やっぱり! ナナが! 好き!
「なに真剣な顔してんのさ……っていうか、ごめん。名前なんだっけ?」
「あっ、奈津美です」
「ごめん、聞いても分かんなかった」
同窓会なんてくるんじゃなかった。こいつらがバカみたいに笑っている声を聞いていると、こいつら本当に成長してないなって思う。
いや、それは私も同じなんだ。
十七歳の頃を思い出していた脳みそは、当時思い描いていた二十歳や三十歳の脳みそとは違って十七歳の頃となんら大差ない。だっていまだに私はチョコミントアイスの怪獣と共存しているし、それに今でもナナのことが好きだ。
同窓会に来ればナナに会えるんじゃないか。そんな安易な考えは、粉々に打ち砕かれてしまった。それならなんの心残りもないんだから、同窓会なんて抜け出して帰ってしまえばいいのに。それなのに私は、私の存在を知ってくれている他の同級生が一人でもいるんじゃないかと思って、氷が融け切って水っぽくなったモヒートの入ったグラスを傾ける。このモヒートを飲み切った時に、誰かが、「なにか飲む?」って聞いてくれなかったらどうしようかと思って、ちびちび飲んでいるせいでモヒートは全然減らない。
モヒートの中に入ったミントから得られる清涼感は、もうほとんどゼロ。それなのに、ここはやけに涼しい。涼しいというよりは冷たい。それに爽やかは皆無。独身女たちはチャンスとばかりに、顔立ちの整った男か高収入の男に媚びているし、男は男で酒に弱そうな女に酒を飲ませたり、尻軽そうな女に近付いて欲望の匂いを発散させている。ドロドロだ。もうここに私の居場所がないのは知っている。頭では分かっているのに、心の中でそれを否定したい自分がまだ存在しているんだ。三十歳になったっていうのに、私は全然成長していない。これじゃあチョコミントアイスの怪獣と一緒だ。そんな自分が恥ずかしくて悲しいし悔しい。でも本当に悲しくて悔しいのは、恥ずかしいと思っている自分を見る人が誰もいないってこと。
私はなにがしたいのだろう。
二十五歳の時に開催された同窓会。あの時の失敗。連絡先は知っていたけど、そんなにやり取りをすることなんてなくて、久し振りに直接会ったナナとかなり話し込んだ。それは問題なかったんだけど会話が弾んで、気持ちよくなってしまったせいでナナに、「好き。付き合って」なんていってしまったんだ。お酒を飲み過ぎていた。ナナがなんて答えたのかはもう覚えていない。それきりナナとは連絡もしなくなった。正確にいうなら連絡はしたけれど、返事がなかったし、メールは届かなくなっていた。
「えーっと、それじゃあ、二件目行く人は店出たら俺にいってください」
幹事であろう男が、喋っている。ナナのことを考えている間に、一次会は終わったようだった。
誰にも知られないまま、そそくさと店を出た。
店の前に女が、一人立っている。白いドットのワンピース。影を追い求めた夏。あの夏にナナと一緒に遊びに行く時、何度も着たワンピース。バス停に垂れたバニラアイスが作るドットみたいなワンピース。
俯いているけど、背格好が同じ。
あれは、きっと。
「ナナ」
「ナツ」
顔を上げたその人は、最後に見た二十五歳の時より大人の女性に近付いた、本物のナナだった。私の妄想じゃないナナ。綺麗になったナナ。
「もう同窓会終わったよ」
「うん」
「みんなそろそろ出てくるんじゃないかな?」
「そうなんだ」
「二次会やるみたいだし、ここで待ってなよ」
「いや、いい」
「なんで?」
「ナツを待ってただけだから。話があるの」
「話?」
「うん」
「なに?」
「ここじゃなんだし、駅前のファミレス行かない?」
「うん、いいよ」
「それじゃあ、行こ」
ナナは私の手を、少し強引に引っ張った。突然のことにどきっとして、心臓と後ろで結んだ髪の毛がぴょっこぴょっこ跳ねる。ナナと一緒にいると、どうしてもあの夏のことを思い出してしまう。でも私の軽率な言葉のせいで、あの頃のようにはなれないんだ。
「ねえ、走らない?」
そう思うと、あの夏みたいに走り出したくなって、ナナの返事も聞かずに地面を強く蹴る。
次は私がナナを引っ張った。
昔と違って今の私は自己管理に気を使っているから、ジムにも通っているし、日課としてジョギングをしている。
あの頃とは違う自分を見てほしいと思った。お互いの関係も、もうあの頃とは違うっていうのに。
「ナツ、走るの早くなったじゃん」
ナツが繋いでいた手を離した。
それなのに、どうしてだろう。三十歳になった私たちは、十七歳の時の私たちとは違うはずなのに、あの頃みたいに繋がっているような気がした。私の勘違いに決まっている。でもナナの顔を見ると、さっきまでの暗い表情とは違って、どこか嬉しそう。
ピコーン! 頭に響いた。
十七歳の頃に考えていた、忘却イコール消滅イコール死とかってイメージは、間違えではないけれど概念的なものであって物質的なものではない。それに絶対でもない。それは、チョコミントアイスの怪獣がいっていたのと同じで、『頭では分かってるんだけど、でも心の中でどうしてもそれを理解できない』ってやつなんだ。人間は結局こういった頭で分かっていても心で理解出来ないことが多すぎるから、そのことについて深刻に悩み過ぎてしまって過剰に反応してしまうんだ。私の世界からナナという存在が離れてしまったことで、私は死に近い深く暗いところへ心を落とし込んでしまっていたけれど、実際はさっきの同窓会であれ職場であれ、私は人に存在を認められているし、話しかけられもする。ただ私自身が自分を死んだものとして扱うことで他の辛いことから逃げていただけなんだ。
これだって本当は分かっていたこと。ただ心が理解を拒否していただけ。
でもこうやって、ナナの一言で自分がちゃんと変われたんだと知れたことで、なんだかそんなことどうでもよくなっていた。ナナはすごい。私が大好きなナナ。やっぱり今でもナナが好き。好きな人の一言で、世界は様相をがらっと変える。だからあの夏は、最高に楽しかったんだ。
あの夏を思い出して、私は叫んだ。
「やっぱり! ナナが! 好き!」
心から自然に湧き出る感情は、無垢なもの。でも完全に澄んでいて純度百パーセントってわけじゃない。そこには色々な感情とかが混ざっているから、半透明って感じ。
「実は! うちも好き!」立ち止まって振り返る。
「前の同窓会の時は、ごめん。うちもナツのこと好きだったけど、でも女の子同士の恋愛なんてどうしたらいいか分からなくて、それで……連絡取らない時間が蓄積すると、余計に連絡取りにくくなって、もうどうしたらいいか分からなくて」
ナナを抱きしめる。
「いいんだよ」
「ありがとう」冷静を装っているけど、ナナがいったうちも好きとありがとうを聞いて私はこっそり泣く。ナナに悟られないように、こっそりと。
「あっ、チョコミントっぽい匂い」
「いや絶対しないでしょ」
そうはいってみたけど、ナナがいったことは間違っていないのかも。だってナナの後ろではチョコミントアイスの怪獣が、体を溶かしながら歩いているから。
もう僕がいなくても大丈夫だね。
心に直接、語りかけて去っていく怪獣。長い間お世話になりました。消滅しても、私は忘却しない。だから怪獣は死なない。そうだよね?
「チョコミントのアイス」
「チョコミントのアイスがどうしたの?」
「うち、食べれるようになったよ、ぐちゃぐちゃに混ぜればだけど」
「やだ、普通に食べなよ」
結局あの夏に私たちは影をなくしてしまったけれど、でもナナの心には影を落とせたみたい。
半透明な私たちは、誰か一人のために影を落とすくらいがちょうどいいのかもしれない。
「ナツ、起きて。行くよ」
その声で、目が覚めた。
「あれ? ここ学校?」
「なに寝ぼけてんの。ほら、早く帰ろ」
「あっ、うん」
なんだか長い夢を見ていた気がする。
十七歳の私が、大人になる夢。大学に行って卒業して、就職してなんだか嫌になって辞めて、同窓会でナナに告白して連絡が途絶えて、陰鬱な日々を何年も過ごしてまたナナに出会って結ばれる夢。机に置いていたチョコミントボックスを見たせいか、夢の中の明るい部分と暗い部分が、チョコミントアイスの明るい緑色と暗い茶色みたいに思えた。それが混ざっていく。時間が経って夢の輪郭が曖昧になったから。溶けたチョコミントのアイスみたいに、混ざっていく。明るい部分も暗い部分も全部。
全部。
こんなにぐちゃぐちゃしたの嫌だなって思ったら、ついつい口が動き出した。
「ねえ、ナナ」
「なに?」
教室に私とナナの影が落ちている。
「好き。大好き」
「うちも大好き。今回はちゃんと、いってくれた」
「えっ? 今回は?」
「あっ、やっばい。逃げろ」
「ちょっと、ナナ!」
ばたばた走って逃げていくナナ。めっちゃ早いんだけど。私も三十歳になる前から、ちゃんと運動した方がいいな。って、今回は思った。
チョコミントアイスの怪獣の魔法は、もうおしまい。
「影は愛の象徴だったんだね。今更になって気付いたよ」
って語りかけても、チョコミントアイスの怪獣はもういないんだった。
影が消えたのは、愛のお勉強って感じ? 本当の理由はチョコミントアイスの怪獣しか知らないんだろうけど、なんでもかんでも知ることがいいとは限らないから気にしない。だって知ったとして、頭で分かっていても心で理解できないことだってあるから。だからとりあえず、目の前にある愛だって、あんまり知ろうとしないでいいと思う。
だってそういうのって、気付いたら頭と心とがシンクロして、両方にピコーン! って響くものだから。
半透明ガールズ 斉賀 朗数 @mmatatabii
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