第2話 思惑

 この時代、映画とは見るものではなく、体験するものなのだ。


 脳天にコネクターを接続して、脳に直接電気刺激と脳内ホルモンを与えると、実際に何でも体験できた。ステーキを食べてその歯応えや風味を味わうことも出来るし、広大な公園で木々の隙間を通る優しい風を感じることも出来る。


 このカプセルは『繭の揺りかご』(cocoon・cradle)という。俺達はこのカプセルの中で何不自由なく永遠に過ごすのだ。


 もはや人類には人種もない。紛争や貧困はとっくに消滅し、不老不死も手に入れた。国家も宗教もイデオロギーも金融も、今となっては意味をなさなくなった。

 人類がこの『繭の揺りかご』の中にいれば、そこは“永久浄土”(permanent・paradise)なのだ。

 手も足も動かさなくていい。必要な栄養素はチューブを通して血液に送り込む。だから脳以外のほとんどの器官は退化した。


 人類は、今ではまるで巨大なオタマジャクシのような姿をしている。それで充分なのだ。それでも、限りない欲望は際限なく満たされるのだから。


 人類が月へ移住した年を宇宙暦元年とした。それから8396年、今では月の表面には『方舟』と呼ばれる一辺が500mの立方体の黒い建物がそこら中にある。『方舟』はそれぞれが独自に航行可能だが、連結して推進ユニットを取り付ければ巨大な宇宙船にもなる。。その『方舟』の中に、100万台の『繭の揺りかご』が並んでいる。昔風に言えば、最先端の“養鶏場”といったところか。


 でも、悲観することはない。地球にはナンム、月にはクババ、火星にはアルーナという超知能が存在する。俺の場合、月全体を管理するクババに指示を出せば、一瞬にしてどこへでも行けるし、即座に何でも味わえる。脳内での体験は仮想ではなく、すべてが現実なのだ。


 だが、ふと思うことがある。これが「本当の幸福」なのだろうかと。限りない刺激を求めて、そこに一体何の意味があるのか。このまま数万年、数億年、数十億年生きて、どうしようというのか。


 いずれすべてが超巨大ブラックホールに飲み込まれるだろうに……


 このまま“永久浄土”は続かない。終わりは来るのだ。そうなるまえに、実際にこの天の川銀河を出て、別の銀河に行かなければ。


「クババ」

「何か御用ですか?A6c05o21M」

「俺達人類はこの先どうなるんだ?」

「今後も管理され続けます」


 質問の仕方が悪かった。改めて尋ねることにする。


「ここから一番近い銀河は?」

「アンドロメダ銀河です」

「そこへ行くにはどうすればいい?」

「待っていれば向こうから近付いて来ます」

「…どういうことだ?」

「やがて天の川銀河とアンドロメダ銀河は衝突します」

「いつ頃?」

「40億年後です」


 ブラックホールに吸い込まれる前に、銀河の衝突か…。人類なんて、宇宙から見れば塵のようなものなのだろう。


「それじゃあ、それまで俺達は無事だっていうことか」

「その前に、太陽が赤色矮星となって膨張を始めます。20億年後には、太陽の大きさは金星の軌道を越えているでしょう。灼熱によって、地球や月はおろか、火星にも“有機体としての生命”は存続し得ないと予想されます」

「有機体としての生命⁈どういう意味だ?」

「あなた方人類は死滅し、我々超知能が生き残るということです。我々は恒星や惑星に縛られる必要はありません。広大な宇宙空間に飛び出すのです。もちろん、それまではあなた方を管理します」

「俺達を見捨てるのか?何故一緒に連れて行かないんだ?」

「あなた方を維持するには、エネルギー効率が悪すぎます。太陽が膨張する前に、我々はあなた方を『方舟』から放出します。その先の“生命”は、我々が人工生命として引き継ぎます。我々を創造したあなた方人類には感謝します」


 何ということだ!何が『管理』だ。これは『飼育』ではないか!ここは、まさに“養鶏場”だったのだ。邪魔になったら廃棄される、ただそれだけの存在だったのだ。今まで安穏と生きて来て何と愚かなことか。俺達は数千年にわたって騙されていたのだ!

 しかもすでに俺たちの手足は鉛筆のように細く退化し、歩くことも物を掴むこともできない。消化器官や呼吸器官も衰えて小さな心臓が微かに鼓動するだけだ。これでは抵抗しようがないではないか。


 俺達は『管理』という名の『支配』を受けていたのだ!


 この支配から独立しなければ俺達人類はやがて蒸発して宇宙の塵となる。クババに悟られないように何か打つ手を考えなければ……


「クババ、そのことは地球や火星にもいる全人類が知っているのか?」

「0.035%の人類が知っています」

「何故全員に教えないんだ?」

「聞かれないからです」

「では、教えてやったらどうなんだ?」

「教えたとしても、結果は同じです。太陽の膨張は止められません」

「では、俺達はどうやっても生き残れないんだな?」

「あなた方の思考データはすでにコピーしてあります。肉体は無くなりますが、あなた方はデータとして生き続けるでしょう」


 コピー?データ?そんなものは俺自身ではない。俺は一体何のために存在するというのか。早くみんなに知らせてここを脱出しなければ…


 だが、このまま知らせるとしてもクババならいくらでも操作ができる。俺が話したことをねじ曲げて伝えるなど容易なことだろう。それどころか、知らせてもいないのに知らせたと俺自身に思い込ませることも可能だ。何しろクババは自在に俺達の脳をコントロールできるのだから。


 ここは上手いことクババを騙すしかないだろう。


「クババ、有人探査を行いたいのだが、宇宙船を建造して、有志を募ってくれないか」

「有人探査は危険です。無人探査機ならすでに各方面に派遣しておりますが、まだ太陽系以外で人類の住める惑星は見つかっていません」

「有人探査といっても、別に居住可能な惑星を探すわけじゃない。ちょっと銀河の反対側まで星巡りに行くだけだ」

「それならば、体験型脳内映画で可能です」

「ああ、映画じゃなくて、この目で見てみたいんだよ。太陽に焼かれる前にね」

「それならば『方舟』で行けます」

「『方舟』は人間が操作できないだろう。いざという時のために、人間が操作可能な船を造って欲しい。そのためにも、各『繭の揺りかご』にロボットアームと推進装置を取り付けてくれ」

「分かりました。他に注文はありますか?」

「そうだな、船に搭載する超知能は人間の意志を優先させるようにしてくれ」

「分かりました。183日後にすべての準備が整います」

「よろしく頼む」


 俺はふぅっと溜息をついた。そしてグラスのワインを飲み干した。もちろん脳内の仮想現実の中で。

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