出雲品其之壹 宮下弥美影孝 之巻
奥州の短い夏の日差しの中、彼らは産まれた。産まれた子は二人。畜生腹だった。これを良しとしなかった双子の父、当時の
天正十年、麦もたわわ、小満の日。奥州の小さな武家屋敷にて、兄、
『景』は、景色、景仰、景福の『景』。日の光の当たる所全てを見渡し、高貴なる姫君を娶り、
『影』は、影供、影従、影武者の『影』。日の当たる場所には必ずそれを遮るものがあり、その暗がりの中には鬼だの蛇だのが出る。それを退治し、『ヒカリ』を守ることが使命であり、産まれた意味。美しい物で溢れた
そして二人は、
「うわあああっ!」
「温い! 温いぞ
「申し訳ありません、
「やらぬ。当代の
「お願いします! 一日でも早く、某は一人前のつわものにならなければならぬのです!」
「やらぬ! 貴様にはまだ真剣を持つのは早い! 兵法も碌に学んでおらぬではないか!」
すると
「某は確かに、未熟者であります。なればこそ、
「…………。ふん、態度だけは一人前か。太刀が震えておるぞ、
「し、心中善なれば、武芸は人を助け、世を平穏と致します。故に己を完成させる努力をしなければならないとは、
「…………。やれやれ、業が深いと言うものよ」
そう言って、女は持っていた木刀で太刀を弾いた。パッと
「太刀も握れぬその手を傷つけるとは何事か! おい、
傍で木刀を振っていた
「この近辺で、大樹がある森はあるか」
「はい、城の裏に、薪用に栽培している森がございます」
「宜しい。
その日から、二人の修業は分かれた。技術も腕力も、
どこかで倒れ、死んでしまえば、或いは壊れてしまえば、この子は影武者として生きる道を閉ざされる。武士としては恥だろうが、分家としてだって、
天正十八年、
鍛錬を終えた
「
「産褥が明けてすぐにいらして頂いたので、あまり時間が取れなかったのです」
「そうか、跡継ぎが生まれたんだったな。
「作用にございます。……それに、
「実に頼もしい。最近この東山道の各地で、反乱の種が撒かれていると草の者どもから聞いている」
「ご安心くださいませ。この
「だが無理はするな。お前のことを、私は軽んじたことはないと言うことを忘れるな」
「有難きお言葉にございます。……では、滝行に行ってきます」
成長しても、
「
草分けとして生まれた自分が、同じように草分けとして戦に出る。その天命に付き添う姫などいない。例え
……――嫉妬しない訳がない。影に、妻はいらないのだという当たり前のことを受け入れられない。まだ
だがその呪いにも似た願望が、叶ってしまう時が来る。
天正十九年、
その直後、時の覇者に向かって大規模な一揆が起こった。
「おいカゲ! 伝令だ、少し戦線を抜けろ!」
難攻不落の城を攻略していた時、こっそりと
「どうしましたか、
「直接聞くか? 拙僧の降霊を解除して、そいつを入れる」
「誰でしょうか」
「
今回の一揆で、覇者軍側の様々な城も襲われていた。
「影さま!
「何?
「まだ城の内部までは……しかし時間の問題です!」
「分かった……。
幸いなことに、
「穿て!
「
「…………
死を間近にしている筈の
「私は…………。お前のように、兵を、指揮することは……。出来なかった、よ………
「なりません
「………………」
何か言ったような気がした。だがそれも全て聞こえなかった。もう何も見えない、と、
「いや……いやです
「
極楽へ旅立とうとしている兄の邪魔をしてはならない。自分は影武者。『本体』を失ったとしても、やらなければならないことがある。力ない掌を握り、
「お約束します。貴方の遺したもの全て、この
「しかと聞けいこの戯け者共! 天より遣われしこの城が落ちることはない! 祖の怒りここに極まれり、然らば去ね! さもなくば死ね! 薙ぎ払えェ!
その
天正十九年皐月の月、二十日。
同年神無の月二十一日、
慶長五年。葉月の終わる頃。
「そう言えば
「拝見しても?」
「ええ、貴方宛てのようですから。……まあ、
句は二句あった。一つは
『仇花の 実付ける時其は 散ぬる時 鳴る神と共に 実を結ぶべし』
『みなわなす 命と知りて 咲く花は 椿の姿に似て 君は安し』
字は震え、ところどころ滲んでいたり、文に不自然な歪みがあったりしている。自惚れでなければ、二人は少なくとも自分の出陣を惜しんでくれていたのだろう。影武者として生涯を捧げなければならない自分のことを、あの方はいつも案じてくれていたのだから。
「
「はい、何でしょう」
「月白に 日出ずる城の 草影に 出でて還らん 天命の花」
小首を傾げて、
「私も、辞世の句を詠んでいました。…………お伝えすることは、叶いませんでしたが」
「
「ありがとうございます。……
慶長五年長月の月十五日濃州。
戦は東と西に分かれた総決戦であり、勝ったのは東。そして
劣勢だった東軍と、優勢だった西軍は、東軍総大将の采配で大逆転した。勝つるべきは今、一気に畳み掛けていく、正にその激戦地で、
七日七晩、馬が過労死しようとも、馬に門守の霊を入れ、碌に休みもせず走り続けた。
門守に寄れば、濃州で戦が始まった正にその日、一人の剣客が、
城にたどり着いた時、下男も女中も、誰一人として頭を持っていなかった。まるで何かの呪いのように、綺麗に頭だけを切り落とされている。戦場に必ずと言っていい程出る悪鬼の類ではない。この者達は、包丁だろうと熊手だろうと、剣客に立ち向かったのだ。だが無念にも、自分の身を守る事すら出来なかったのだろう。血の臭いはまだ固まっていない。天守閣に行く階段の途中で、師範代が仰向けになって倒れていた。首は繋がっている。
「師範代! 大丈夫か、何があった!」
だが遅かった。師範代を抱き起こすと、ごぽり、と、血が口から溢れ、そして、重みで首が捥げた。身体はまだ温かい。間に合うかもしれない。階段を駆け上る。
そこでは激戦が繰り広げられたのだろう。畳は何枚も外れ、調度品は全て真っ二つにされている。血だまりは広がり続け、あと一歩、半刻でも早ければ、と、死者たちの未練が渦巻いていた。
「
奥の部屋まで進むと、そこには
「
「…………
震える指先を包み、きつく抱きしめる。刃は
よろず屋(Kindle版試読) 菊華 紫苑 @s-kikuka
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