きみの健やかなる未来を願い、描く

永坂暖日

きみの健やかなる未来を願い、描く

 定規で引いたようにまっすぐな道にはゴミ一つ落ちていない。ゴミが落ちていても、すぐさま清掃ロボットが現れてゴミを片付け、捨てた人物を特定して当局に通報する。

 街路樹の葉っぱすらほとんど落ちていない。きれいに整備された公園には指定された植物だけが生え、それ以外はすべて除草される。生息する動物の種類や数も決められていて、そのすべては、遺伝子レベルでデザインされていた。

 潔癖なほど清潔で人工的な都市。当局が許可していないいかなるものも、ここにはいない。動物や植物だけでなく、微生物も。人間でさえ、その例外ではない。

 未知の惑星に移住した人類の存続のため、ありとあらゆる危険とその可能性を排除した結果が、この都市だった。

 惑星移住に失敗し、滅んでしまった事例はいくつもある。その轍を踏まないためにこの都市はこうなった。

 広大な惑星に築かれた、たった一つの街。はじめは小さかったけれど、少しずつ大きくなっている。惑星すべてに広がるには、まだまだ途方もない時間が必要となるだろうが。

「……どうしても、行くの?」

 移住した数世代前に比べれば、街は大きくなっている。広がる場所はまだいくらでも残されている。それなのに、この星を飛び出して、違う惑星に移り住もうとしている人々がいた。フィーゴーもその一人だ。

「うん。もう決めたから」

 未だ納得できず、ずっと不満そうな顔をしているヒュカと対照的に、フィーゴーの表情は明るかった。それが、ヒュカをますます不満にさせる。

「ヒュカは、まだ納得してくれないんだね」

「だって……」

 清潔で衣食住に何も困らない街。それの何が不満で彼女は出て行こうとしているのか、ヒュカには分からない。説明されたけど、ヒュカには理解できない。

「移住先の惑星には、こんな街、まだ建設されてないんだよ? ちゃんとした街が出来上がるまで、テントみたいな家で暮らすんでしょう? それだけでも病気になりそうなのに、生命体もいるって」

「微生物程度はいるみたいね。でも、動物や植物と呼べる生き物は全然いないよ」

 ヒュカを安心させるためなのか、それとも本人が本当に安心しきっているからなのか、フィーゴーは明るい声だった。

「未知の微生物と接触して、それこそ病気になるかもしれないじゃない」

「それに備えて、お医者さんとか微生物学者とか、いろいろな専門家の人たちも、たくさん移住するから、大丈夫よ」

 ヒュカには全然大丈夫とは思えない。フィーゴーたちが移住しようとしている惑星は、この星と似ているから選ばれたそうだけど、この星には移住したときから微生物すらいなかった。この地上で生きている生命のすべては、移住してきた人類が持ち込んだものだ。それでも、徹底的に管理されている。不測の事態は滅多に起きない。

 未知の生き物がいる惑星に移り住んだら、何が起きるか分からない。管理されていない場所で長く生きていけるとは、ヒュカにはどうしても思えなかった。

「ヒュカ」

 笑っていたフィーゴーが、深刻そうな表情を浮かべた。

「ここにいれば、病気になってもすぐに治してもらえる。管理された安心がある。だけど、わたしはそれが窮屈で、不自然だと思うの。だから、ここではないところへ行ってみたい――できれば、ヒュカと一緒に」

 そんな顔で、そんなことを言うなんて卑怯だ。フィーゴーがここではないどこかへ行きたいなんて思わなければ、ずっと一緒にいられるのに。

「ごめん、フィーゴー。わたしは、一緒には行けない」

 ヒュカとて、彼女と離れるのはつらい。できるなら、一緒に行ってみたかった。でも、この街から離れるのが怖い。

 フィーゴーが行こうとしている場所は、街の外に広がる荒涼とした風景とよく似ているそうだ。けれどヒュカは、その中に放り込まれて生きていける気がしない。フィーゴーとどれだけ強く手を繋いでいても、ヒュカは逃げ出してしまうだろう。

「……せめて、これを持って行って」

 ヒュカはバッグから取り出した折り畳んだ紙を、フィーゴーに差し出した。彼女はそれを黙って受け取った。かさかさという小さな音に続いて、フィーゴーがそれよりちょっとだけ大きな声をこぼした。

「なに、これ?」

 紙からヒュカに視線を移す。明らかに戸惑っているフィーゴーに、ヒュカは苦笑した。

「病気除けのおまじない。アマビエ、っていうんだって。病を退けて豊作を予言する妖怪」

 遠い遠い昔、人類がまだ地球というただ一つの惑星に留まっていた頃のある時代に現れたとされる妖怪だ。

 半人半魚というが、口はくちばしのように尖り、首から下は鱗に覆われていて、足は三本あったという。海中から現れたアマビエは「病が流行ることがあれば私の絵を描いて人々に見せよ」と言い残して海へ帰っていった。それから、何かの病が流行ると、人々はアマビエの絵を描いて疫病退散を願ったという。

 子供の頃、授業で地球に関するアーカイブズを調べた時にたまたま見つけた伝承だ。それを思い出して、ヒュカはアーカイブズに残されたたくさんのイラストを見ながら、アマビエを描いた。

 未知の星に、未知の微生物。過酷であろう環境で、フィーゴーが病気にならないように。

 しばらく黙ったまま、フィーゴーはヒュカが描いたアマビエを見ていた。そして、笑みをこぼす。

「ありがとう。これをヒュカだと思って、肌身放さず持っておくね」

「フィーゴー……」

「一緒に行く人たちにも、見せないと」

「え、それはちょっと待って。そんなへたくそな絵、フィーゴー以外の人に見られるのは」

 慌てて取り戻そうと手を伸ばすが、フィーゴはさっと身をかわした。

「人々に見せよ、という伝承なんでしょ。じゃあ、わたしだけが見ても仕方ないじゃない」

「そうだけど、そうだけどさぁ、フィーゴー」

 意地悪な笑みを浮かべるフィーゴーに、ヒュカは心底困った顔をする。

「冗談よ。ありがとう、大事にするから」

 ふふ、と笑い、フィーゴーは紙を折り畳んだ。

 旅立つフィーゴーのためにせめて何かできないかと考えて、考えすぎて、自分で描いた絵を渡したという事実に、今更ヒュカは無性に恥ずかしくなってきた。だけど、キスしてハグして、しばらくそのまま抱きしめ合っていたおかげで、真っ赤になった顔を見られずに済んだ。


 それから一週間後、ヒュカをはじめ、見送りに来た人々は、ターミナルの中から旅立ちを見守った。

 殺到する人を押しのけてなんとか窓にたどり着いたヒュカは、移住専用宇宙機に乗り込む大勢の中から、フィーゴーの姿を探した。

 顔の判別が難しいくらい離れていたけれど、ヒュカは、フィーゴーを見つけた。ターミナルを振り返った彼女は、胸元に手を添え、それから大きく振った。フィーゴーは、あの絵を本当に肌身放さず持っていてくれたのだ。

 ヒュカの涙を吹き飛ばすほどの轟音を上げて飛び立った宇宙機から、いつまでも目が離せなかった。一人、また一人と窓から離れていく中、最後まで窓辺に立ち尽くしていたのは、彼女だった。

 

 街の外の荒涼とした光景を目にするたび、ヒュカはフィーゴーのことを思い、アマビエの絵を描く。もう何十枚と描いていて、ずいぶん上達した、と自画自賛している。

 いつか里帰りしたフィーゴーにも、褒めてもらうのだ。

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きみの健やかなる未来を願い、描く 永坂暖日 @nagasaka_danpi

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