第3話 ドブ板通りなんて大嫌い

 高杉との会見は30分ほどで終わった。

 部屋を出る前、高杉はできるだけ早く薬を手に入れてもらいたいと言って、深々と頭を下げた。そりゃそうだろう。祖母として、孫の苦痛は一刻も早く取り除いてやりたいに決まっている。

 だが、A+民である羅乃が新宿歌舞伎町のような特別指定地域に行くには、護衛をつける必要があった。万が一にも体に傷がつくようなことがあってはいけないと、法で定められているのだ。

 だからといって、国が斡旋してくれるわけではない。東京・大阪・仙台・松江・博多の五都に住むS民ならば公的な護衛官もつくだろうが、さすがにそこまで手厚くはなかった。

 おまけに、雇う際の権利ポイントは羅乃負担ときている。どうせそれほど使わないから別にケチるつもりはないが、毎度なんとなく腑に落ちない気分になる。

 しかし、考えても仕方ない。

 羅乃は気持ちを切り替え、サポートAIに話しかけた。

「今からドブ板通りに行くから、車を手配をして」

「了解しました」

 私的護衛プライベート・エスコート、いわゆるPEを雇うには、PE専門の人材派遣会社に依頼しなければならないのだが、なぜだかこれだけは電話などの使用が禁じられている。雇い主が直接事務所に出向き、話をつけなければならない。代理人を立ててもいいのだが、それでは無駄に時間がかかる。さすがに今回のケースばかりは、羅乃とて急ぐ必要性を感じていた。

 ドブ板通りは、羅乃の住むYスカ市にある商店街で、前世紀にアメリカ合衆国海軍の基地に駐在する軍人相手に商売をする人たちが集まってできたそうだ。

 ところが、2041年の国連分割でアメリカと日本が敵対した際に米軍は撤退。跡地には日本海軍司令基地となったものの、繁華街としての役目は徐々に失われ、代わりに合法から非合法まで、どんなサービスや品でも商う人々が店を構えるようになった。

 家からドブ板通りまでは車でおよそ10分。

 PEの手配にはそれほど手間取らないはず。小一時間もすれば東京行きの準備が整うだろう。ならば、そのまま目的地に向かった方がいい。

「服を着替える。念の為防御機能のついた服にして。スカートはだめ。あ、それから、一応ショックガンは持っていくから」

 大げさかもしれないが、ニュースで見る限り、最近の歌舞伎町界隈は以前にまして治安がよろしくない。用心はいくら重ねてもよいものだ。

 ウォークインクローゼットに入ると、命じたものはすでに用意されていた。私は手早く着替え、壁の保管ブースからショックガンを取り出して、エネルギーが満タンであることを確かめた。

「まもなく車が到着します」

「わかった。すぐ出る」

 玄関にはいつものスニーカーではなく、軽金属製の安全靴が出してあった。金属製とはいえ、麻程度の柔軟性はある布状金属なので履き心地はさほど悪くない。とはいえ、普段はめったに使わない。これを履いているだけで、なんだか危険にさらされているような気がして落ち着かなくなる。

 だが、同時に感じていた。

 心の何処かにある高揚感を。

 ドブ板に行くだけでも久しぶりなのに、東京となると二年以上はご無沙汰だ。

 依頼を受けた瞬間はめんどくささしかなかったが、いざ出発するとなると少し楽しくなってきていることは否めない。

 大規模な自然災害も人災も日常茶飯事に近いこの時代、刺激のない生活は間違いなく特権だ。普段の羅乃はその特権を喜んで享受し、満足している。

 それでも、こういうことがあると、ふと心が乱れるのだ。

 本当は、この生活に物足りなさを感じているのだはないだろうか、と。

 もっと起伏に飛んだ毎日を欲しているのではないか、と。

 だが、羅乃は感情が言葉に結晶する前に、軽く頭を振って霧散させた。私は、今の生活に不満などない。あるはずがない。

「車が到着しました」

「……すぐ出る」

 もう一度頭を振って、羅乃は扉を開けた。


「歌舞伎町ですか? 歌舞伎町の護衛ならBクラスから選んでもらうことになりますが」

「え? Bクラス? 大げさじゃない?」

 PE専門人材派遣会社、その名も「護衛艦デストロイヤー」の所長、マイケル・誉田はいつもながらの胡散臭い微笑みを浮かべていた。

「前に東京に行った時はDクラスだったでしょ? まあ、神田と歌舞伎町じゃ多少事情は違うだろうけど、それにしたってBクラスはないよ。国外に出るわけじゃあるまいし」

「それがですな、去年の年末に歌舞伎町あたりの警戒ランクが突然2段階あがったんですよ」

「ほんとに? そんな話聞いたことないけど」

「ご存じないのも無理はない。さほど報道されませんでしから」

 ですが、ほら、と誉田所長は空中投影Airpadを羅乃の前に出現させ、中ほどにある文字を指さした。

「この通り、新宿区歌舞伎町の警戒ランクがイエロー+になっておりますでしょ?」

 20年前に制定された国土安全性確保法、略称安保法によって、現在は全国土が細かくリスク評価され、レッド、イエロー、グリーンに分けられている。評価は十ほどの項目を加点方式で計算し、30点までがグリーン、70点までがイエロー、それ以上がレッドとなる。ただし、同じランクの中でさらにマイナスとプラスがつくので、実質9段階だ。これらは四半期ごとに見直されるが、通常はそう大きく変動することはない。よって、1期に2段階のランクアップは異例といえた。

「2ランクもアップするようなこと、あったっけ? 私の記憶にはないけど」

 羅乃は首を傾げた。2ランクアップとなると、目に見えた治安悪化や大規模災害の発生など、それなりの理由があって然るべきだ。

「いやあ、どうもそこがねえ……」

 誉田所長は、きれいに電光を反射する頭をつるりと撫で回した。

「どうもはっきりしないんですよ。治安悪化は前々からの話で今更ですし、かといって大々的に報道されるような派手な事件や事故は起きてないんですがね」

「報道されないようなものなら起きている、ってわけ?」

「うーん、なんと言いますかねえ……」

 言い淀む姿に一抹の不安を覚えた羅乃は、少し語気を強めた。

「はっきり言ってくれないかな? 場合によっちゃあ今回の任務はキャンセルしなきゃならないし」

 所長は、目元は愛想笑い、口元は困ったようなへの字を浮かべながら、わずかに逡巡する様子を見せたが、Bクラスを勧める以上は説明責任があることを思い出したのだろう。「ここだけの話ですよ」と紋切り型のセリフで話を始めた。


 羅乃さんのおっしゃる通り、表向きにはこれっていう理由がないんですよ。

 ただ、うちに出入りしているPEたちが聞いてきた噂話だと、今まで見なかった半グレ集団みたいなのが盛んに街を出入りしているらしいんです。

 まあ、歌舞伎町に半グレなんて月見に団子ってぐらい付き物だけど、どうもこいつらは様子がおかしい、半グレらしさがないっていうんですよ。

 なんでも、シノギに真面目すぎるというか、統率が取れすぎているというか……。

 半グレなんちゅうのは、所詮ハンパ者の集まりです。自分さえよければいいし、チャンスさえあれば上のモンを出し抜いてでも金儲けしようとする。

 けど、この連中は違う。20世紀のヤクザも驚くほど組織化されているんだそうで。元軍にいたPEなんかは自分がいた隊よりよっぽど軍隊らしいと笑ってましたな。

 どんなところが、って?

 戦闘能力が高いし、武器の扱いにも慣れている。実際にそいつらとやりあった別のPEは、まるで制服を着ていない小隊だと言ってましたな。しかも、命令されたら、それこそ堅気の年寄りでも赤ん坊でも平気で殺るってんですよ。まったく関係のない人間を巻き込むことだって辞さない。よっぽど訓練されたスパイでもないかぎり、あそこまで非情になれるもんじゃない、ってね。

 今、そいつらのせいで、歌舞伎町はどこでどんな暴力沙汰--というより、小規模戦闘が起こってもおかしくない状態になってるんでさ。公には、だからBクラスって話になるんです。

 だけど、本当のところは、警察の動きがいまいち鈍いってのがランクアップの理由でしていね。あれだけの連中がいるのに、機動隊や特務隊が出る様子もないらしいんです。普通なら壊滅作戦が始まってもいいってのに。

 ま、うちみたいな商売にはありがたい話ではあるんですけどねえ。

 

 話す所長の顔は、愛想笑いこそ消えていないが、目は真剣だった。

 まるっきり嘘でもない、のだろう。

 羅乃はますますうんざりした。したが、行かねばならない。行き先が戦場でもない限り、下級民からの直接依頼遂行義務は絶対なのだ。

「……わかった。じゃあ、Bクラスをお願い。あ、でも女性のPEにしてね。男は嫌だから」

「ああ、それなら新人だけど最高のがいますよ!」

 所長の声がオクターブあがった。


 






 

 

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ディストピア世界の郊外生活 三浦すずしろ @yokominatoyoko

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