左廻りの恋に祝福を(KAC20205)

つとむュー

左廻りの恋に祝福を

『ボクは、しおりをおよめさんにする』


 幼稚園の頃、幼馴染の和也が掛けてくれた言葉。

 その時の嬉しさが忘れられずに、私はこの歳まで生きてきた。

 でも、あと一ヶ月したら、和也は遠くの街へ……引っ越してしまう。


 だから――


「ねえ、和也。明日の放課後、教室に残ってくれたら嬉しいんだけど」

「ええっ? 面倒くせえな」

「和也はもう大学決まってるんだから、暇でしょ?」

「暇なら暇なりに、やることがあるんだよ」

「そこをお願い。私の人生で最大の相談なんだから」


 手を合わせ、上目遣いで神妙な顔をする。

 すると、やっとのことで和也は表情を崩した。

「栞がそこまで言うなら、しかたねぇな……」

 やった! なんとか約束を取り付けることに成功。


 こうして私は人生初の大舞台に立つ。

 早美坂栞(はやみざか しおり)、高校三年生。

 卒業式の日に、和也への告白を成功させるために。



 ◇



 翌朝、早めに起きた私は、母の鏡台の前に座る。

 まずは髪型。肩までの黒髪を後ろで結び、ポニーテールにセット。

 うなじがスースーする。その違和感が半端ない。

 だって、耳が露わになる髪型は小学校の時以来だから。


 次に化粧。ファンデーションを左耳の後ろに塗る。

 あるものを隠すために厚く、丁寧に。

 中学校そして高校、その間、おそらく誰にも見られたことのない私の一番嫌いな部分。


 それは――五ミリくらいの大きなホクロだった。



『やーい、くろブチおんな』

『みみのうしろにマジックインキがついてるぞ』

 幼稚園の頃、私はこのホクロが原因で男子からいじめられていた。

 だから必死に隠していたのに、ある日、和也に見られてしまったのだ。


『みちゃダメ! こんなホクロ』

 悲しくて私は駆け出してしまう。

『まってよ。にげなくてもいいじゃんか』

 和也は、和也だけは私のことを引き止めてくれたんだ。

 嬉しかった。そして悲しかった。

 こんなホクロを持って生まれたことが悔しかった。

 思わず私は彼の優しさに怒りをぶつけてしまう。本物かどうかを確かめるために。

『だったらせきにんとってよね。かずやはこのホクロをみちゃったんだから、わたしのこと、およめさんにしなくちゃいけないんだよ』


 そしたら言ってくれたんだ。

『わかった。ボクはしおりをおよめさんにする』

 静かに、決意を込めた瞳で。



 ◇



「お早う」

「お早う、って今日の髪型どうしたの?」

「うわっ、珍しい。栞のポニーテールって初めて見た」

「えへへへ、ちょっとね」

「その顔はちょっとじゃないでしょ? 勝負かけるの? 卒業式も間近だしね」

「ほらほら、白状しなさいよ」


 さすがは我クラスメート。

 私の決意は、一発でバレてしまう。

 どうしよう。なんだか今からドキドキし始めちゃったよぅ……。



 放課後になると、トイレに行って準備開始。

 鏡を見ながら、メイクシートで左耳裏のファンデーションを落とす。

 これでホクロは露わになった……はず。


 和也を待つ放課後の教室はドキドキが止まらない。

「あいつ、作戦通りに、このホクロに気づいてくれるかしら?」

 いや、気づいてくれるだけではダメなんだ。

 幼稚園の時の気持ちを思い出してくれなくちゃ。

 私はもう一度、あの時の彼に会いたいのだから。


 すると、すうっとドアが開いて和也が教室に入って来た。

 さあ、始めるよ。一世一代の大芝居を。


「ねぇ、私の横顔ってどっちが素敵?」

 思い切って私は切り出した。



 ◇



「私ね、卒業式の日に告白しようと思ってるの」

 そう、これは未来の和也に向けた告白。

 ホクロの約束を思い出してくれた和也への。


「誰に?」

 和也が訊くのは当たり前だろう。

 だから私は、シナリオ通りにクラスメートの名前を挙げた。

「翔くん」

「翔って、サッカー部の翔か?」

「うん」


 桜本翔(さくらもと しょう)。

 同級生で、サッカー部の元キャプテン。

 豪快にディフェンダーを切り裂くドリブルからは全く想像できない真面目で爽やかな性格で、大学も推薦で選ばれるほど。プレーのワイルドさと普段の淡白さのギャップが魅力的と、女子からの人気は校内トップクラスだ。


「無理じゃね?」

「ちょっと、即答しないでよ。無理っぽいのは私だって分かってるんだから」


 いやいや、絶対無理でしょ。

 私は希望を捨てきれない乙女を演じてみる。が、和也を前にした緊張の中ではどう見ても大根役者だ。それを隠したくて、思わず床を見る。

 ごめんね、翔くん。出汁に使っちゃって。

 告白が絶対無理そうな人で、和也も納得してくれる男子は翔くんだけだったから。


「それで? さっきの質問と翔への告白が、どう繋がるんだ?」

「卒業式の日にね、校門のところで待ち伏せして、手紙を渡そうと思うの」

 そんな風に言えば、和也だって真剣に聞いてくれるに違いない。

「それでね、ターンして戻る時に、ちらりと横顔をアピールしたいの。だからどっちが素敵かなって、そう思って……」


 和也の前でクルクルと回ってみる。

 右回転。そして左回転。

 って、何スカート見てんのよ。

 横顔見てくれって言ったのが聞こえなかった!?


 ホクロに全然気づいてくれない和也にしびれを切らした私は、ダミーの手紙をポケットから出すと教室の後ろに駆けて行く。

「じゃあ、ちょっと練習してみるから、しっかり見ててよね」

 まずは左廻りの練習。

 この廻り方ではホクロは見えないが、シナリオの流れだから仕方がない。

 和也のところまで小走りで進んだ私は、彼に手紙を渡し、左廻りでターンする。そして教室の後ろに戻って来た。


 さあ、次は右廻りだ。

 ホクロが和也の前に露わになる。

 真剣に私の横顔を見てくれていれば、必ず――気づいてくれるはず。


「じゃあ今度は右廻りでやってみるからね。ちゃんと違いを見ててよ!」

 先ほどと同じように小走りで和也に近づき、手紙を渡す。

 そして、右廻りでターンした――ところで和也が声を上げた。

「ちょ、ちょっと栞。ストップ、ストップ!」

 私は立ち止まり、彼を振り返る。

「懐かしいな、そのホクロ」

 長かった……。

 ようやく、やっとのことで気づいてくれたのね。

 あの頃と同じ、幼馴染の和也がそこにいた。


「えっ、ホクロがあるの? 左側に?」

 嬉しくなった私は、わざと知らないふりをする。

『とぼけるなよ、知ってるくせに』という和也の返答を待ちながら。

 しかし彼の言葉は、私の期待を大きく裏切るものだった。


「左耳の後ろだよ」


 なに冷静に指摘してんのよ。

 私がこのホクロを嫌がっていたこと、忘れちゃったの?

 私のことを気遣ってくれた気持ちは、どこに行っちゃったの?

 あの時くれた言葉が心の支えだった。だから私はずっと忘れずにいたのに……。

 なによ、これじゃ本当に一人芝居じゃない。

 ショックが大きくて、その後どんな会話をしたのかあまり覚えていない。

 私は一人、戯けるしかなかった……。

 

 

 ◇



 卒業式の日。

 私は嫌がる和也を無理やり連れて、校門裏に陣取った。

 翔くんを待ち伏せする――というシナリオを実行するために。

 もうこうなったら破れかぶれだ。


「間違っちゃダメ。絶対、左廻りなんだから」

 私は必死に、ホクロ見せないアピールをする。

 最後の可能性に掛けるように。

 が、和也の反応は相変わらずだった。


「大丈夫だって。間違えたって気づきはしないって」

 大丈夫じゃないって。

 気づいて欲しいのは和也なんだよ。

 あの頃の気持ちに、あの時の約束に。

 イライラが最高潮に達した私は、つい声を荒らげる。

 

「ダメ。こんなホクロ、和也以外に見られたら、私、お嫁に行けなくなっちゃうんだから」


 キッと和也を睨む。

 その時の驚いた彼の表情が忘れられない。

 そう、それは幼稚園の時、「追いかけないで」と私が拒絶した後の彼の瞳。

 

 でも、よく考えたら私、すごいこと言ってるよね。

 和也以外の人のところには、お嫁に行かないってことじゃん。

 これってすでに告白だよ。

 穴があったら入りたい。


 恥ずかしくて和也から顔を背けると、学校側から翔くんが歩いてくるのが見えた。

 ええい、もう何がなんだか分からない。

 私は白い手紙を握りしめ、校門から駆け出して行く。

『大学でもサッカー頑張って下さい。ファン一同』と書いた手紙を持って。


 それからの出来事は、まるでスローモーションのようだった。

 驚く翔くんに手紙を渡し、左廻りでターンする。

 校門で待つ和也にホクロをアピールするように。

 思い出してくれなくたっていい。たった今自覚した。私は本当に和也のことが好きなんだ。

 Uターンしたら彼の胸に飛び込もう。そう決意しながらダッシュしようとした――その時、誰かが私の右手を掴んだ。


 振り向くと、翔くんだった。

 と同時に、彼の爽やかな声が私の脳を貫く。

「待って。僕も、栞さんのことが好きだったんです!」


 えっ?

 嘘!?

 そんなことって……?

 まさかゼロパーセントからの告白成功ってこと?


 あ然と立ち尽くす私。

 すると周囲から拍手が聞こえて来た。

 見ると、卒業式に参列していた父兄の方々が涙を流している。

 かつて体験した青春の一ページ。それが正に目の前で繰り広げられているのだ。

 感動は連鎖し、やがて校門は大きな拍手に包まれた。


 こんなどんでん返しって……。

 どう反応したらいいのか分からなくなった私に、突然愛しい人の声が届く。

 拍手を完全に凌駕し、幼稚園の約束を軽く吹き飛ばすくらいのパワーを纏って。


「待ってくれ! 俺も栞のことが好きだ! 頼むから俺のお嫁さんになって欲しい!!」


 和也の渾身の叫び。

 今まで聞いたことがないような。

 それに対して、今度は生徒たちが反応した。

「いいぞ、和也!」

「よく言った!」

「翔先輩……」

 応援、冷やかし、安堵や落胆の声は、いつまでも止むことはなかった。

 


 ◇



 今年は珍しく、同窓会が高校で行われることになった。

 あの校門を、二人で歩いてみる。

「懐かしいね」

「俺にとっては黒歴史だけどな」

「私は最高に嬉しかったよ」

 こうして夫婦で参加できる喜びを噛み締めながら――

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左廻りの恋に祝福を(KAC20205) つとむュー @tsutomyu

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