幼馴染の君に、永遠の愛の歌を捧ぐ

秋来一年

幼馴染の君に、永遠の愛の歌を捧ぐ

「ガン、だってさ。喉頭ガンだって」


 窓辺に立つ彼女は、僕の方を見ずにそう言った。


「そ、っか」


 乾いてひりつく口から、なんとかそれだけを絞り出す。

 始めに彼女が喉の不調を訴えたのは、先週リリースされた新曲のレコーディング中だった。

 その日は、風邪気味なのかも、とか言って。きちんとケアしなきゃ駄目だぞ、ひかりの歌を待ってる人が沢山いるんだから、とか、そんな遣り取りをして。


 あの日、あの時、すぐにでも病院に連れて行くべきだった。

 歌手なんて水物で、いつ仕事がなくなるか分からないから。今が大事なときだから。そんな彼女の言葉をそのまま受け取って、病院に罹る間もないスケジュールを組んだのは、プロデューサーである僕だった。


「でも、ほら。今は二人に一人が罹るんだろ? 抗がん剤とか、切らないで済む治療もいっぱいあるしさ」


 精密検査が決まってから、自分なりに調べたりした。

 彼女のためじゃない。自分の不安を、少しでも減らすために。

 結局、調べれば調べるほど、不安は募るばかりだったけれど。

 最悪だ。

 今の気分も。薄っぺらなことしか言えない、自分自身も。


「そうだね。うん、そうだよ。ほら、この前共演した前田さんも、大分前にガンを克服して、復帰してるもんね」


 早く喉を治して、歌でも、生き様でも、沢山の人に元気を届けなくっちゃ。

 そう言って、彼女は僕の方を初めて振り返り、笑った。

 頬に残った涙の跡はもう乾いていて。だから僕は、何も見なかったことにした。



 これまでの埋め合わせをするように、入っていたスケジュールは全てキャンセルした。

 全ては、ひかりが、治療に専念できるように。

 しばらくは通院での治療になるから、なんとか都合のつく仕事もあったのかも知れないけれど。

 僕はこわかったんだ。

 ずっと隣にいた彼女を失ってしまうのが。


「ねえ、今日はどんな曲を書いた?」


 病室に入るなり、ひかりが訊ねる。

 彼女の曲は、今も昔も、僕が作っていた。

 彼女がメジャーデビューしてからは、他の人にもらった歌を歌うこともあったが、彼女は僕が作った歌が一番好きだと言ってくれた。


「拓人の歌はね、私のことを私以上によく知ってる感じがするというか、私が歌えるか歌えないかギリギリのラインを見極めて、私の声が一番魅せられる音をつくるのが上手いっていうか」


 いつかの、ひかりの声がよみがえる。

 弾むような、心から嬉しそうな声。


「なんかね、翼がはえた気がするの。ねえ、二人でどこまでも、飛んでいこうね」


 そうだ、僕たちはどこまでも飛んでいくんだ。

 だから、僕ばかりが暗い顔をしていてはいけない。


「ああ、今日は、次のアルバムの曲を考えてたよ。ひかりの喉が治ったら歌ってもらう、新曲」

「新曲? やった」


 嘘だった。本当は体調不良で急遽キャンセルすることになった仕事について、頭を下げてまわっていた。


「どんな曲なんだろう。楽しみだな。早く歌いたいなぁ」


 喋るのは全然へーきなのにね。そう呟くひかりの声は、少し寂しげだ。 

 診断が下ってからも、ひかりが暗い表情をすることは無かった。

 けれど、声で分かってしまう。

 僕たちは、あまりにも長く一緒にいたから。

 もしかしたら、僕の気持ちも全部、彼女には筒抜けなのかも知れない。



 抗がん剤の治療が始まった。

 どうやら吐き気がひどいらしい。元々白く細かった身体は節が浮き、見ていて痛々しい。


「ねえ、私、また拓人の歌、歌えるんだよね?」


 この頃から、ひかりは胸中の不安を零すようになった。


「ああ。いまによくなって、世界中の人に歌を届けよう」


 翼なら、僕がいくらでもあげるから。二人どこまでも飛んでくんだろ? と笑うと、ひかりにもようやく、控えめな笑顔が浮かぶ。


「みんなは、私のこと心配してる?」


 治療が長引きそうだったこともあり、ひかりが喉頭ガンだということは、既に世間に公表していた。

 人気歌姫を襲った突然の悲劇。数日の間、ワイドショーはひかりの話で持ちきりだった。

 けれど、政治家の汚職事件が発覚したことで、今ではその話題に塗り替えられている。


「そりゃあもう、世界中の人たちがひかりの歌を待ってるよ」


 今はCDよりも配信が主流だ。海外にもひかりのファンは多くいるので、嘘は言っていない。


「だから、早く治せるよう頑張ろうな」


 空虚だった。自分の発した言葉にはこれっぽっちの中身さえ詰まって無くて、ぽっかり空いた洞を冷たい風がすり抜けていく。


「うん。いつもありがとうね」


 だから、そんな風に屈託のない笑みで僕を見ないでくれ。



 歌を歌う許可が出た。

 病状が回復した訳ではない。逆だ。


「彼女はもう長くない。今のうちに、好きなことを」


 心臓が下手クソなドラムのように鳴ってうるさい。喉は異様なまでに乾いて張り付くのに、手のひらはぐっしょりと濡れていた。

 余命宣告。

 ドラマなんかでは、よく見る光景だ。ひかりが主題歌をつとめた医療ものドラマでも、こんなシーンはあった。

 けど、実際にその状況になると、こんなにもきついものなのか。

 こみ上げる酸っぱいものを必死で飲み込み、病院のソファで項垂れる。

 どんな顔で彼女の病室に向かえばいいか、分からなかった。

 けれど、いつまでもこうしてる訳にもいかない。


 トイレに向かい、鏡の前に立つ。

 ひどい顔だった。そこに、無理矢理笑顔を浮かべる。

 大丈夫。笑えてる。大丈夫。


「拓人、検査の結果、どうだった?」


 病室に入るなり、ひかりがそう問いかけてきた。


「よろこべ、ひかり。歌を歌う許可が出たぞ!」


 検査の数値には触れない。検査の結果で歌えることになったんだから嘘じゃない。


「ほんとに?! また拓人の歌が歌えるの?」


 やったー、と両手を挙げて、ひかりがよろこぶ。

 その表情や仕草とは裏腹に、彼女の声はちっとも弾んでいなかった。

 僕は、それに気づかないふりをする。


「短時間なら外出許可も出してくれるって。さっそく来週あたり、スタジオ予約しとくな」


 もう一秒でも早く、この病室から逃げ出したかった。

 飛んだ茶番だ。ひかりは自分が長くないことに気がついてるのに。


「それじゃ、ひかりのために曲をつくらなくちゃいけないから、今日のところはこれで」


 言い訳じみた捨て台詞をのこし、病室の扉に手を掛ける。


「拓人、ありがと」


 去りゆく僕の背中に掛けられた声は、やっぱりどうしようもなく、寂しげだった。



 約束通り、翌週僕たちはスタジオにいた。

 病院から一番近いスタジオを、金の力で強引に連日おさえた。

 ひかりの体調は、いつ安定しているか分からない。行きたいときにいつでも行けるようにしておきたかった。


 車椅子の高さにマイクを合わせ、簡単な発声練習をする。

 そして、少し大きく息を吸い――。

 伸びやかなソプラノは、しかし、すぐに掠れ、失速してしまった。

 何度試しても上手くいかない。喉が、思うように音を出してくれない。 

 ひかりは骨張った両手で、自らの顔面を覆う。


「ほら、今日は、かなり久しぶりだったから。今度はトレーナーも呼んでさ、本格的にボイトレしよう」


 僕が投げかけた言葉は、聞こえているのだろうか。

 励ますように撫でた背中にも、やはりごつごつと骨が浮いている。


「……拓人」


 スタジオから病院まで戻る途中、ひかりがぽつりと零した。


「私ね。こわいの。歌えなくなるのも、そうだけど。死んじゃうのも、そうだけど……! それよりもね、忘れられちゃうのが、こわいの」


 からからと、車椅子の車輪が回る音がする。

 彼女はもう、大分前から、自分の足で歩くこともできない。


「ねえ。私の歌、みんな聴いてくれてるよね? 私のこと、忘れちゃってないよね? 私の歌は、ちゃんと届いてるんだよね……?」


 ひかりが表舞台から去って、一年以上経過している。

 配信チャートのランキングは、もう何ヶ月も前から圏外だ。

 病気のことを公表したときはあんなに煩わしかった報道陣も、いまではこうやって街を歩いていても見向きもしない。


「大丈夫。大丈夫だよ」


 根拠のない大丈夫が上滑りする。

 だって、どうしたらいいんだ。

 羽をもがれた天使は、どこに飛ぶこともできず、車椅子の上で泣いている。



 それは馬鹿げた思いつきだった。

 でも、もうこれ以外に思い浮かばなかった。


「なあ、ひかり。ボーカロイドって知ってるか?」


 僕の問いかけに、ひかりは胡乱な目を向けた。


「そりゃ、知ってはいるけど」


 もうその顔に、屈託のない笑みは浮かんでいない。声と顔の表情が一致していた。


「ボーカロイドに、なってみる気は無いか?」

「?」


 折れそうに細く白い首を傾げ、丸く大きな瞳で僕を見つめる。

 見定めるような目だ。僕の言葉が、いつもみたいに空っぽかどうか。


「どういうこと?」


 視線だけでなく口に出し、彼女は疑問をあらわにする。


「ボーカロイドになってさ、僕が曲をつくって、発表するんだ。そうすれば、ひかりはどんな曲だって、人間には不可能な早さの曲や、高い曲低い曲、なんだって歌える。そうすれば、誰もひかりのことを忘れないだろ? ひかりは電子の歌姫として、永遠に君臨するんだ」


 スタジオに行って、自分はもう思うように歌えないと分かったあの日から、ずっと虚ろだった瞳。そこに、淡い輝きが灯る。


「ずっと、忘れられない? 拓人と一緒に、また飛び続けられるの?」

「ああ。録音しなきゃいけない音数は膨大だし、身体には負担かも知れないけど……」


 そこだけがネックだった。けれど、懸念点を聞いても、ひかりの瞳に灯った光は消えない。


「わかった。やろう。私の喉が音を出せなくなる前に」


――こうして、彼女は永遠になった。



 それから、僕は歌を作り続けた。

 大々的に発表されたボーカロイド翼音ひかりの歌は、数億回再生を記録した。

 人工呼吸器をつけ、もう声を出せなくなってしまったひかりにその再生回数を見せると、僅かに頬が上がって、そんなことがどうしようもなく嬉しかった。


 来る日も来る日も、僕は歌を作り続けた。

 ひかりが本当に翼を得て、天使になってしまっても。

 彼女が三回忌を迎えても、十三回忌を迎えても。

 もう、誰も彼女本人のことを知らなくなってしまっても。

 だって、彼女のことを忘れさせる訳にはいかないから。


 だから僕は、いつまでもいつまでも、ひかりの歌を作り続ける。

 ひかりの声を聞く耳を失っても、ピアノを弾く指を失っても。

 幾つもの機械を埋め込んだ身体が、それでもついに動かなくなって、脳を電子化したそのあとも。


 電子の歌姫と同じ世界で、僕は幼馴染みの君に、永遠の愛の歌を捧げ続ける。



 その日、彼女は久しぶりに、初めて目を覚ました。

 思考がぼんやりしたロード時間はすぐに終わり、意識が一気にクリアになる。

 そうか。彼は、私との約束を守ってくれたのか。

 こんなにも愚直に、一生懸命に。


 予想通り、いや、予想以上の頑張りに、私の心は思わず跳ねる。

 あの日話したことは全部嘘だった。

 それだけじゃない。出会ってからの日々も、涙も、笑顔も、何もかも嘘だ。ほんとうのことなんて、何ひとつ有りはしなかった。


 だって、本当の私を知ったら、きっと彼に嫌われてしまう。

 「みんなに忘れられたくない」なんて、嘘もいいところだった。

 みんななんて、どうでもよかった。

 本当にこわかったのは、彼に忘れられてしまうことだ。


 ううん。覚えているだけじゃだめ。足りない。

 だから、嘘をついた。

 私の最後の望みとあらば、きっと彼は聞いてくれる。そう思ってはいたけれど、それだけだと少し不安だったので、私は保険を掛けたのだ。

 弱いフリをして、天使のように綺麗な言葉を並べ。


 死ぬまで、一生、彼に愛し続けてほしかった。


 ところが、蓋を開けてみればどうだろう。

 一生どころか、死んでから幾ばくもの時が経っても、彼はこうして歌をつくり続けてくれている。


 本当に愚かで、そして――誰よりも愛しい人。


 人体の電子化が一般化したあと、次に研究が進められたのが、死者の人格の再構築だった。

 出演したテレビ番組、ラジオ、ライブのMC。そのほかありとあらゆるものから再生された、当時の彼女の残滓は、あの日のままの記憶で、想いで、電子の世界に誕生した。


 死者の残滓に過ぎない彼女は、自分の行いを省みることも、誰かと寄り添うこともできないまま、永遠の時を過ごす。

 けれど、彼女は誰よりも幸せだった。


 「♪」


 好きな音を好きなだけ出せる喉で、愛しい人がくれた愛の歌を歌う。

 大好きな彼のために、ありったけの思いを込めて。

 

 彼女は今日も、大好きな幼馴染みの君に、永遠の愛の歌を捧ぐ。

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