あの声――後編
「私の勝手でしょ!」
シラユキが怒鳴る。
「売るんだからデカいのは食うなって言ってんだろ!」
「嫌だって言ってるでしょ!」
これだけ聞けば何で喧嘩をしているのかが分かる。
魔物にとって人ツムリは美味しいご飯である事があの日、ケンのお婆さんによって証明された。人と魔物の味覚はだいぶ違うらしく、僕たちはどうしても食べられなかったけれど。
人間たちはその殻を加工して装飾品にするのだけれど、食料として食べ物屋に売ると売値が倍ほど違ってくるのだ。
そして今回は地主からの退治の依頼。だから退治した人ツムリは僕たちの自由にできるのだけれど、それが喧嘩の原因になっているらしい。
美味しく頂きたいシラユキと、高値で売りたいミズハさん。
二人が僕とノウミに気付いた。
「おぉ! 来てたのか!」
ミズハさんが水面を歩いてこちらに来る。
「お疲れさまです。半分ずつに分けたらいいじゃないですか」
「だから大きいのを寄越せって言ってんだよ!」
「私が食べるのよ! 私が綺麗に穴を開けてあげたんじゃない!」
「俺がとどめを刺したんだ!」
僕としては、これはこれで平和の形なのかもしれないと思う。
ハラハラと、喧嘩を止めるように雪が降り出した。
僕はあの戦いが終わって三日目に目が覚めて、七日目に起き上がった。
その間に尾人たちは魔物である事を受け入れ、人間たちは世界に溶け込んだ。
虫だった時間は人間たちを変えたようで、昔と違って自然の近くで生きる事を選んだ。そして魔物との生活にもあっさり慣れたのだ。
誰も僕の計画不足を責めなかったし、感謝すらしてくれた。しばらくはお見舞いの品やら引っ越し祝いが届いたし、多くの人が店に来てくれた。
そうしているうちにヤマトが、あの珈琲店の店主に新しい店を任された。それが今の灯屋の隣にある、魔物たちの露天喫茶だ。
店主は今までと同じ場所で尾人として店を続けるらしい。
初雪が降った開店初日は崖の下まで魔物で溢れていた。
あれから四か月ほどが経ち、初めての冬が終わろうとしている。
「ちょっと海に行こうか」
「海だとぉ?」
僕の提案に、ミズハさんは眉を顰めてそう返した。
「はい。海底に」
「私は行かないわよ」
シラユキは毛づくろいをしながら言う。
「大丈夫だよ。ちゃんと水に触れない魔法をかけるから」
「それならいいけど」
ノウミは不思議そうに首を傾げる。
「海底に何をしに行くんだ?」
僕はノウミにだけ聞こえるように、小さな声で耳打ちする。
「二人の頭を冷やしに」
「あぁ」
僕たちはその場からすぐに、岸から一番遠い海の上に出る。
僕は魔法なんか使わずに沈んでいく。
海豚が戻った海。鯨が泳ぎ始めた海。
その冷たくて凍りそうな水の底を目指す。
ぼんやりとした視界には追いかけて沈んで来てくれる三人が見えた。
冷たいのに、段々と熱いのかも知れないと思えてきた。水に触れている感覚が無くなって来て、それでも沈んでいく。
魔力の生まれるのを感じた。間違いなくそこに鯨がいる。
それが見たくて自分の力で泳いでみる。沈むのではなくて、底に向かって泳ぐ。
その中で何か声を聞いた。
胸に重く響く不思議な声だ。
『雨の降りて落ちるように
川は流れて止まれぬように
やがては吸われて山となるように生きる者たちよ
お前の水は甘いか苦いか
味さえ知らず争うか
今は同じ草木でないか
元は同じ清水でないか
我らいずれか大地へ出でた
同じ水に抱かれた同胞
故郷の海よ』
あの声だった。
赤い声が海の青と混ざりあう。それが海を紫に染めながら広がっていく。
虫にとっての灯りのように、人間に戻ろうとする僕たちを導いたあの声だ。
僕らはこの声を灯りとして新しい世界を歩いていこう。
別に難しい事じゃない。ただ信じて歩くだけなのだから。
目を閉じる僕の、この手の先に友がいる。
灯屋の虫籠 小林秀観 @k-hidemi
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