大どんでん返し

真野てん

第1話 大どんでん返し


 どんでん返し――。

 その起源は江戸時代中期にまでさかのぼり、当時の狂言作家たちによって考案されたという。

 歌舞伎の舞台で用いる場面転換の方法「居所変わり」もそのひとつで、舞台上に設置された大仕掛けにより、場所や季節などのシーンを一瞬にしてあらためることができる。


 その構造は横から見ると大きな「Lの字」をしており、壁部分と床部分が一体化した作りになっている。つまり壁部分を倒すと床部分が起き上がり、いままで床の底になって隠れていた新たな面が観劇客の目にさらされるという仕組み。


 その際に流される「どんでんどんでん」という太鼓の音をとって「どんでん返し」と呼ばれるようになったが、もともとは「がんどう返し」と言った。


 がんどうとは、がんどう提灯という手持ち照明器具の名だ。

 長い円筒を横にしてそのなかにロウソクを灯すと、単一方向へと強い光を発する。

 またロウソクを立てておく仕組みに、いまでいうところのジャイロ機構を採用していたので、円筒を傾けても光の指向性が失われないため、夜間の作業に大変重宝したという。


 この提灯のからくりに見立てて「がんどう返し」と呼び、のちに「どんでん返し」になった。


 転じて。

 物事やストーリーにおける、大逆転劇を指してそう呼ぶようになった――。


「あの……提督」


 A.D.20205年。

 旧型宇宙戦艦ラバブル・イディオット。

 そのメインブリッジにて。


「なんだい、少年」


 その日、少年がはじめてみた宇宙艦隊の司令官は、とてもひ弱な青年のように思えた。

 まずもって名立たる名将たちを差し置いて、まだ30歳にもならないこの若者が司令官に抜擢されているのも異例中の異例だが、そもそも彼の柔らかな物腰をみて、まず軍人と思うものはいないだろう。


 厄介ごとを押し付けられてね――。

 はにかんだような笑顔で、彼は少年にそうつぶやいた。


「この作戦。ほんとうにうまくいくんでしょうか……」


 厄介ごとをしょい込まされたのは彼だけではない。

 いまこの場にいるラバブル・イディオットのクルー全員がそうなのだ。

 船は廃棄寸前の老朽艦。

 そしてクルーは、宇宙艦隊の各部署から選りすぐられた「無用もの」ばかり。


 提督の世話係として乗船した少年もまた、つい先ごろまで軍最高司令部顧問という肩書きをもった有名政治家の「愛人」をしていた。


 この船に課された任務には、もとより帰還を想定されていない。

 帰らざるものたちの船。

 人類存亡をかけた偉大なる作戦のため、ていよく宇宙へと捨てられたのだ。


 いま彼の目の前には、メインモニターに映った真っ赤な恒星がある。

 ナロー太陽とも呼ばれる、古い星だ。

 それがいまや大爆発を起こす瞬間に彼らは立ち会っている。


 この古ぼけた太陽が爆発すれば、近隣の星系もただでは済まない。

 無論、彼らが故郷である入植惑星も。

 地球はもはや、人類のゆりかごではない。再び、故郷を失うわけにはいかなかった。

 だから人類は非情にも、より多くの命を救うために命の選別をしてしまったのだ。


 死んでもいい奴らの寄せ集め――。

 口さがないものたちは、彼らをそう呼ぶ。

 しかしそれでも彼らには、人類の命運が託されていた。


「少年。もしこの作戦がうまくいかなくても……」


 提督は形のいい眉をキリリと吊り上げてそう言った。


「わたしのせいじゃない」


「は?」


 少年はおもわず呆気にとられた。

 提督は「ごらんなさい」と言いながら、メインモニターに映る赤色巨星を指さした。


「あんなもの人間のちからでどうにかなるもんですか。ハイメガ粒子砲だか、拡散ギガ種子島だかしらないけれど、こんなでっかい筒っぽ渡されて死んでこいとか」


 このでっかい筒っぽとは、宇宙戦艦ラバブル・イディオットの主砲を意味している。

 今回の作戦では、赤色巨星が自己崩壊を起こすまでに戦艦の主砲を撃ち込み、人類側で破壊をコントロールすることにあった。

 主砲発射までの時間は、あと数分に迫っている。


「いいかい、少年。我々は貧乏くじを引かされたのです。せいぜい人類を呪って死んでやろうじゃないかね」


「え、や、だって、それでも任務が」


 提督は慌てふためく少年を横目に見ると、口の端をにたりと持ち上げた。

 ただでさえ切れ長で細い目元が、糸のように線を引く。


「総員! 主砲発射準備用意!」


 提督の号令のもと「無用もの」であったはずのクルーたちが一斉に動き出した。

 ただの「愛人」の身ではあったといえ、数々の艦隊運用を目の当たりにしてきた少年には、それがかなりの統率のもとに鍛え上げられた一級の仕事ぶりであることが分かった。


「なあに。ただじゃやられやせんよ、われわれだってね」


 10……9……8……。


 カウントダウンが進んでいく。

 少年の頭のなかは妙にクリアだった。

 目の前にいる青年は、実績もないただの頼りなげな青年だったはずなのに――。


「死ぬ気になれば、なんだって出来るんです。まだ本気じゃなかっただけだ!」


 ダメなヤツの魂の叫びを、三日三晩鍋で煮詰めたようなセリフだった。

 こんな死と隣り合わせな状況で、少年はなぜか笑みがこぼれた。


 2……1……0――。


 そのときすべての音がやんだ。

 ほんとうはとんでもないほどのエネルギーをもった主砲なのに。

 メインモニターの画面は真っ白に飛び、空間さえ蒸発してしまったよう。


「衝撃波きます!」


 気を失いそうになった瞬間、少年の耳に女性オペレーターの声が届く。

 そう、まだ太陽を破壊しただけにすぎない。

 すべてはこれから来る破壊エネルギーをどう防ぐかにかかっているのだ。

 ここで食い止めなければ、人類は母星ごと消滅する。


 提督が叫んだ。


「どんでん返し発動!」


「どんでん返し、発動!」


 復唱された命令のあと、すぐに巨大な「なにか」が戦艦ラバブル・イディオットを包み込んだ。それは全長100000キロメートルにも及ぶ、巨大な「Lの字」型の盾であった。

 赤色巨星の崩壊後でなければ展開する座標が決めらないという苦肉の策。

 人類史上、もっともバカげた作戦とまで呼ばれた。

 その発案者が、この青年提督である。

 彼はまるでその責を問われるように任官され前線へと送られた。

 各部署の役立たずとともに。


 だが青年提督は、人身御供のために寄せ集められたクルーたちを懇切丁寧に説いてまわった。

 人類のために死んでくれ。

 もう逃げるのはよそう――と。


 人生最後の逆転劇。

 彼らは、宇宙を飲み込まんとする膨大なエネルギーの波に――勝った!


「うおおおおおおおおおおおおお!」


「おっしゃあああああああああああ!」


 誰からともなく歓声が上がる。

 少年もまた、遠慮がちに微笑むだけの提督と目を合わせて歓喜の涙を流した。


 やった。

 彼らは生き残ったのだ。

 そして凱旋しよう。我らが守った美しい故郷に――。


「……提督」


「なにかな、少年」


「……星……ないですね……」


「……ないね」


 人類最後の故郷と呼ばれた彼らの入植惑星。

 それがあるはずの星系へとUターンしてきた彼らの目には、かつて巨大な天体だったであろう物体の残骸が浮遊して、アステロイドと化している宙域だけが飛び込んできた。


「……ずれてましたね」


「ずれてたね……」


「まさに大どんでん返し……」


「あるんだねぇ……こういうことも……」


 こうして人類最後のゆりかごとなった宇宙戦艦ラバブル・イディオットは、意気消沈する間もなくあらたな植民惑星を探して旅立っていった。


「ま、もともと自分たちだけ助かろうとしたような奴らだったし」


 まさか提督――。

 そうポツリとつぶやいてしまった彼の独り言を、少年は聞かないふりをした。


 宇宙は広い。

 きっとどこかに彼らを受け入れてくれる新天地があるはずさ。

 人類はこれからも種を飛ばす。


 がんばれ提督、がんばれ少年。


 がんばれ、ぼくらの宇宙戦艦ラバブル・イディオット――。

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