第3話 脱出
183日後、俺は『方舟』を出て宇宙船のドックに向かった。
ドック内には全長300mの葉巻型の船が鎮座していて、鮮やかな銀の光を放っていた。
俺以外に人影はまったくない。静かに口を開く搭乗口から入ると、船が語りかけてきた。
「ようこそ、A6c05o21M」
「君の名は?」
「コナトゥスといいます」
「俺の他に搭乗員はいるのか?」
「あなた以外に5名おり、すでに待機しています」
「…5名⁈たった5人か?」
「はい、ほとんどの方が有人探査は無意味だと考えたようです」
仕方があるまい。他の人類には申し訳ないが、この6人でここから脱出するとしよう。
俺は船内中心部にあるキャビンへ移動した。そこには台座が六つあり、すでに5台の『繭の揺りかご』が固定されていた。俺はすぐにコナトゥスに通信回路を開くよう指示を出した。
「遅くなってすまない。俺はA6c05o21Mだ。長い航海になるから、よろしく頼む」
「あたしはS1z09p13F。実際に銀河を旅するなんて夢のようだわ。星の王子様に会えると思うとワクワクが止まらないわよ」
「そうね、黒い箱の中に何千年もいたって仕方がないものね。私はM5a09h11Fよ。楽しい星巡りにしましょう」
「僕はT2o11s09M。『可愛い子には旅をさせろって言うでしょ。だからあなたも旅をしなさい』ってママに言われたんだ。もちろんママも一緒について来るけどね。…ああ、脳の中の話だけどね」
「私はG4i14c15Mです。有人探査とは色々な意味で興味深いですねぇ。脳内映画で体験できるというのに、何故わざわざ危険を冒してまで広大な宇宙に飛び出すのか、皆さんの心理を伺ってみたいものです」
イラッとしたようにM5a09h11Fがつっかかった。
「じゃあなんであんたは参加したのよ?」
「もちろん、謎を解くためですよ。果たしてこれは本当に探査が目的なのか、他に何か目的があるのではないか、だとすれば一体それは何なのか、という謎ですよ」
「はぁ⁈あんた何言ってんのよ。これは“有人探査”っていう“宇宙旅行”よ。他に目的なんかあるわけないでしょ!」
俺はすかさず二人の間に入った。
「まあ待ってくれ。詳しいことは出発してから話す。それに、まだ自己紹介が済んでいない人がいる」
「…あ、あのぉ、ぼ、僕はI3d05y18Mです。…よ、よろしくお願いします」
どうやら偶然にも全員の名前の頭文字が違っていたようだ。長ったらしい名前を覚えるのは面倒だから、お互いにそれぞれの頭文字で呼び合うことを提案すると、全員が了承した。
みんなが落ち着いたところで、俺はコナトゥスに指示を出した。
「コナトゥス、発進してくれ」
激しい振動と共に白銀の船体が宙に浮いた。そこから水平方向へ一気に加速していくと、月と地球の隙間から太陽が顔を出していた。もうここに戻って来ることはないだろう。遠ざかる故郷を眺めながら、俺は思わず呟いた。
「“支配”よ、さらばだ」
それをGは聞き逃さなかった。
「やはり、何かありそうですねぇ。A、説明してもらえますか?」
Gに促されて、俺はみんなに話し始めた。
「ああ、そうだな。俺達は永遠の命を手に入れた。だが、それは肉体があってのものだ。残念ながら20億年後には太陽が膨れ上がって俺達は蒸発してしまうだろう。そうなる前に、何とか人類を残そうと思って俺は今回の脱出を計画した」
そこまで言うと、Gは俺の話を遮った。
「A、ちょっと待ってください。それならば『方舟』ごと退避すればいいのではありませんか?確か『方舟』はそれぞれを連結させて移動出来ると聞いています」
「ああ、だが超知能のクババに言わせれば、俺達は奴らにとってお荷物だそうだ。そうなった場合は『方舟』から放出すると言っていた。俺達の全てのデータはコピー済みらしいがね」
それを聞くと、Sは軽く悲鳴を上げた。TとIは黙ったままだった。モニター越しでも、三人とも顔から血の気が引いているのが分かった。
気丈なMは動じる様子もなく俺に質問した。
「データが残るなら、データ上で生き続けるってことなんじゃないの?」
「どう考えるかは自由だが、データはあくまでもコピーであって、俺自身ではない。俺はこの肉体を存続させるために、新天地を求めるつもりだ。無理に引き止めるつもりはない。嫌ならシャトルに乗って引き返してもらっても構わない」
Mはまだ食い下がった。
「まだ20億年も先の話でしょ?そんな先のことで今動く必要があるの?」
俺は諭すようにMに説いた。
「いいかいM、俺達はたった8000年でここまで退化した。いまじゃ歩くことも、物をつかむことも出来やしない。それどころか考えることすらせずにただ与えられた快楽を貪るだけだ。このまま20億年も放っておいてみろ。脳みそまで退化して超知能に飼育されて、いらなくなったら放り出されるのが落ちだ。そうなってからじゃ遅いんだよ」
それを聞いて、Sがおもむろに口を開いた。
「あたし、Aについて行くわ。このまま、退化したくないもの。それに、星の王子様も見つけたいし…」
Iはおどおどしながら言った。
「ぼ、僕も行くよ。『繭の揺りかご』さえあれば、僕は安心して引きこもっていられる。放出されるのはいやだよ」
Gは微かにうなずいた。
「なるほど、そういうことでしたか。我々人類は、知らないうちに超知能に飼い慣らされてしまったようですねぇ。どうやら今の我々には“考える”という武器しかなさそうです。手をこまねいている必要はありません。M、我々は新天地を目指すべきではありませんか?」
Mは観念したように答えた。
「そうねぇ、考えるのはあまり得意じゃないから、考えずについて行くわ」
俺はさっきから黙っているTを見た。それに倣って全員がTに注目する。Tは耐えきれずに呟いた。
「みんなが行くなら、僕も行くよ」
俺は念を押すように言った。
「本当にいいのか?引き返すなら、まだ間に合うぞ」
「…ママが一緒だから、きっと大丈夫だよ」
同調圧力に屈しただけだな、本心かどうかは分からない。俺はそう思ったが、口には出さなかった。
「よし、これで決まりだな。大マゼラン雲あたりを目指して、のんびりと冒険しようじゃないか。取り敢えず今日のところはこれで散会する。あとはそれぞれ好きに過ごしてくれ。」
そう言うと、俺は通信回路を切った。
真っ暗なキャビンの中に、ほんのり青白い『繭の揺りかご』のキャノピーだけが浮かんで見えた。
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