少年であった。店に来た私に、反物を見せてくれたのは彼であったが、年頃からしておそらくこの店の奉公人だろう。

思い返すと私もあの年頃から商人としての修行を積んでいた。

彼を見てると昔の自分を見ているようでどうにも懐かしく思ってしまう。

ただ丁稚にしては、線が細く肌が白いように見えた。あれでやっていけるのであろうか?

そんな事を考えてると不意に声がした。


「どうです?当店、自慢の品物でございます」


そう言って、丁稚の少年と入れ替わりに店の奥から出てきたのは物腰の柔らかな老人であった。


この店の主であろうか。


私は老人に軽く会釈をすると反物に視線を戻した。


それにしてもこの反物。


深く染み入る藍色と絹のような柔い触り心地。


これだけでも素晴らしいのだが、何より私の心を奪ったのは生地に描かれた「模様」であった。


お武家の家紋に似ているが、少し違う。

緻密さは家紋のそれ以上かもしれない。


藍色の生地に描かれた白の幾何模様。


とにかく生まれてから見たことのない見事な「模様」であった。


一体、誰が考えたのだろうか?


私が不思議に思っていると老人が話しかけてきた。


「この模様に驚いていますね?」


老人の顔は、まるで私が驚くことを初めから分かっており、それを楽しんでいる子供の様な笑顔であった。


「お客さん。これはね、雪なんですよ」


雪だって?

奇妙に思う私をよそに老人は続けた。


「降る雪、小さい一つ一つの粒。雪の粒は手に取るとすぐに溶けてしまいます。しかし、溶ける寸前、あるモノを使えばこの様な模様を見ることが出来るのです」


ポカンとしている私に老人は、


「外はまだ吹雪いています。どうです?この反物に宿る『ゆき』という娘の話を聞いてくれませんか?」


老人はゆっくりと腰をかけ話を始めるのであった。





江戸の街にこんな雪が降るのは何年ぶりですかね。

お客さんは信州とのことですから、このような大雪には慣れていることでしょう。


でも江戸ではめったにないこと。

そう「ゆき」が亡くなったのも十年前のこんな大雪の日でした。


「ゆき」は津軽の農家の娘でした。


家は貧しく兄弟が十人もいたとのこと。

子ども達全員は食べていけず、兄弟達は殆どが奉公に出された、と語っておりました。


そんなわけで「ゆき」は半分、口減らしのためウチの呉服屋に奉公にやってきたのでした。 


六、七歳の娘でしてな。

名前のとおり肌が雪のように真っ白でした。

そのくせ、頬はいつも紅花のように赤く、とても愛嬌のある娘でした。


飯の時の「めじゃ。めじゃ」という津軽なまりの「おいしい」と言うその声は、皆を笑顔にし「ゆき」はたちまち店の人気者になったのでした。


ただ、店で唯一、「ゆき」を良く思わない者がおりました。

それは、私の息子の嫁「なつ」でした。


「なつ」は何かにつけては「ゆき」に辛くあたったのです。


「掃除が遅い!」


「みそ汁が不味い!」


「お前なんか情けでウチに置いてやってんだからね!」


こんな小言が毎日のように続き、時には折檻さえもありました。

しかし「ゆき」はじっと辛抱強く「なつ」の癇癪に耐えていたのでした。



しかし「なつ」が「ゆき」にあたるのは理由があったのです。


実は、その一年前。


息子夫婦は「ゆき」と同じ年頃の息子「でんすけ」を亡くしていたのです。


それまで病気一つせず元気に育った「でんすけ」だったのですが、その時期、江戸を流行り病が襲いましてな。

「でんすけ」もその流行り病に倒れてしまったのです。


かかると殆どの者が死んでしまう恐ろしい病でした。


しかし、日本橋のとある薬屋にだけ、その病の特効薬があるという噂を耳にしました。


私や息子夫婦は藁にもすがる思いで、その薬を求めました。

が、その値が問題でした。


その薬、ウチの店の家財道具全部を売り払って何とか買えるかどうかの高値だったのです。


私共ではとても手を出せるものではありませんでした。 


もしウチの店が大繁盛していた爺さんの頃だったら、薬も買えたでしょう。

しかし「でんすけ」が倒れた頃は、恥ずかしい話、店を潰さないようにするのが手一杯の状況でした。


嫁の「なつ」は、家財一式売り払ってでも薬を買いたかったのでしょう。 


ただ、その薬、子どもには一切効果がないという噂もあったのです。

家を売り払って、「でんすけ」の病が治らなかったら、それこそ家族全員が路頭に迷ってしまいます。


私どもは「なつ」に薬を諦めてもらい、ただひたすら祈る他無かったのです。


神仏は時として残酷です。


祈祷も虚しく「でんすけ」は十万億土へと旅立っていきました。


その頃からです。


気立てが良かった「なつ」が変わってしまったのは。


「金さえあればでんすけは死なずに済んだ」


「アタシがでんすけを殺した」


毎日、毎晩「なつ」は苦しみ続けたのでした。


そんな心の傷も癒えてないときに「ゆき」が来たからそれは大変でした。


「ゆき」が店の者たちに愛されれば愛されるほど、「なつ」は「でんすけ」を思い出してしまったのでしょう。


「なつ」は「でんすけ」との辛く悲しい思い出から逃れたく「ゆき」にあたったのです。 


「なつ」の夫が、つまり私の息子が「なつ」に強く言えばよかったのですが、アイツは誰に似たのか、気が弱いヤツで、オロオロとするばかりでした。


それでも「ゆき」は辛抱強く耐えました。

泣き事、不満は一切言わなかったのです。

そればかりか一生懸命、店に奉公してくれました。


そんなある晩の事。


深夜、私が厠へ行こうとすると何やら土間で物音がするではありませんか。


月の無い真っ暗な晩。


泥棒でも入ったのかと私の心の臓は飛び出しそうになりました。 


遠くから恐る恐る物音の方を覗いてみると、何と物音の正体は「ゆき」でした。


よく聞くと「とっちゃ、かっちゃ」と声を殺して泣いていたのです。

辛抱強いといっても六、七歳。

まだまだ親に甘えたい盛り。

故郷が恋しいのは当たり前。

でも、涙を周りに気付かれてはいけない。

そんな気遣いから「ゆき」は一人、深夜の土間で泣いていたのです。


私は「ゆき」を不憫に思いましてな。


何とかしてあげられないかと一計を案じることにしました。


そして次の日のこと。


その日は朝から雪が降っておりました。

私は「ゆき」を庭に連れていくと、降る雪を黒紙に載せ、大急ぎで「顕微鏡」に取り付けたのです。


「顕微鏡」とは何かですって?


やはりお客さんも知りませんか。


「顕微鏡」とは、阿蘭陀で作られた「小さなモノが大きく見える」不思議なカラクリの事なのです。

大変高価なもので羽振りが良かった爺さんの代に蘭学者から買ったモノでした。


私は、雪の粒一つを、顕微鏡に取り付けると「ゆき」に見せてあげました。


その時の「ゆき」の顔は今でも忘れられません。


「おろう。こった、めごいモンがこの世にあるどは。わっきゃ幸せだ」


「ゆき」は感激と喜びで飛び跳ねておりました。

そして興奮のあまり「ゆき」の熱い吐息で、雪は溶けてしまったのです。


「ホレ、ゆき。人の息は熱い。気を付けんとすぐ溶けてしまうぞ」


興奮冷めやらない「ゆき」は、次はじっと息を潜め、再び雪の結晶に魅入るのでした。 


しばらく経ったのち、

私が「さあ仕事に戻るぞ」と言っても、普段は決してワガママを言わない「ゆき」が、この時だけは、


「大旦那様。あど一回。あど一回」


と何度も何度も、背伸びしては必死に顕微鏡の中を覗き込むのでした。


そのような「ゆき」を見て、私も

「見せた甲斐があった。これで泣くことも無くなるだろう」と一安心しました。


しかしそれから一月ほど経ったある朝のこと。


その日は何日も続く大雪だったのですが、「ゆき」はいつもと違いフラフラと足取りがおぼつかなかった、とのことでした。


私がいれば休ませたのですが、生憎その日、私は買い付けに出て、店にはいなかったのです。


年末の忙しい時期で周りの目もあったのでしょう。


「ゆき」は、

「大すたごどね」と無理を押して頑張ってしまったのです。


しかしその晩、「ゆき」は高熱を出してしまいました。


医者を呼ぼうにも大雪で来られず、店の者たちが必死で看病したものの「ゆき」の熱は一向に下がりませんでした。


そして三日後の雪が降りしきる夜。


皆の見守る中「ゆき」はその短い生涯を終えたのでした。


この時ばかりは、「なつ」も後悔していました。


「なぜ休ませなかったのか。もっと優しくしてあげてれば」と。


「ゆき」が亡くなり、しばらくは、私も含め店の雰囲気は暗くどんよりと沈んだままでした。


ただ、いつまでも悲しんでばかりもいられません。


悲しいようですが「ゆき」が亡くなっても、私どもの暮らしは続きます。

店の忙しさに追われているうちに日々は過ぎていきました。


そして江戸に雪解けの季節がやってきました。


「やっと雪が溶けた。これで「ゆき」の両親がいる津軽へ行ける」


私は「ゆき」の位牌を両親に届けるため旅支度をすることにしました。

すると「ゆき」の荷物から驚くべきものを見つけたのです。


それは「模様」が描かれた紙でした。


しかもその「模様」とはあの日、顕微鏡で見た雪の結晶だったのです。


私は「ゆき」が、一瞬で溶けてしまう雪の結晶をこんなにも美しく大きく悠々と描いていた事に驚きました。


そして、あの時のことが絵に描く程、嬉しかったのかと思うと、私は涙が止まらなくなってしまいました。


私は考えました。


幼いままに死んでいった「ゆき」が不憫でなりませんでしたし、「ゆき」の形見であるこの模様を何とかこの世に残せないものか、と。


そこで私が思いついたのがこの模様を反物に描くことだったのです。


そう。


やっと気づいたようですね。


その反物に描かれている模様は、あの日、「ゆき」が顕微鏡で見た「雪の結晶」だったのです。 


私は故郷の両親へ位牌と一緒にこの「ゆきの反物」を届けにいきました。

「ゆき」の死を伝えると、両親は嘆き悲しんだものの、二人とも私を責めることは決してありませんでした。

その優しさが、正直なところ私には辛かったのです。


貧しい東北の農家の身分。

爺さんの頃から比べれば落ちぶれたとはいえ、江戸で商いをする商人の私には何も言えなかったのでしょう。

考えすぎかもしれませんが、津軽の貧しい村々を見るとそう思わずにはいられませんでした。


私はひたすら頭を下げると津軽を後にしました。



そして江戸に帰ってくると驚きが待っていました。


私の作った「ゆきの反物」の残りを、息子が試しに売っていたのです。

しかもこれが大評判になっていたのです。


これまでにない美しき模様という事で、反物は飛ぶように売れました。

しかも競合する相手はありません。

なぜなら顕微鏡を持つ私どもの店でしか、あの「雪の結晶」を描けないのですから。


それから十年。


「ゆきの反物」のお陰で、借財はすっかり返済。

店も潰れずに済んだというわけです。


それもこれもすべて、奉公に来てくれた「ゆき」のお陰だったのです。


「ゆきを弔うためこの反物を広めよう」 


私はそう思い今日まで頑張ってきたのでした。




老人の話はここで終わった。

私は一つ気になったことを聞いてみた。


「その後、ゆきの家族はどうなったのですか?」


老人は「小助。こっちへこい」と言うと、やってきたのは、最初に反物を見せてくれたあの丁稚の少年であった。


「小助と言いましたね。「ゆき」の弟です。息子夫婦の養子にさせていただきました」

そういうと老人は小助の頭を優しく撫でた。


「残念ながら「ゆき」の両親は5年前、津軽で亡くなりました。ただ小助以外にも「ゆき」の兄弟は私どもで預からせてもらっております。それがせめてもの「ゆき」への贖罪です」


老人が涙目になると、小助少年は優しくいたわるのであった。



私は深々と頭を下げ、老人から反物を受け取り店を出た。


外の吹雪はもうすっかり止んでいた。

見あげた空には、曇の切れ端から一筋の日の光と青空が微かに見えた。


「信州では私が『ゆきの反物』を広めるとするか」


そんな事を考え、息を吸い込むと微かに梅の香りがした。


「もう、春か」


私は力強く一歩を踏み出すと帰路へとついたのであった。

〈了〉



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