物書きという呪いにも似た祝福


 太宰の『千代女』を読む度、どうしようもなく死にたくなります。

 主人公はかつて天才と謳われた、しかし今やその才能をすっかり失ってしまった低脳の文学少女。それにどうしても自分を重ねてしまって、どうしようもなくなるのです。――僕は天才と謳われたことなんて一度もないというのに。

 どうしようもなくその主人公の嘆きに――自分に確かにあったはずの才能が、年を取り、見える世界が変わって行くにつれて消えてしまっている恐ろしさに――それにより、他者の期待に応えられなくなってしまうことの苦しさに――僕は共感してしまうのです。

 何度これを読んだだろう。そして何度、自身にこの少女を重ねて苦しんだだろう。僕にはもう、わからなくなってしまいました。私は、いまに気が狂うかも知れません。



 創作とは、僕にとって、自分自身を救うための数少ない方法でした。けれど、それと同時に、自傷行為にもよく似ているのです。

だって、僕は――自分の、目も背けたくなるような思いを、だれにも吐き出せなかった気持ちを、出来る限り綺麗な言葉で粉飾しつつ、書き起こしているのですから。

 いつも、心の奥底にしまい込んだはずの感情を呼び起こして、自分の臓腑を自身で引きずり出しているかのような苦痛を覚え、こんな情けないことばかり考えてしまっている自分への自己嫌悪で泣きそうになりながら、キーボードを叩いています。ディスプレイに表示される『noteを公開しました』という文字列を見る度、もうこんなことは辞めよう、こんな苦しいことは二度としてはいけない、と思います。けれど、僕に掛けられた、物書きという名の呪いが、それを辞めさせてくれないのでした。



 なんでそんなにも辛い思いをしてまで、創作をするの? と人に訊かれました。確かに、傍から見れば、そんな風に追い詰められていながら、延々と文章を書き続ける僕の姿は、傍から見れば滑稽――或いは、異常に写ったのでしょう。

 いつかに言ったとおり、僕には文章を書く以外に取り柄がありません。だから、もし文章を書くのを辞めてしまえば、僕は何も持って居ない、空っぽの人間になってしまうから、というのもあるでしょう。けれど、何よりも大きいのは、人間が果てしなく恐ろしいから、という理由だと思います。

 えぇ、えぇ、僕は人間が恐ろしい。その内面に渦巻いている悍ましい感情が、それを隠して平然と生きているその器用さが、恐ろしい。そして同時に、理解出来ないのです。いつかに、評論家気取りの誰かが言いました、「君の小説にはリアリティがない」と。当然じゃない。僕は人間が解らないのですから。

 僕はだから、そんなにも恐ろしい人間を、自分の中で分析し、フィクションとして消化させることで、その恐怖心を薄れさせているのです。理解出来ないものを自分なりに反芻して、無理矢理にでも理解することで、人間を畏れないようにして居るのです。

 ――そうしないと僕は、愈々恐怖に押し潰されて死んでしまうだろうから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

少女徒然草 KisaragiHaduki @Kisaragi__Haduki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ