第3話 何分かの一のコンタクト

 実にそれは大いなる我流のやり方の賞賛だった。

 実は既存のプロと言うのは問題を起こさなかった。しかし、動物は扱えた。

「けしかける」事である。

 悲しい事にただの「楽しみでしょう」に日頃の鬱積とした怨念が乗ってしまった。正義感と言うのは変に機能する。この子は何だか知っている。それを早く寄越せ。

 呪詛を仕掛ける側の正義の成立で、この子は初めて、呪い返しを知る。親戚筋のAさんの孫が、健やかに犬と遊ぶイメージを飛ばしたのだ。邪心がここに入り、私はこう言う状態でも大丈夫と言う、現場の理屈、後から見た傲慢ごうまんというやつだ。

 心境的には魔が差した状態となる。ポカポカした良い天気に、無理矢理に努力すればAさんの仕事上のミスをこの子がキャパシティ上算出する事が出来る。

 完膚無きまでに叩きのめす、不可抗力の論理と言う奴だ。

 数年後、術者はプロとしての霊能者であり忘れる事はなかった。初めて方位除け、厄除け家運向上、無病息災のエゴの自分用を行じ、防御と言うよりは、防衛態勢を整える。しかし、のら犬の大型に襲い掛かられ噛み付かれる。一応の、アナログな時代でも大震災用に検疫センターはしっかりとしていたが、その犬も消え去ったのも事実で有り、Aさんの孫を戯れる様にして本人の視界にとってのみ襲い掛かったのと似た犬種、同じ色の『白』だった。

 呪い返しのその際、カウントは無かった。意外と覚えている人種だ。その通りである事も事実。

 田舎的に意外と知っているのも事実、話をすればこの辺りの犬だろうと言うことは、バレる。


 動物が人を襲う事は少ない。行き先も屠殺、処理だ。あり得る程度でもここから先、霊能の話では、が付く。

 つまりは、安全性が確立した方法に対しエゴイスティックなやり方を提示した。

 それは、受け入れて欲しいからだろう。誰もカウンターを取らなかかった。それは、人格障害、悪霊憑依の一つの出方を広告媒体的に採用していたからだ。

 教義が合う所と組む様に見せかけ、淘汰の圧力をかける。ホラーだから当然では無い、呪詛の完成だ。結果平等の社会では、血縁も有ってはならない。

 欲の通りに動くのもまた、悪霊の姿であり、ステータスは感性の至る所まで当然の様に欲しい。


 時系列的に、奇妙な事件が増える。整合性が取れる事も珍しい。情報社会の発達は準備や構え、事前知識やカウンターまで揃うのにも関わらず、その呪詛だけが発展した。


 因みに本物には失敗に因縁のリスクが付く。

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