・・・3

「月山ってパソコン使うんだ」

「どういう意味?」

 この土日、いろいろな事情が重なって岸井がうちに泊まることになった。かつ姉は前々から決まっていたパレードに参加するため日本にすらいなかった。ついていくわけにもいかなかった。今頃はロンドンだろう。

 物珍しそうに部屋を見渡しながら岸井が言う。

「ほら、月山って意識高いから煩悩とか嫌いそうじゃん。面倒臭そうな性格してるし」

「……色々突っ込みたいけど、なに? 仏教の話?」

「わかんないけど。もっと解脱目指してます、みたいな部屋してるかと思ってた。部屋のなか机と椅子くらいしかなくてさあ」

「そんなわけないでしょ。そもそも私、一応クリスチャンの家系だし」

「教会とか行くの?」

「行かないよ、興味ないから」

 下階からオレンジジュースと午前中に駅ビルで買っておいたマドレーヌを持ってきて、岸井に与えた。夕食前なのでどうかとも思ったが、岸井は躊躇なくその中の一つに手を伸ばした。

 私はその隣で読みかけの川端全集の第六巻とノートを開く。マドレーヌを口に含んだまま、当然のように岸井が覗き込んでくる。

「なにそれ小説?」

「ちょっと、汚さないでよね。借り物なんだから」

「読みながらノートもとるの?」 

「うん。好きなところとか、分からないところなんかを書き出すの」

「徒労じゃない?」

「私が死んだら全部徒労だよ」

「なにそれ、ウケる」

 けらけら笑う岸井を無視して、私は視線とペンを走らせた。

 しばらくは大人しくマドレーヌを食べながらスマホを弄っていた岸井も、満足すると手持ち無沙汰になったらしく、私の背中側にすり寄ってきて肩越しに本を覗き込んできた。

「ねえ月山」

「ちょっと、耳元でやめてよ」

「楽しいの、それ」

「やめてってば気持ち悪い」

「だって暇なんだもーん。私がいるのに本とにらめっことかひどくない?」

「……なにかやりたいこととかあるの?」

「ないけど。ないけどさ」

 拗ねたように寄りかかってくる岸井は甘えたがりの妹のようだった。心がざわつく。岸井の不意に見せる女子らしい仕草も、柔らかさも、温かさも、全部嫌いだ。私の持っていない全てがそこにあるような気がして。幼さを残す可愛げな相好も憎らしい。

 岸井は春の匂いを纏っている。桜や梅の木の傍を好む彼女の背後では、目白が可愛げに跳ねているのだ。であるならば、私は冬の匂いを纏っていなければならない。そこに咲く花などどれほどあろうか。喜びはしゃぐ鳥は?

 夕方になると二人で夕食の買い物に出かけて、カレーを作った。岸井は包丁すら握れなかったため米研ぎしかさせなかったけれど、ずっと狭いキッチンの後ろで私の手際を見ていて邪魔だった。

「月山って料理も上手なんだね」

 そう言って朗らかに笑う岸井を見て、呆れると同時に温かい何かが心に浮かんだ。それは慣れ親しんだ故郷の緑の匂いのように、自然と胸の奥底へと溶け込んでくる。

 岸井という存在は私の感情を弄ぶ。嫌味を感じさせない、屈託のない笑顔がそうさせるのだ。こんな顔で笑える人間を誰が嫌いになれるというのか。だからきっと、彼女が嫌というまでは、私は彼女の友達であり続けたいと願うのだろう。

 それが分かるから、やっぱり私は岸井が嫌いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

くどく、くどく 季弘樹梢 @jusho_sue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ