逃げちゃった僕と、追いかけてくれた君と、

白石 幸知

第2話

「あっ、あのね……石川くん、私、二年生のときからずっと、石川くんのことが──」

 高校三年の三学期末のある日、つまるところ卒業間近の年度末に僕は二年で同じクラスだった、人気者の松井さんに呼び出され、誰もいない教室で二人きりになっていた。

 松井さんとはそれほど深い仲があるわけでない。同じクラスのときに朝一番目に登校する僕、二番目に登校する松井さんで始業前のほんの僅かな時間を一緒に過ごしていた、ただそれだけ。

 そもそも松井さんはクラスで一、二を争う人気者なわけで、地味で根暗な読書オタクな僕とは本来まったく縁のない存在なわけで。週一で男子に告白されるような、高嶺の花で。

 じゃあどうしてそんな松井さんとお前は今こうなっているんだと。

 ……僕もわからない。

 確かに二年生の学年末で一応ラインの交換はした、したけどそれだけで奇跡みたいなところがあって、まさかこうして松井さんから個別ラインが来るとはつゆにも思っていなくて。

 そして今僕の目の前で顔を真っ赤にして意味ありげなことを言おうとしている松井さんを見て僕はますます混乱している。

 ……え? この流れって俗に言う告白ってやつですか? いやいやいや待て待て待て僕。受験勉強のし過ぎでとうとう妄想が現実に影響しだしたか? そんなのあり得ないからないないない。安心しろ一度日陰に入った根暗は永遠に日陰に生きるんだ落ち着け僕。

「好きだったんだ」

 …………。

 僕の思考が急ブレーキをかけて停止している。

 夢、見ているんじゃないですか? そうだ、これは夢に違いない。

 僕はブルンブルンと頭を大きく振って現実に戻ろうとする。

 しかし、戻るべき現実は既に僕の感覚のなかにいらっしゃるようで。

 目の前に広がる光景、ピンク色を通り越して桜が濃く色づくように頬を染めている松井さんの表情は変わらないまま僕の視界に映る。

「あっ、そっ、その……」

 僕は言葉が上手く出てくることなく、ぎこちなく両手を体の前でごちゃごちゃと動かすも、やはり状況は変わらない。

「だっ、だから──」

 そんな宙を忙しく彷徨っている僕の両手を、松井さんがギュッと握りしめて、

「わ、私と付き合ってくれないかな……?」

 火照った声でそう言う。

 瞬間、電流が走ったように僕の体は動き出して、彼女の側を通過して教室のドアを通過していた。

「あ、い、石川くんっ! 待って!」

 結論、処理が追いつかず逃げ出しました。


「……な、なんで松井さんが僕なんかに……」

 息を切らせ逃げ込んだのは、校舎隅にある階段。段差に座り込んで、走ってかいてしまった汗をハンカチでそっと拭く。

 踊り場の窓から入り込む太陽の光が心地よく、ほのかに眠気を誘うあたり、もう春も近いんだなと感じさせられる。

 次の春が来れば、僕も、松井さんもこの高校を卒業する。

 松井さんの進路先なんて僕はまったく知らないし、松井さんも僕の進路は知らないはず。

 だから、仮に付き合うことになったとしても、遠距離になるかもしれない。

 ……僕は、少なからず地元ではない国立大か、関東の私大に行くのだから。

「あっ、見つけた!」

 バタバタと足音がして、目線をその方向に下ろすと、膝に手をついて僕を見上げる松井さんがいた。

 僕はまたまた反射で立ち上がり、階段を駆け下りてくるっとUターンしてまた下へ下へと向かおうとする。

「待ってよ、逃げないでって石川くん!」

 もうお互いヘロヘロになっていた。僕はその声に立ち止まって彼女のことを見上げ、松井さんも松井さんで手すりに手を預けて息を荒くさせている。

 方向転換してついた距離、階段十五段分。

 松井さんは一段一段ゆっくりと段差を下りながら、僕に話しかける。

「そ、そんな罰ゲームとか、いたずらとかじゃなくて、本気だから……!」

 ……それもあるかなって思ったけど、自分で思うのと他人に言われるのではダメージが違うね……。

「二年生のとき、ずっと朝、読んだ本読んでいる本について話している時間が心地よくて、会話の波長が合って楽しいなって思っていたの……!」

 残り、七段。

「他の誰かじゃなくて……石川くんがいいの! だから」

「……でも、卒業したら」

「私もっ、私も、石川くんと同じ国立大受けたの」

「へっ?」

「……だから、受かったら、一緒の大学に行けるから……だから」

 な、なんで松井さんが僕の受けた大学を知っているの……え?

 そんな疑問は、次のタイミングで完全にぶっ飛んだ。

「……私なんかでよかったら……付き合ってくれませんか?」

 階段を下りきった松井さんは、立ちすくんでいる僕に飛び込んで、少し熱っぽい体を預けてきたのだから。

「へっ、あっ、えっ……」

「……駄目、かな?」

 至近距離の上目遣い、上気した頬に、感じる彼女の柔らかい体。僕の思考は、もう一度ショートしてしまった。


 〇


「──それで、お父さんとお母さんは付き合い始めたの?」

「うん、そうだよ」

 娘にした昔話は、そうやって締めくくった。隣に座っている、彼女そっくりに可愛らしい娘はそっと目の前に置いていた高校の卒業アルバムを持っては、

「そういえば、どうしてお母さんはお父さんの受ける大学を知ってたの?」

「ああ、それはね、お父さんに告白したかったけどなかなか勇気がでなくてずっとお父さんの後をつけていたときに、たまたま赤本買ったのを見て──」

「──おっ、お父さん、余計なこと話さないでって言ったのにっ」

「あっ、お母さん来ちゃったー」

「残念、じゃあこの話はまた今度だね」

「恥ずかしいからもうこの話はしないでよ……お父さん」

「うーん、それは無理な話かなあ」

 大学を卒業して、Uターンという形で地元に就職したのち松井さんと……今は石川さんだけども、結婚まで至って、子供もできた僕。

 あの日したUターンのような駆け下りが、まさかこんな形になるなんて、当時の僕は思っただろうか。

 いや、それはないか。

 でも、まあ、引き返す先に、こんな幸せがあるのも、いいんじゃないかなって。今は思うんだ。

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逃げちゃった僕と、追いかけてくれた君と、 白石 幸知 @shiroishi_tomo

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