あの日の約束

秋野トウゴ

あの日の約束

「昨日、洗ったばっかりだったのに」

 真っ黒に汚れた愛車のアルトを見て、俺はため息をつく。

 桜島の火山灰のせいだ。

 後部座席のドアを開き、ハンディーモップを取り出す。

 幸い、雨交じりではないので、たいていの灰は走れば吹き飛ぶ。

 けど、フロントガラスに灰が積もったままだと、視界が悪くて危ない。

 だから、ワイパーを上げて、灰を落とした。

 毎度のことながら、面倒くさい。

 でも、帰ってきたって感じはするな。


 俺は、地元の大学を卒業後、東京で職を見つけた。

 IT系の中堅企業。

 別に仕事内容に文句はなかった。

 待遇だって悪くはなかった。

 でも、何でだろう?

 考えてみたら自分でもよく分からない。

 何となくとしか言いようがないけど、6年勤めたその会社を辞めて俺は地元にUターンしてきた。


 車に乗り込むと、カーラジオの電源を入れる。

『今日は懐メロ特集です。どしどしリクエストをお寄せください』

 女性パーソナリティの声が聞こえてきた。

 俺が向かうのは、ハローワーク。

 Uターンしてきたのはいいけど、まだ仕事は決まってなかった。

 世間では人手不足なんて言われてたから、すぐに仕事が見つかるだろうと高を括っていたのだが、地方をなめていた。

 確かに求人はあるにはある。

 けど、地雷臭のするものばかりで、なかなか面接を受けようって気にもならないでいる。


 赤信号で車は止まる。

 ラジオに意識を戻すと、俺が大学生のころに流行っていた曲が聞こえてくる。

 5人組のアイドルグループ。2、3年前に解散したってネットのニュースで見た。

 しかし、大学生のころの曲が『懐メロ』か。

 俺も年を取るわけだよな。

 

 そう言えば、


 あの頃、約束をしてたよな。

『30歳までお互い独身だったら、結婚しようね』


 大学で同じ学科だった早田ちなつ、と。

 彼女と最後に顔を合わせたのは、大学の卒業式の日だった。

 

 信号が青に変わり、俺はブレーキペダルに置いた足をアクセルに移す。

 ハローワークが見えてくるが、俺はそのまま車を加速させる。

 車を左折させて、国道に入る。

 そのまま北にしばらく進むと、緑色の看板が目に入る。

 駐車場に車を止め、そのファストフード店に入った。


 窓際の席に座り、アイスコーヒーをずずっとすする。

 苦い。

 シロップを垂らしていると、目の前に人の気配がして顔を上げた。

 そこに立っていたのは、さっきふと思い出した早田ちなつ。


「久しぶり。……ってなんでそんな変な顔してんの?」

 あの頃と変わらない声。少し身を屈めて俺の顔を覗き込んでいる。

「まぁ、いいや。ちょっと待ってて」

 そう言うと、カウンターの方へ向かう。

 俺の都合も聞かずに、行動するのも変わってない。


 そんな早田はすぐに、ホットコーヒーを手に戻ってきた。

 目の前に座りいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「ねぇ、ちょっと手、見せて」

「なんで?」

「いいから、早くぅ」

 あぁ、そうだった。

 早田の強引さに俺が逆らえたことなんてないんだ。

 俺は右手を上げて見せる。

「違う、違う。そっちじゃなくて、左手」

 何で? と、聞いても「とにかく見せて」なんて言われるのは分かってる。

 だから、俺は素直に左手を見せる。

「ふ~ん。そっか」

「何?」

「結婚、してないんだ?」

 約束を思い出してドキリとする。

 それを見透かしたかのように、早田は言う。

「約束、覚えてる?」

「……覚えてるよ」

 動揺を悟られないように、俺はゆっくりと言葉を発した。

 早田は俺の顔をじっくりと見てから口を開く。

「忘れていいからね?」

「何で?」

 思わず立ち上がり大きな声を上げた俺に周りの客から視線が集まる。

「すいません」

 静かに言い、俺は腰を落とす。


 目を上げると、そこには誰もいない。

 分かっていた。


 そう、今日はお盆。

 死者の魂が現世に戻ることを許される日。

 きっと、早田はUターンしてきてくれたんだろう。

 ふがいない俺を励ますために。

                                (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの日の約束 秋野トウゴ @AQUINO-Togo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ