地獄と現世をUターン!

うめもも さくら

Uターン、帰省ラッシュにご用心!

「舌をまないように気をつけておけよ!なに大丈夫だ、何も心配はいらない。行くぞ!」

自分を軽々と抱えあげる強くしなやかな体躯たいくと美しい顔を間近まぢかに見れば誰でもれてしまいそうになるだろう。

強く優しく降り注がれる男前な言葉と人生で初めてされたお姫様抱っこというものに戸惑とまどいながらも自分は何も言えずにいた。

そう、心の底から惚れてしまいそうになる。

もしこれが目の前の美しい者が男で自分が女なら。

人生初のお姫様抱っこは申し訳なさと気恥ずかしさと情けなさに心が潰れてしまいそうだった。


どうしてこんなことになったのかと言えばお姫様抱っこをされている今から約1時間ほど前。

橙色だいだいいろに染まった空にカラスたちが鳴き出す頃、オレは自分の置かれた状況に絶望していた。

両脇りょうわきに木々が生い茂る広いはずの道は今は進むことが出来ず一歩もまともに動けない。

オレの腕は誰かの腕と密着みっちゃくしていて正直暑いし痛いしツライ。

最早もはやここは人口密度じんこうみつどの高すぎるサウナ状態だ。

「お腹すいたー。まだお家着かないのー?」

「待ってて家に帰ったらきっとごちそうがあるからね」

「お兄さんとしはいくつ?うちには可愛い孫がいてねぇ……」

「おいっ!押してくんじゃねえよ!!」

「あっ!?俺じゃねえよ!ふざけんな!」

という声が聞こえてきて動くこともままならないこの状況で喧嘩けんかなんかしないでくれと思う。

ここにいるみんなが望むことは同じなんだ。

ただ早く家に帰りたい、家族に会いたい。

早く帰りたいのはみんなと一緒だがオレにはここにいるみんなと少し違う。

自分には残りわずかになったタイムリミットが存在する。

ここで待っている間にそれは刻々こくこくと迫ってくる。

一向いっこうに動いてくれない列に早く帰りたいという気持ちばかりが焦っている。

頼む!早く進んでくれ!オレを早く帰してくれ!

現世げんせに!!

地獄じごくに並ぶ長蛇ちょうだの列の真ん中で一人、神仏しんぶつに願っていた。


まず、1つ言わせて欲しい。

オレは生きている。

そして地獄に落ちるほどの悪行あくぎょう一切いっさいしていないどこにでもいる一般的なサラリーマンだ。

そんなオレがなぜ地獄にいるのかと言えばそれはただの事故だった。

仕事帰りに少し酒でも飲もうと居酒屋いざかやの戸を開けた。

まさか居酒屋の戸が地獄へとつながった門になっているとは知るよしもなく。

あとから聞けば地獄の門番がお腹を悪くしていたらしく門を閉めるのも忘れて慌ててトイレに駆け込んでいたらしい。

その僅か10分くらいの間に事故で門がどこかに繋がってしまいそれがオレの立ち寄った居酒屋だったというわけだ。

迷いこんだオレを死者だと思い優しく誘導ゆうどうしてくれた地獄のおにをまさかうっかり地獄に足を踏み入れているなどわかるはずもないオレは居酒屋のスタッフだと思い微塵みじんうたがうことなく案内あんないされるがままついていった。

案内された先で裁判さいばんの時間までここで待つように言われて裁判?と疑問に思い周りを見渡した。

そこではじめて自分の置かれた異常な状況にきづいた。

周りにいた大勢の人たちに混ざって風貌ふうぼうこそ人の姿をしているが頭から牛のような角がある者がいる。

マンガなどでは鬼と呼ばれるような者。

そして自分と同じ人間も多く集められていた。

逃げようとする人、泣き崩れている人、自分と同じく何が起きているのか理解できていない人。

鬼たちの言葉に耳をかたむけているとここがなんと呼ばれる場所なのか容易よういに想像がついた。

ここは地獄だ。

(え?オレ、死んだの?いつ?なんで?普通に歩いて居酒屋に行っただけだったんだけど)

頭の中が混乱してひたいに冷や汗が止まらない。

地獄でも懸命けんめいに動くオレの心臓がバクバクと早鐘はやがねをうつ。

そしてほどなくして順番がきたと呼ばれ行ってみるとそこにはたくさんの鬼と体も顔も真っ赤な大男がそこにいた。

その大男はあたりがつく。

おそらくマンガなどで地獄といえば必ずといっていいほど登場する地獄というものに詳しくなくても誰でも名前は知っている、嘘をつくと舌を抜くと言われている人。

閻魔大王えんまだいおうさま!!大変です!!」

その場にいた鬼たちがわらわらと閻魔大王のもとに集まって慌ただしくあれこれ言っている。

聞いていると名簿めいぼに名前がないだとか、地獄の門が現世の酒飲さけのみ場と繋がってしまっていたとかこの場所にいる自分以外の全員が物々ものものしく話している。

そして門番が呼ばれ目の前にいる閻魔大王をはじめとした見るからに偉い立場にいそうな鬼たちが深々ふかぶかと頭を下げて謝罪しゃざいしてくれた。

「どうやらこちらの手違てちがいで本当に申し訳ない」

「オレはこのまま死んでしまうんでしょうか?」

そうおずおずとオレが聞くと閻魔大王は一瞬驚いたように目を見開くとすぐに豪快ごうかいに笑って優しい口調で首を横にふる。

「まさか!大丈夫、すぐに君を現世に戻すように手配をしよう。今日中に戻れば何事もなく帰れるだろう」

その言葉を聞き、心底ほっとしたオレは閻魔大王の側近そっきんの鬼に帰り方の手順を聞く。

「この馬に乗っているだけでいいですよ。道はこの子が知っているしなにより目的地まで一本道ですから。くらもついているし乗っていて痛みとかはありません。車より安全で心地よい乗り心地を保証しますよ。」

正直馬になんて乗ったことなかったので助かった。

安心したオレに側近の鬼は優しい笑みを浮かべてひょいとオレを持ち上げて馬に乗せてくれる。

地獄に車あるんだとかこの鬼、細身なのに力あるなとか思う。

はじめて足を踏み入れた地獄という場所は自分が思い浮かべる恐ろしくおどろおどろしい地獄とは違って穏やかで優しい鬼ばかりの普通の場所だった。

その事にどこか安心感と居心地のよさを感じた。

もう当分来れないし、そう簡単に来てはいけない場所だとわかっている。

だからこそ離れがたい気持ちを抑え僅かな寂しさを抱きながら別れを告げる。

「いろいろとお世話になりました。なかなかできない経験をさせていただきありがとうございました。……いつかまたお世話になる時はまたよろしくお願いします」

そう言って深々と頭を下げると彼らは少し驚いてから目配めくばせをして声をあげて笑った。

道中どうちゅうお気をつけて。次に会うときはもう少しゆっくりとおもてなしさせてくださいね」

「そなたがまた此処に訪れる日がずっとずっと先であるように、またそなたの現世での生活が幸せなものであるようにこの地にて心から願っている」

閻魔大王とその側近たちの優しい笑顔と声に見送られながらその場を後にした。

今体験した不思議な出来事に寂しさと興奮を抑えるように空を見上げた。

何事もなく帰れるはずだった。

もし今日がおぼん只中ただなかでなければ。

お盆、それは死者が現世に帰ることのできる行事。

ご先祖様が帰ってくるということで現世でもお盆の帰省ラッシュは毎年起こる。

まさか地獄で馬に乗った誰かのご先祖様たちの帰省ラッシュに巻き込まれ、すし詰め状態になるなんて誰にも予想できなかったんだ。


「おいっ!押してくんじゃねえよ!!」

「あっ!?俺じゃねえよ!ふざけんな!」

どこかのご先祖様、多すぎだろ。

「お兄さん歳はいくつ?うちには可愛い孫がいてねぇ……」

この話もう18回目。とはいえ無下むげにもできず大人しく聞き続ける。

「お腹すいたー。まだお家着かないのー?」

「もう少し待って、家に帰ったらきっとごちそうがあるからね」

お母さん大変そうだな。

あんなにちいさい子供もいるのか。

ここにいる人たちはただの幽霊やオバケじゃない。

誰かのご先祖様で誰かの家族なんだ。

そう思うと当然に長蛇の列でも苛立いらだちは感じない。

ただ、気ばかりが焦ってしまう。

「これ今日中に帰れないんじゃ……」

そう焦ったところで

「おまえが迷いこんだ人間だな?」

突然後ろから声をかけられる。

自分のことを言っているのは明白だったので慌てて振り返るとそこには美しい着物に身をつつみ長い髪を風になびかせた美しい女性が立っていた。

「はい、えっと……あなたは」

「私は馬頭めず、門番をする獄卒ごくそつで腹をくだした門番の上司だ」

彼女は端的たんてきにそして的確てきかくに自己紹介をすませるとひょいとオレの馬に飛び乗り馬の上で立った。

「これでは今日中に間に合わんだろう」

そう言うとオレの両脇とひざの後ろに手をすべり込ませひょいと軽々と抱えた。

そして今に至る。

「舌を噛まないように気をつけておけよ!なに、大丈夫だ、何も心配はいらない。行くぞ!」

そしてオレをお姫様抱っこしたまま馬の上をび移りながら風のような速さで駆け抜けていく。

美しい彼女に抱き抱えられ、彼女の胸元の近さに顔を赤らめながら彼女に身をゆだねる。

彼女はオレに気遣きづかってかいろいろと話しかけてくれていた。

獄卒とは地獄のサラリーマンのような存在であることや地獄にも綺麗きれいな景色や楽しいお店があることなどどれも聞いたことのない心踊るような楽しいことを。

事故でここにきて帰省ラッシュに巻き込まれて大変だと思うのに現世にUターンしてしまうことが、帰ることが寂しく思ってしまう。

今自分が暮らしている現世の方がよっぽど自分が想像する地獄に近い気さえした。

でも戻らないわけにはいかない。

仕事も家族も友人も人並ひとなみにいる。

「もし今日中に間に合わなかったらオレどうなるんですか?」

オレの突然の質問に少しきょとんとしてからオレの目をしっかり見て笑った。

「あぁ、そんなに怯えなくとも大丈夫だ!今日中に帰れなくても死なない!閻魔大王さまにいろいろと申請しんせいすればいつでも何事もなく帰れるよ」

閻魔大王はオレが早く帰りたいと思っていると思い今日中にだって帰れるという意味で言ったようだ。

その言葉を聞きオレはほっとして、それならもう少し優しい鬼たちと一緒にいてもいいかもと思った。

この天国みたいな地獄を、彼女の話してくれた景色やお店を楽しみたいと思ったのは内緒だ。

「もう一度Uターンするか?」

彼女はオレの心を読み取ったように仏のように優しく鬼のように意地悪いじわるそうに美しすぎる笑みを浮かべた。

橙色の空に月がかかり、木々のこすれ合う音を聞きながらオレは笑ってその問いの答えを口にした。














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