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芸術の最も古い地層には祈りが堆積されている。フランコ・カンタブリアの壁画やヴィーナスの彫像をつくり出した原初の精神性は呪術と呼ばれ、その正体は祈願の手法だった。宗教の台頭とともに信仰へと名を変えたが、今なお草木の養分のような役割を果たしているような気がする。
父親が海外の小規模な美術館でキュレーターの仕事をしていたためか、私はいつのころからか芸術、とくに美術について、抵抗なく考えるようになっていたのだった。
なにかを願うためになにかを描こうという意識は、古来より人間が持っていた性癖らしい。私がかつ姉を思い出しながら彼女の姿を紙に透写するのも、またつらつら文章を書きなぐるのも、おそらくは同じことなのだと思われた。
「なに描いてんの?」
「ここから見える景色。一応ね」
放課後、友人の岸井と馴染みのカフェに寄った。手癖のようにナプキンにペンを走らせていると、岸井が正面から覗き込んできた。
「一応なの?」
「私の見てる景色とピカソの見てる景色は解釈がちがうから」
「なぜピカソ」
「わかりやすいかと思って」
「普通にわからん。てかこの人、なんで女の人なの? あそこにいるのおっさんだよね。これが解釈の違いってやつ?」
「……ちがいます」
不服そうな声をあげると岸井はけらけらと笑った。
私は常にポケットにペンを忍ばせ、なにかを描く機会を伺っているのだった。なかでもカフェという空間はうってつけだと思う。計算されたインテリア、充満するコーヒーの香り、胃へと流れ落ちる熱い液体の感覚。燃料に事欠かない。そういうとき、人間を描くとそれは自然とかつ姉になった。だから複数人を描くことになると、かつ姉だらけのとんでもなくシュールな絵面になってしまう。
岸井は日替わりのチーズケーキを平らげると追加でモンブランを注文した。「一口いる?」と花を模した小さい銀製フォークを差し出されたが、食べなかった。代わりに自分のコーヒーを口に含む。二枚目のナプキンに手を伸ばす。
岸井がなんでもなさそうに言う。
「そういや、放課後にこうやって遊ぶのって初めてかな」
「そうだっけ」
「そうだよ」
「まあ、そういうこともあるかな」
「中学からの付き合いなのにね」
かれこれ三年来の付き合いということになる。友人の少ない私にとって、この距離感が適切かどうかは分からない。
「岸井、女陸で忙しそうだし」
「部活なくたってすぐ帰っちゃうじゃんか」
「岸井も友達と帰ると思って」
「月山も友達だよ」
思わずペンを止めて顔を上げた。いつもより少し真面目そうな顔が印象的だった。私はまたナプキンに向かう。
「……だから案内したんじゃん、この店」
「ね。いい店知ってるよね、雰囲気も落ち着いてるしさ。よく来るの?」
「うん」
「また連れて来てくれる?」
ペンを走らせながら、岸井を盗み見た。いつも通りの憎らしい笑顔がそこにはあって、意地悪がしたくなった。私は少し考えるフリをしつつ、
「気が向いたらね」
そう答えた。
ちょうど二枚目の絵が描き終わっていた。その中のかつ姉はどこか正面にいる少女に似ているような気がして、破いて捨てようとしたが、岸井に止められた。結局この日は店を出るまでに三枚描いて、すべて岸井にあげた。なぜか彼女は私の描いた絵を欲しがる。
「そんな落書き集めてどうすんの」
「飾るんだよ」
「……額縁に入れるのだけはやめてよ」
「心のなかではそうなるかもね」
理由を聞くと、岸井は冗談めかして笑うのだった。
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