彼女のターン、右に廻るか、左に廻るか(KAC20203)

つとむュー

彼女のターン、右に廻るか、左に廻るか

「ねぇ、私の横顔ってどっちが素敵?」


 いきなり変な質問された。

 二人きりの放課後の教室で。

 幼馴染の栞に。


「どっちって言われても、どっちもまあまあじゃねえの?」


 それは嘘だ。

 だって今日の栞はいつもと髪型が違うから。

 肩くらいの黒髪をポニーテールで上げている。

 自然と目が向いてしまう白いうなじにドキドキしていることを悟られたくない俺は、つい憎まれ口を叩いてしまった。


「和也、真面目に答えてよ。私の人生が掛かってるんだから!」

 唇を尖らせる栞。

 俺はすかさず反論する。

「栞が『人生で最大の相談があるから』って言うから、こんな放課後まで残ってやったのに、そんな質問するためだったのかよ?」


 俺たちはもうすぐ卒業する。つまり高校三年生。

 遠くの街の私立大学に合格した俺は、四月からの一人暮らしが決まっている。

 だから、もしかしたら栞に告白されるんじゃないかとちょっぴり期待してしまったんだが――それは違っていたようだ。


「私ね、卒業式の日に告白しようと思ってるの」

 その相手は俺ではない。だって本人の前でこんなことは言わないだろう。

 だから思い切って聞いてみた。

「誰に?」

「翔くん」

「翔って、サッカー部の翔か?」

「うん」


 桜本翔(さくらもと しょう)。

 同級生で、サッカー部の元キャプテンだ。

 選手権出場のため、秋まで部活で活躍していたが、推薦での大学進学が決まっている。

 すごいイケメン――というわけではないものの、豪快にディフェンダーを切り裂くドリブルからは全く想像できない真面目で爽やかな性格のため部員からの信頼も厚く、女子からもかなりの人気がある。


「無理じゃね?」

 と言ってみたものの、相手が翔なら応援してあげたいという気持ちはどこかにあった。

「ちょっと、即答しないでよ。無理っぽいのは私だって分かってるんだから」

 教室の床に目を向ける栞。

 あー、俺としたことがやっちまった。こんなことで幼馴染の勇気を挫いてはいけないと、俺は今の失言をチャラにすべく相談に乗ってやる。

「それで? さっきの質問と翔への告白が、どう繋がるんだ?」

 すると栞が恥ずかしそうに顔を上げた。


「卒業式の日にね、校門のところで待ち伏せして、手紙を渡そうと思うの」

 まあ、決行場所が校門なら、その方法がいいだろう。

 人が多くてゆっくり告白なんてできないし、第二ボタンだってすでに誰かに取られちゃってるに違いない。

「それでね、ターンして戻る時に、ちらりと横顔をアピールしたいの。だからどっちが素敵かなって、そう思って……」

 栞の先ほどの質問。それは、乙女の切実な願いだった。


「ほら、私って左の目尻はすっきりしてるけど、右目はちょっとたれ気味じゃない? だから知性的に魅せるなら左側、可愛さをアピールするなら右側かなって」

 いやいや、そんなこと思ったこともないぞ。

 今まで十七年以上も一緒に生きてきて、これっぽっちも、一瞬たりとも。

 そんな俺に構うことなく、栞は俺の前でクルクルと廻り始める。


 右回転。そして左回転。

 ふわふわと広がる制服のスカート。

 ポニーテールが揺れるたびに、いい香りが漂ってくる。


 いやいや、全然違いがわからない。


 ぽかんとする俺にしびれを切らした栞は、ポケットから白い手紙を出して教室の後ろへ駆けて行く。

「じゃあ、ちょっと練習してみるから、しっかり見ててよね」

 こちらを向いた栞は俯き加減の小走りで俺に近づき、上目使いで手紙を差し出した。


 恥ずかしそうな栞の表情。

 不意を突かれてドキリとする。

 それだけで十分に可愛いんですけど……。

 

 俺が手紙を受け取ると、左廻りでターンして栞は教室の後ろに戻って行った。

 えっと、左廻りということは、右顔をアピールしたってことだよな。

 右顔は、ちょっとたれ目だから可愛さアピール?

 ていうか、正面だけで十分じゃね?


「どうだった? いつもより可愛く見えた? 見えたよね? 和也だって、思わず後ろから抱きしめたくなっちゃったよね?」

 教室の後ろから声を上げる栞。

 可愛く見えたかって、そんなこと言われても栞は栞でいつもと変わらないんだけど。

「おお、すっごくキュートだったぜ」

 とりあえず俺はそう答えてみる。


「じゃあ今度は右廻りでやってみるからね。ちゃんと違いを見ててよ!」

 その真剣な表情に、俺はゴクリと唾を飲む。

 俺が違いをはっきりと指摘できなければ、何度でもやるという決意が滲み出ていたからだ。

 そして栞は先ほどと同じ動きで俺に手紙を渡し、今度は右廻りでターンした。


 ん、もう!

 全然違いが分かんないよ!


 叫びたくなるような俺の目に、栞のうなじにある何か黒いものが飛び込んでくる。

「ちょ、ちょっと栞。ストップ、ストップ!」

 それは、直径五ミリほどの大きなホクロだった。

 


 その時。

 俺の脳裏に昔の記憶が蘇る。

 小学校の頃のフォークダンスの景色。代わる代わる俺の前を女子がクルクルと廻りながら入れ替わる。

 だけど栞だけはすぐに分かった。

 その理由はこのホクロ。左耳の後ろにひっそりと隠れていた、懐かしい記憶。



「懐かしいな、そのホクロ」

 俺が指摘すると、立ち止まったまま振り返る栞は驚いた顔をした。

「えっ、ホクロがあるの? 左側に?」

 そして自分の席に行って鞄から鏡を取り出し、確認し始めた。

「えー、見えないよ。どこ? どこにあるの?」

 あんなに大きなホクロなのに? きっと耳で隠れてしまって、手鏡だけでは見えないのだろう。

「左耳の後ろだよ」

「耳の後ろ? って、この辺り?」

 鏡を見ながら栞が指さす。

「ああ、そこだよ」

「よく見えなけど、このホクロってセクシー?」


 セクシーって、泣きボクロとか口元のホクロとか、そういうホクロのことだろ?

 しかもちっちゃいやつ限定。

 栞のは大きすぎてセクシーどころか間違って付いたマジックインキみたいだよ、と言おうとして――やめた。


「うーん、もうちょっと小さかったらセクシーだけどね」

「ふん。何よ、デリカシーがないんだから、和也は」

 言わなくてよかった。マジックインキみたいだって。

 俺はほっと胸を撫で下ろす。

「だったらやめておいた方がいいわね、右廻りは」

「ああ、気になるならその方がいいかもな」

 実際、右廻りも左廻りも、そんなに違いがあるとは思えなかった。

 だったら本人が納得する方がいいに決まっている。

「そういえば、和也はさっき『懐かしい』って言ってたじゃない。このホクロにいつ頃から気づいてたの?」

「小学校のフォークダンスの時かな?」

 正直に答えると、栞は考え込む素振りをする。

「ふーん、小学校の時なのね……」

 その表情がちょっと悲しそうに見えたのは気のせいだろうか……。



 ◇



 卒業式。

 いよいよ栞が翔に告白する日がやってきた。

 今日もポニーテールで登校して来た彼女は、俺に会うなり無茶なお願いを切り出す。

「和也も一緒に校門で待っててよね」

 いやいや、二人で幸せになるところを俺に見せつける気ですか?

 まあ、俺に関しては誰かに告白するつもりもないから別に構わないんだけど……。


「左廻り、左廻り……」

 校門の影で翔を待つ栞は、念仏を唱えるようにぶつぶつと口の中で繰り返す。そしてクルクルと左廻りのターンを練習していた。

「間違っちゃダメ。絶対、左廻りなんだから」

 そのストイックな予行練習ぶりを見かねた俺は、緊張を解いてやろうと一言声を掛ける。

「大丈夫だって。間違えたって気づきはしないって」

 すると栞は俺のことを睨むと、鋭い口調で言い放った。

「ダメ。こんなホクロ、和也以外に見られたら、私、お嫁に行けなくなっちゃうんだから」


 その瞳。

 このシチュエーション。

 俺はどこかで経験したことが……ある。


「じゃあね、私行ってくるから!」

「ああ、頑張ってこい」

 脳裏に蘇ってくる記憶を手放したくない俺は、つい生返事をしてしまう。

 翔のもとへ駆けていく栞の後姿が、幼稚園の時の栞の後姿と重なった。



『みちゃダメ! こんなホクロ』

 逃げる栞を追いかける。

『まってよ。にげなくてもいいじゃんか』

『だったらせきにんとってよね。かずやはこのホクロをみちゃったんだから、わたしのこと、およめさんにしなくちゃいけないんだよ』

『わかった。ボクはしおりをおよめさんにする』

『ホ、ホント……!?』



 なんだよ、栞のやつ、ホクロのこと知らないふりしやがって。

 そんなにホクロが気になるんだったら、ポニーテールにしなければいいじゃんか。いつものように、髪を下ろせば見えないんだから。


 翔に手紙を渡し、左廻りでターンする栞。

 それは、まるで俺にホクロをアピールするかのように。

 ポニーテールを、三月の風に揺らしながら。


「そんな嬉しそうな顔で戻ってくるなよ。告白が成功したかどうかも分からないんだからさ」

 最初から栞は、俺へのUターンを狙ってたんだ。

 手紙の中身だって、本当に告白かどうかも分からない。

 大好きな彼女の笑顔が、そう語っていた。

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彼女のターン、右に廻るか、左に廻るか(KAC20203) つとむュー @tsutomyu

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