楽しいお料理配信

すぐり

楽しいお料理配信

 どうしてこの配信が目に止まったのか、なぜ今でも見続けているか自分でも分からない。片手に持った小さなディスプレイに浮かぶ映像と、イヤホンを通じて聞こえる当たり障りのない声。

 普通だ。

 画面の向こうで喋っている人物が、目の大きなウサギのキグルミを被っている以外は。

 頭部だけはウサギで、首から下は生身の人間。真っ黒なパーカーから時折細い首が覗く。

 僕がこの生配信を見始めたときは、ちょうど細長く繊細そうな指先を画面に向けていたのが記憶に残っている。

 画面の向こうの人物が動くたびに、後ろに飾られた一体のフィギュアが目に入るのだ。それは僕の大好きなゲームのキャラクターで、自分のうちにも飾っている。もしかしたら、僕がこの配信を見るきっかけはこれだったのかもしれない。

 そう、趣味が似ているから。

 好きなものが一緒だから。

 そんな共通点を見つけて、僕は勝手に親近感を抱いていたのか。自分のことながら単純な奴だなと笑う。


 顔を上げると電車の中のモニターが目に入る。その小さなモニターの中では、異常気象や最近多発している行方不明者、病気のウイルスが蔓延しているというニュースが絶えず流れていた。

 そんな嫌な現実から目を逸らすように、僕は再び配信画面へと視線を戻す。

 最寄り駅の改札を抜け、家へと向かう帰路の途中、僕は夢中で配信を見続けることにした。切れるような冷たい風の音と枯れ葉の匂い。たった一週間の旅行だったにも関わらず、駅からの変わらない街並みに安堵する。

 画面の向こうでは、包丁にまな板、香辛料を並べ、今日のメインテーマを発表している。どうやら肉料理を作るようだ。紹介されていた包丁は、黒光りする刀身が格好良く、切れ味も良さそうに見えた。帰ったら調べてみようか、ちょっと欲しいかも。

『それじゃあ料理を始めまぁす』

 気の抜けた声が画面から聞こえる。

『まずはこのお肉。モモ肉なんだ。真っ赤で綺麗でしょ? ただちょっと硬そうだけど、それは仕方ないね。うん、下味を付けていくよ』

 ウサギは小さなフォークを取り出し、何箇所か肉にフォークの先端を刺していく。フォークを振り下ろすたびに、弾力のある肉の表面が、少し抵抗を見せてからその銀色に輝く先端を飲み込んでいく。

『こうするとね、味が染みやすくなるんだよねぇ。楽しいなぁ』

 あぁ、良いな。楽しそう。

 少し小ぶりのモモ肉に、塩、胡椒を振りかけ丁寧に叩く。それから、机に並べられた香辛料を端から少しずつパラパラと散らしていった。

『これがナツメグ。こっちがガーリックパウダー、そしてローズマリー』

 不思議なことに香辛料の名前を読み上げるのを聞いているだけで、良い香りがしてくるようだ。

 あぁ、お腹が空いた。

 画面から目を離すことなく、よたよたと周りの迷惑になりそうな歩き方で進む。幸い田舎なので、道は広いくせに人がいなくぶつかる心配はほとんど無かった。

 視界の隅に見える黄色い点字ブロックに沿って真っ直ぐ進むと、周囲の家からカレーや肉じゃがの美味しそうな香りが、一帯に漂い始める。

『このお肉はお休みさせて、次のお肉を出すね。次はねぇ、これ』

 その声と同時に出てきたのは、ニ、三種類の肉が載った皿。

 真っ白な皿に、肉の赤が映える。

『これがボタン。こっちがモミジで、これがラムだね。ラムといえば、レッドラムなんて単語が出てくる小説があったっけ、映画化したやつ。あっ、あれはラムじゃないんだっけ? フフ、フハッ。ウサギさんね、あの小説好きなんだよねぇ。ゾワってしてさ』

 小刻みに頭を揺らしながら笑い続けている。

 こいつは何を言ってるんだ。

『ラムはジンギスカンで、ボタンとモミジは鍋にしよう。そうだ、ボタンとモミジはそれぞれ、猪と鹿のことを指してるのは知ってるよね? 今ではジビエの代表的な食材だ。ジビエなんてフランス語で格好良く言ってるけど、要は狩りで獲った食材のことさ。ウサギさんもね、気を抜くと狩られちゃうんじゃないかって、毎日ビクビクしてるんだぁ。ビクビク、ビクビク。フフ、フヘヘヘ。ビクビク』

 ジビエってそういう意味があったんだ、知らなかった。このウサギは、動きだけは気持ち悪いが、喋っている内容はまともで、色々とギリギリの境界を漂っている感じがする。

 この危なさが目が離せなくさせているのだ。


『怖いからねぇ、ウサギさんも狩りをするんだよ。こうやって――』

 そう言うと両手を広げてから、エイっと声を出し、首元へ包丁を当てる。僕は思わずディスプレイを握り締め、画面に顔を近づけた。

『なんてね、刺したと思った?』

 よく見ると細い首には傷一つ無い。

 僕は溜め息をつく。なんだ、刺さってないのか。

『みんなはこんな危ないことしちゃ駄目だよ? 包丁は食材に対して使おうね。さてさて、ここからは野菜を切ろう。鍋はお肉だけじゃつまらないからね。じゃあちょっと待ってて』

 ウサギは立ち上がると、音も無く静かに画面外へ消えていった。

 台風が過ぎ去ったあとの、何もかもが消え去った夜中のような静けさが広がる。

 その静けさが、再び僕に空腹感を思い出させる。漂うカレーの複雑な香りや、焼き魚の香ばしい香り、そして味噌汁の優しい匂い。

 僕は車が一台も通らない横断歩道で、信号の色が変わるのを待つ。さっきまで見ていた肉よりも人工的な赤は、夕日を背に輝いていた。


 乾燥した冷たい風が火照った体の熱を攫う。落ち着いてくると、さっきまで配信に夢中で忘れていた様々なことが、湧き出るように思い出せてくる。

 黒に近い赤とオレンジ、その境界を丁寧に描く作り立てのミネストローネみたいな空が遠くまで続く。その中を横切る二羽の鳥が、振りかけられた胡椒の粒のようにゆらゆらと、赤の中へ溶けていった。

 そうだ、忘れてた。

 僕は急いでメッセージアプリを開き、既読のマークを付けたまま放置していた、細長い吹き出しを確認する。

『おかえり!今日帰ってくるんだよね! 今夜は何食べたい??』

 届いていたメッセージは彼女からのもので、今日の夕飯についてだった。

 さっきの配信のせいだ、ローストビーフが食べたい気分。

 こんな時間だ、多分駄目だろうと思いながらも、『ローストビーフ』の文字を打って送信ボタンを押す。その後に『鍋も良いかな』と一言添えて。

 送ったメッセージはすぐに既読の二文字が付き、返信が返ってくる。

『ちょうど良かった!大丈夫、任せて!』

 その言葉に嬉しくなり、緩む頬を隠さず歩き出す。青になった信号もどこか元気良さげだ。

 足取りは軽く、気分も軽く。

 スフレのようになった僕は、いまでも浮かび上がれそうな気持ちになる。

 彼女とは同棲を始めて二年。最初は食事の当番制とか、掃除の分担とかが難しそうに感じていた。そんな僕でも今では自然に生活できている。

 顔は可愛いし、柔らかな肌に綺麗な手足。掃除も料理も僕とは比べ物にならないくらい上手で、本当、僕には勿体ないくらいの女性だ。魅力的過ぎて、こういうのが食べちゃいたいくらい可愛いって言うのだろうか。

 幸せの味はどんな味か気になるところだ。綿飴のように甘く、夢のように溶けてしまうのだろうか。


 伸びた電柱の影を踏まないように、軽い足取りで一歩を踏み出す。幸せを想像しながら――。

 遠くで響く消防車の警鐘に振り返ると、民家に反射する赤い光だけが見える。誰かの生きている光だと思った。

 僕はその光に背を向け前を向く。足元を見ると、いつの間にか電柱の影の中に立っていた。

 うまくは行かないものだな。子供っぽい挑戦も失敗し、一人笑いながら歩き出す。

 浮かれていた時間は一瞬で過ぎ去るもので、突然、足に錘を付けられたみたいに体が重くなる。

 イヤホンから忘れかけていた声が聞こえた。

『おぉまたせぇ。待ったかな? 待ったよね?』

 バックグラウンドで起動したままのアプリには、気持ちの悪い抑揚をつけた喋りをするウサギが再び現れていたのだ。

 急いで画面を確認すると、手には色彩豊かな野菜が綺麗に並べられた籠を持っている。どれも瑞々しくて美味しそうだ。まるで今収穫されたかのように。

『美味しそうでしょ』

 ウサギは木製の大きなまな板の上に長ネギを並べ、丁寧に包丁を下ろす。

 トン、トン、と一定のリズムで響くまな板の音。

 サクッという野菜の切れる爽やかな音。

 大きさの揃った野菜、一度も乱れることなく聞こえてくる音には、悔しいけれどウサギの技術を突きつけられているような気分だ。聞いていてとても心地が良いし、見ていても惹きつけられる。

 最後に籠から椎茸を取り出し、慣れた手付きで石づきを切り落としてから、傘と軸とに分ける。

 傘に撫でるように包丁を当てると、抵抗なくあっという間に綺麗な十字の線を描く。

『フフ、やっぱり包丁の切れ味が良いって幸せだよね。切り口を潰さずに切れるって、料理を作る側から食材への敬意だよ。食材になってくれた命への贖罪だ……なんてね。フフフ、フヒャハハ』

 包丁を持ったまま手を振り大笑いをしている。

 癖なのか、やはり笑うたびに小刻みに体が揺れ、ウサギの大きな頭と人間の体のアンバランスさを際立たせる。

 さすがにそれは不気味過ぎてやめて欲しい。

『ハァ、下処理って大切なんだぁ。みんなは血抜きの工程って知ってるかな。動物の体から血を抜き取る工程なんだけどね、これを怠るとお肉が生臭くなったり、お肉に血が残っちゃったりするんだ。それで血抜きはこう逆さまに吊るして、首とかから血を全部出すんだよ。想像してみて、逆さまに吊るされて血を流しながら右へ左へ揺れている動物を』

 突然画面をじっと見ながら動きを止めるウサギ。

 その目はうさぎを映すカメラの奥を、直接僕たちを見ているようだった。

『ウサギさんも見たことあるけどね、生き物を食べるってこういう事なんだなって実感するよ。命を奪うんだ、だからこそ美味しく食べられるように迅速に仕留め、丁寧に処理をする。美味しく料理をする。どんなに綺麗事を言ってもね、みんな命を食べているんだよ。動物も植物もみんな生きていて、生き物という点では人間とどこも変わらない。みんな、いくつもの命の上に立っている』

 僕は一息ついて空を見上げる。

 赤かった空は、濃紺に染まり始めていた。消えかける夕日が一日の終わりを描く。

 ついたため息は、白い泡となって空気に溶けた。近くにマンションが見える、家はもうすぐ。

『へへへ、真面目になっちゃったかな。フフフフ、でもね、忘れないで人間のみんな、キミたちもいつか食材になる日が来るのかもって、その気持ちを忘れてはいけないよ。食べるのが当たり前になってはいけないんだ』

 不愉快な笑い声だけが残響となって、いつまでも留まり続けた。


『気を取り直して、そろそろ最後になるかな? 見てみて、このお肉。どこの部位か分かるかなぁ。チックタック、チックタック。分からないかぁ。フヘヘ、正解は、お尻でした。所謂、ランプって部位だね。ウサギさん、ここ大好き』

 赤身肉の塊を画面に写すウサギの声は、今までよりも楽しそうで、その肉に興味を惹かれる。

『シュラスコとかステーキとかで食べたいよね。そうだなぁ、ここはステーキにしようか。塩胡椒だけで美味しく食べよう』

 大きな肉の塊に包丁を入れ、レンガほどの大きさに切り分けていく。

 弾力のある肉が包丁に対し、僅かに抵抗を見せる瞬間。

 塊が滑らかに切られていく瞬間。

 包丁の切っ先から刃元までを咥え、無抵抗に切られる瞬間。

 そのどれもに僕は興奮していた。

『こんなところかな。調理してくるからちょっと待っててね、そろそろこの配信のメインディッシュだ。丁寧に準備したんだ、喜んでくれると嬉しいなぁ。勿論喜んでくれるよね』

 ウサギは画面に向かって細長い指先を突きつける。

 このポーズ、僕が配信を見始めたときと同じ格好だ。

 そんなことを考えながら僕はマンションのエントランスへと入る。久しぶりの自宅に、安心感と疲労感が我先にと押し寄せる。

 ボタンを押してすぐに開いたエレベーターの扉へと乗り込み、徐々に変化するデジタル数字を眺めた。

 寂しげな電子音とともに扉が開く。

 もうすぐ玄関だ。

 手元の配信では、まだウサギは戻って来ていないようだ。料理も気になるし、メインディッシュも気になる。

 なるべく画面から目を離さないようにゆっくりと歩き、玄関の鍵を開けた。

 ただいまと気分良く言いながら部屋に入ると、肉の焼ける良い匂いが部屋の奥から香ってくる。

『ただいま』

 これは幸せな匂いだ。

 本当にローストビーフを作ってくれたんだな。

 リビングの扉を開き、部屋へと足を踏み入れる。その瞬間、手元の画面に人影が入り込む。

 これがメインディッシュか。僕は立ち止まって、その影を凝視した。よく見るとその人影は、下を向いて手元の何かを見つめている。

 わずかに見える横顔は疲れたような男の顔だった。もしかしてこの顔――。

 僕は画面から顔を上げ部屋を見渡す。

 少しレイアウトは変わっているが確実に僕の部屋。

 最初に目に飛び込んだのは、今まで部屋になかったカメラのついた厳つい三脚。その手前には僕の好きなフィギュア。机の上のPCには、手元のディスプレイと同じ映像が流れている。

 そしてカメラの向こう、レンズの奥には大好きな彼女が左右に揺れていた。

 急いで彼女の元へ向う。カーペットに足が取られ、三脚を倒して、机に足をぶつけながらも無我夢中で進んだ。悪夢のようにどれだけ足を動かしても進む気がしなかった。何とか辿り着く。こんなに短い距離なのに息が上がっていた。

 目の前には真っ白な脚と、部分的に赤く剥き出しの太腿。

 体から力が抜け、膝から崩れ落ちた。蹲るように頭を床につけ、現実から目を逸らそうと必死に首を振る。

 何度も、何度も否定するが、視界の隅に伸びる黒い髪が希望を絡めとり、目の前の現実を見せつける。前を向けと脅しつけているようだ。

 ゆっくり顔を上げると正面の彼女と目が合う。

 血の気の引いた青白い顔。

 赤黒く汚れた首元。

 彼女が揺れるたびに、長い髪が床を撫でる。

 もうやめてくれ。

 なんだよこれ。

「どうしてこんな事ッ」

 どうして……。

『どうしてこんな事ッ』

 イヤホンの外れていたディスプレイから、自分の大声が聞こえる。その声を配信のカメラが拾い上げ、何度も何度も自分の声が出力され続ける。

 倒れたカメラはカーペットと壁しか映していない。その中にリフレインする自分の声。良い加減、自分の叫び声が滑稽に聞こえてきた。

 強く握った手のひらに爪が刺さる。

 もう一度彼女を見上げ、綺麗に切られた傷口を指でなぞる。

 この湧き上がる一番大きな感情は――。

 怒りでは無い。

 悲しみでも無い。

 これは――。

 嫉妬と羨望だ。

 あぁ、羨ましい。


 配信画面の端から誰かが歩いてくる。今では足元しか撮影出来ないカメラは、誰を映しているのか。

 姿は見えない。でも、そんなこと見なくても分かる。

「どうかな綺麗でしょ。喜んでくれたかなぁ? キミとは趣味が似てると思ってね。ウヘヘ、そうだローストビーフじゃないけど、似たようなものは作ったからさ、食べてよ。ねぇ。フヒヒ、鍋もあるんだよ。ほら残さないでね、食材には感謝しないと。ヘヘ、ハハハ」

 部屋中を肉の焼けた良い香りと、耳障りな笑い声だけが支配した。

 そういうことだったのか。

 あぁ、最悪だ。こんな状況でもお腹は空く。

『ハハハ――』

 配信はまだ止まっていない。

 そうだ、後でウサギの捌き方を検索してみよう。

 そして生配信してみよう。

 血抜きの工程から全てを――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

楽しいお料理配信 すぐり @cassis_shino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ