種は拡散した。

阿井上夫

本文

 仕事が終わって自宅に戻り、いつもの通りパソコンを立ち上げた阿井上夫(仮名)は、ディスプレイに映し出された文字を読んで、愕然とした。

「なんだこりゃ?」

 彼が見つめているのは、某無料小説投稿サイトのトップページである。

 そのサイトでは数日前から、『出されたお題に従って短編を書くコンテスト』が複数回にわたって開催されており、阿井もそれに参加していた。

 そして、その日は第四回目のお題が出される日であり、まさしくそのお題が画面に表示されていた。


『拡散する種』


「なんだこりゃ?」

 阿井は再び呟いた。

 正直、意味が分からない。

 これまで比較的イメージを喚起しやすい言葉が選ばれてきたこのコンテストで、これだけ言葉の意味は明確なのに、言葉の意味するところの先が不明なお題はなかった。

「拡散する種——ホウセンカかなんかか?」

 阿井は反射的にそう考えたが、しかし、それではお話にならない。

 ただホウセンカに関連した話を書いたからといって、レギュレーションを満たしたとは言えないだろうし、そこからは何の発展性もないからだ。

「裏に何か意図があるのかな?」

 阿井はそう考えてみる。

 この時期、なんらかの秘められたメッセージをあえて発信しているのだとしたら、それはもちろん巷を騒がせている新型のウイルス感染症に関するものに違いない。

 だとすれば拡散というのは感染エリアの拡大をほのめかしたものに違いないはずだが―—それでは「たね」とはなんのメタファーか。

 これは考えるまでもないことだった。ごくストレートに考えれば『種=ウイルス』であろう。


 するとこれは、小説のお題という形をした、ウイルス拡散の犯行予告となる。


 阿井の背筋に悪寒が走った。

「これは……今すぐ保健所に電話しないと危険じゃないのか!!」

 彼は慌てて、傍らに置かれていたスマートフォンを手に取る。

 そして、検索サイトで近くの保健所の電話番号を調べ、そこに電話をかけようとして——発信ボタンにかけた指を硬直させた。

「いや、待てよ?」

 よく考えてみると、そもそも小説投稿コンテストでそのような犯行予告を行うことのメリットが分からない。

「世界の人口の何割が注目しているのかわからないようなコンテストで、全世界を揺るがすような犯罪のアナウンスをやって、何の得があるんだよ?」

 そう考えた阿井は、再び画面を凝視した。


『拡散する種』


「……おや?」

 彼は呟いた。

「これ、読み方は『たね』でいいのかな?」

 ホウセンカを連想してしまったことで思考力が狭められたのかもしれないと、阿井は考え直す。そして、

「拡散する『しゅ』だとしたらどうなる?」

 しゅという音の響きからまず連想されるのは、『種族』という言葉だろう。これはかなり妥当性が高いような気がする。すると、このメッセージは種族が拡散することを示していることになる。

 種族の拡散とは何か。

 これは歴史から見て明らかであろう。種族が拡散—―あるいは離散するのは、戦争が発生した場合に他ならない。


 となればこれは、感染症の拡大どころか、世界規模の戦争を予告したメッセージとなる。


「まさかこれは、ファティマ第四の予言か?」

 阿井は陰謀論者であった。

「こうしてはいられない! この事実を世間に公表しなくては!!」

 さきほど、

「こんなところで全世界を揺るがすような犯罪のアナウンスをやって、何の得があるんだよ?」

 と考えたことをすっかり忘れて、彼は大慌てで自身のSNSに掲載する文言を書き始めた。


 *


 意味不明のお題に混乱し、それぞれの結論に達した者たちが一斉にSNSでメッセージを発信したため、原因となった無料小説投稿サイトは、世間からの糾弾を浴びることとなる。

 そしてそれは、しばらくの間静まりそうにない。


 なぜなら、噂の種があちらこちらに拡散してしまったためである。


( 終わり )

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種は拡散した。 阿井上夫 @Aiueo

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