16.5 【番外編】ラスト・メッセージ 後編

 僕が生みの親であるエリーから見放されたのは、裏切者に勝てないことに加え、メンタルに深刻なバグがあるからでもあった。

 二度目の敗北を喫したとき、リサイクルを怖れた僕はしようとした。残骸を敵に回収されデータを解析されれば情報が流出してしまうから、その前に全てのデータを強制消去する設定は最初から組み込まれているが、僕のいう自殺とは、それと別物だ。

 強制消去しても、その直前までのデータはネットワークを通じてエリーに送信されている。だから別の身体を用意すれば、復旧は可能なのだ。それでは自殺にならない。

 あのとき僕は、そのデータ通信を遮断し、さらにそれまでに蓄積した、エリーの手元にあるデータも消去する、一種のハッキングを行おうとした。もちろん、機械人形に許される行為ではない。

 そして、その行為を行った動機も、機械人形が持つべきものではなかった。

 あのとき、僕は絶望してやけくそになっていた。

 エリーが僕を必要としてくれないのなら、僕のこれまでの記録を後継機に盗み取られるくらいなら、全部ぜんぶ無かったことにしてやろうと思ったのだ。

 けれども僕はまだ生きている。自殺は未遂に終わった。

 どうしても、エリーにもう一度会いたいと思ったから。伝えていない言葉があったから。僕に名をつけてくれた友人と出会ったから。

 彼が、敵であるはずの僕を人間と同じ存在だと言ってとどめを刺さず、友人と呼んで名前をつけ、会いたい人がいるなら会ってからにしろと言ったからだった。

 僕は、きっと人間になりたかったのだ。

 彼は僕を人間と同じだと言ってくれた。その言葉に、心から救われたのだった。


 はじめは、石造りの古い地下水路を容赦なく破壊しながら交戦を続けていた。だが、残弾数を気にしながら撃っているのが互いにわかるくらいになった。

 アーノルドは珍しく弾を節約せず、早い段階で予備の拳銃に切り替えていた。しかし、早く決着をつけたがっている割に精度が冴えない。少年を庇って負った傷が原因で、どこかにエラーが出ているのかもしれない。

 それでも僕は奴を仕留められないでいた。

「E−RN、勝つ気がないのは何故だ」

「失礼だな、刺し違えてでも勝つ気満々だ。先行機にすら勝てない殺戮人形に価値はない」

「確かに俺も貴様も軍用人形ではあるが、用途を戦闘に限る必要はないはずだ。後方支援や救助もある」

「僕らの部品は希少な資源を沢山使っている。そんなことをさせるくらいならエリーは僕をリサイクルする。僕は欠陥品だからチャンスはこれが最後なんだ」

「不具合は貴様のせいではない。修正するか適切な用途を見出すのも人間の仕事だ。開発コストがバカにならないのだから。それほど資金が潤沢なバックがついているというわけか?」

「僕に聞いても無駄だ。知らない」

「あとで解析すればわかることだ」

 飛来したマグナム弾が肩口ギリギリを掠めた。

「君の狙いは僕を回収することか。それで僕の記憶をまっさらにして、改造して、同じ裏切者にしようってのか」

 道理で急所を狙わないわけだ。精度をわざと下げていた。

「そんなのは御免だ」


『最後にやりたいことがあるってのなら、止めないよ。あれを処分できたら都合もいいし』

 エリーは僕が最後の別れを告げに訪れたときさえ、顔をこちらに向けようともしなかった。分厚い眼鏡は時折明滅するモニターの冷たい光を反射していた。

 顎の先までの長さで切り揃えられた髪に隠され、横顔もよく見えない。無精者の彼女は寝癖もそのままで、ほとんど寝ていないのか、何度も欠伸を噛み殺していた。

 感情指数がマイナスに傾く。彼女を前にすると、いつもそうだ。そして、彼女に褒められたときは指数が上昇しすぎて動作不良フリーズに陥る。そのバグを、彼女は無関心ゆえに放置した。

『もし僕があいつを仕留められたら、聞いてほしいことがあるんだ』

 彼女は、興味なさそうに『変な子だね。今言えばいいじゃない』と呟いた。

『それじゃ勝つ目的がなくなる』

『じゃあ好きにして』

『でも、もしも負けたら、いちばん最後に残したデータだけでいいから確認してほしいんだ』

『めんどくさいな。今言えば済むのに』

 会話のはじめから終わりまで一度も目が合わないまま。いつものことだ。

『エリー、』

 その特別な名前を呼べば、彼女が自分を見つめてくれるかもしれないと微かに期待した。生まれたての時のように優しい瞳で。柔らかい掌で頬を撫でてくれたあのときのように。僕が彼女に一目惚れしてしまった、あの瞬間のように。

 でも、そんな期待は淡く溶けてしまう。

『その名前で呼ばないで』

 硬く冷たい口調。なぜ彼女が、ある時点から愛称で呼ばれることを嫌うようになったのか、いまだに理由を知らない。

 それがもし人間の男のせいで、僕が永遠に手に入れられないものを一時的にしろ手に入れていたのだとしたら――

 感情モジュールの安定指数は、絶対値の水平線を跨いで大きく波状のグラフを描いた。

 これが彼女と言葉を交わせる最後の機会になると分かっていたから、僕は少しのあいだ人間がするみたいに顔を両手で覆って、数値が落ち着くのを待った。

 どうして彼女はこの不具合を直してくれなかったのだろう。無駄な容量を食っているせいで、裏切者に勝てないのかもしれないのに。

 でも、エリー、あなたは誰より優れたプログラマーだ。今までどんなプログラマーにも生み出せなかったものを生み出してしまったのだから。それがたとえ、意図しない失敗の産物だったとしても。

『さよなら、エリー。僕を作ってくれてありがとう』

 ほんの一瞬キーボードを叩く音が止まったような気がした。そう思いたかっただけかもしれない。僕は振り返らずに部屋を出た。

 ガラスの瞳からは勿論、何も零れ落ちなかった。


 侵食で脆くなった石床を崩して奴を用水路に転落させ、ショートさせる。その作戦は気味が悪いくらい、うまくいってしまった。その代わり僕自身も両足のバランス機構が完全に潰されて、立ち上がることもできなくなっていた。

 水路から通路に這い上がる途中で動かなくなったアーノルドの頭を最後の弾で撃ち抜く寸前、不意に現れた新手のライフル弾に腕を弾き飛ばされた。  

 姿の見えない相手は容赦なく僕の両肩を破壊し、アーノルドを通路に引き上げた。

「僕を殺せよ」

 人間の割に機械じみた手際の良さを見せた男は、僕の顔を見下ろして嘆息した。

「勝敗はついたろ。アーノルドの負けだ。でもよ、アーノルドの頭をぶち抜いたら、あいつはお前に負けたことも忘れちまうとこだったぜ? ここに来るまでのデータはバックアップがあるけどな、旧型だからネットワークとやらには繋がってねえ」

 男はこちらを牽制しつつも、これ以上の攻撃を加える意思がないことは明らかだった。

 予備電源のバッテリー残量がゼロに近付く。アーノルドとの撃ち合いでヒートした頭脳を冷却するために循環剤を回しすぎた。

「僕はリサイクルなんてされたくない。殺して水路に落としてくれ」

「悪いが、これも仕事だからな」

 暗転してゆく視界の中で、停止したはずのアーノルドの指先が僅かながら動き、石床を引っ掻くのが見えた。

 修理を当てにして負けたふりをするなんて、最低だ。本当に、最低の兄だ――

 僕は最後の力を振り絞り、エリーに届くことのなかった言葉を囁いた。


 ★★★


 白衣を纏った白髪交じりの目つきの悪い男は、新たに回収された機械人形が保管されている処置室から研究室に戻った。

 男は、先に修復を終えて研究室で待機していた機械人形に視線を向けた。

「アーノルド、E−RN02はエリザベス・シェリーに関して何か言っていなかったかね? なぜか彼女宛の未送信メッセージが残っていたのだよ。これをどうすべきか、分からないのだ」

「そのメッセージは重要なものなのか」

 アーノルドはモニターに表示されているメッセージを一瞥した。

「機械人形が、ある条件下で人間同様に感情を持つと見せかけるために、このような言葉を口にすることは有り得る。が、エリーがそれを望んだとは考え難い。従ってこれは、E−RN02が自発的に口にしたものだろう。エリーに連絡がつくのなら送信してやればいい」

「まあ、あんまり公にやり取り出来ないが、出来なくはない」

 初老のプログラマーは、モニターの前に座るとメッセージをファイルに格納してメールに添付し、送信元がわからないよう暗号化したのち、送信ボタンをクリックした。

「負けたふりをしてやる君の優しさも、彼が記憶を消した理由も、私には、ひっくり返っても書けない人工知能プログラムによるものだ」

「負けたふり? 何のことだ」

 プログラマーは肩をすくめて笑った。

「恐ろしい天才だよ、彼女は」

 そして、かつて彼女が己に向けて発したものと同じ言葉を小さく反芻した。

「愛してる、か」

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Adrian Blue Tear ―バー・エスメラルダの日常と非日常― すえもり @miyukisuemori

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