「食べられたプリン」とは「失った幸福」の象徴

象徴は象徴であるが故に、立ち止まるべき果てを持たない。
「山田」は壁を倒す度に、その周囲に新しい風を呼び込み、再現なく世界を広げて行く。

これは確かに、帝国主義のカリカチュアだ。
だがそれは、主義や思想が目的ではなく、単なる手段に過ぎないことも示唆している。

「だれがプリンを食べたのか?」

その問いはつまり、「どうすれば人は満たされるのか?」という根源的な問いと答えと同じくしてあり、、、
人は未だその答えを知らない。

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