山代武光の民間信仰奇異記録 《井乃首村神事~ヒドリノタカサイ~》

火ノ島_翔

山代武光の民間信仰奇異記録 《井乃首村神事~ヒドリノタカサイ~》

 ――――ピロリロリーン


 とある大学の研究室に電子音が響いた。一人の男が机の上に伏せてあったスマートフォンを手に取り、通知を確認する。


「おっ……珍しいな」


 黒髪を軽く七三に整えた男は通知をタップして届いたメールを確認する。彼は自分の研究室の自分の椅子に座りスマホを操作している。


 机の上には


『山代 武光(やましろ たけみつ)准教授 民間風土文化論みんかんふうどぶんかろん


 と書かれたネームプレートが置かれている。


 彼の専門は民間風土文化論である。これは土着の文化や民間の信仰についての研究を行うもので、古書やフィールドワークを通して、どのような土地や経緯でそのような文化が生まれたのか研究考察するというものである。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆

 面白そうな本があったからそっち送っとくぜ。なんか古い神事についての本っぽいけど、師匠に聞いたら、もういらんそうなので安心してコレクションにしてくれたまえ。

 追伸・これでこの間の借りはチャラだかんな

 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 その友人とは土着の信仰について現地取材をしている時に出会い、色々あって今も仲良く情報交換などをしている。そしてその友人は高名な霊媒師れいばいし……のお弟子さんだ。専門は御祓おはらいや祈願、人生相談や愚痴聞き相手とのこと。彼は民間信仰の研究をする上で有用な話をよく知っているため、取材として一緒に山や廃墟に行ったりして、ときに助け合うような仲である。


「どんな本が来るのやら……楽しみだな」


 大学准教授 山代 武光 は子どものように目を輝かせるのであった。



 数日後……


 研究室に一冊の本が届く。とても古く、薄褐色うすかっしょくをした歴史を感じさせる見た目であった。


 武光は知らない知識を得られるかも知れないという期待でついつい微笑んでしまう。机の引き出しから白手袋を取り出し着用する。人の皮脂というものは古書の大敵なのだ。


 白手袋をした手が古書の表紙を撫でる。


「これは……解説書……伝書かな?」


 表紙には墨筆で


井乃首村神事いのくびむらしんじ~ヒドリノタカサイ~』


 と書かれていた。


 古書を手に取り読み始める。すると何故か鼓動が早まり手汗が出てくる。いくら興味があるとはいえ、特に目につく情報もないうちからこんなにも興奮したことは今まで無かった。武光は手汗が古書に染みる事を懸念して古書を置いた。


 なにかに引き寄せられるように興味を持った彼は、この民間神事について調べることに決めた。



 数日後……武光は山奥の森の中にいた。


 古書が届いたあと、表紙にあった『井乃首村』について調べ、現地調査をすることにしたのだ。


 電車とレンタカーで数時間。朝早く出発したが既に時計の針は午後3時を過ぎていた。


 山道に入り、車で行ける限界まで進もうとレンタカーを走らせるが


 ――ガゴンッ!!!


 異音がしたため停車し、確認するとバンパーが微妙にへこんでいた。


「あぁ……これは追加料金が発生するやつだなぁ」


 森の中で一人呟きながら道ならざる道を確認する。獣道ですらない。武光は覚悟を決めてそこからは徒歩で目的地に向かった。


 1時間ほど歩くと、スマホのナビは目的地である井乃首村を指していた。


 周囲を少し探索すると、石垣いしがきの跡や、段々畑であったであろう土地の名残が見られたが、現在は完全に森の中であった。


 数時間の調査では建造物や彫刻など歴史的遺物は見つからなかった。


 そろそろ帰るかと思い始めたとき、友人からメールが来た。


 歩きながらスマホをタップしてメールを確認した瞬間ナニカにつまずく。


 ふと前を向くとそこには朽ちた井戸があった。


 その井戸を覗くが、内部埋まり、崩れかけの石山のようである。


 辺りが夕焼けに染まってきたため帰ろうとスマホを見ると圏外となっていた。


「おかしい……ついさっきメールが来たときは3本アンテナが立っていたはず」


 違和感を覚えながらも先程届いたメールを読んでいなかったことに気づきメールを確認する。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆

 スマン!あの本なんかやっぱヤバい情報載ってるみたいだから気をつけろ。

 師匠いわく師匠の師匠……大師匠様が担当した事案で集めた書物だったんだけど、まぁその事案が呪具の御祓だったみたいでよ。『井乃首村いのくびむら禍祭具かさいぐ』とかいうやつの御祓をしたんだってさ。で生贄とかしてた村の呪具でその神事についての本がアレだったみたいなんだよね。師匠から聞いた話をまとめると


『800年ほど昔にあった井乃首村には土着の守り神というものがいて村人はそれをあがたてまつっていた。その祭事は数年に一度、生まれたばかりの新生児を神に捧げる、生贄にするというものであった。その時に使われていた祭具が60年前に見つかって、不幸振りまいたあげく霊媒師れいばいしの大師匠様のとこに来た』


 大師匠いわく、強く純粋な恐怖と苦しみの念が憑いた呪物だったらしいぜ。


 師匠もその場にいたらしく当時のことを教えてくれたが、御祓おはらいをした時に、師匠以外の弟子二人が気を狂わせて数ヶ月入院したんだってよ。


 まぁ最終的に俺は大師匠の弟子の中でも最強だという自慢話を延々と聞かされて苦笑いよww


 追伸・まぁアンタは近いうちに現地に行くだろうから忠告しておくが、井戸には近づくなよ。生贄の儀式は”井戸に生まれたばかりの赤子を投げ落とす”らしいからな。呪具も古井戸に付いてたらしいからな。ま、井戸を見つけたら逃げたほうがいいぜ。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 メールを最後まで読み、スマホから視線を上げると……夕焼けの森は様相を変えていた。


 空は血のように赤くに染まり、暗く不気味な視線と重圧を感じる森の中であった。


 ふと、武光は背筋に冷たさを感じて振り返る。


 数メートル先にあったはずの古井戸は姿を変え、見ているだけでそちらに呼び寄せられるような、吐き気と目眩めまいがするような奇妙な雰囲気を放つ薄汚れた井戸になっていた。


 武光は、井戸から重苦しい気配が溢れだしているのを感じ一歩後ずさった。同時に背後に冷たい壁を感じる。勢いよく振り返るとそこには石積みの壁が高くそそり立っている。


 はるか上方には丸く空に穴を開けたかのような明かりが見える。


「なんだ……いやっ!ここはっ!」


 一瞬なぜ森の中に高い石壁が立っているのかと理解できなかったが数秒で現状を把握した。


 森の中の開けた場所、井戸の側に立っていたはずが、振り返ると井戸の底にいた。


 武光は、また振り返るとそこにも石積みの壁、いや井戸の底だろう。だがそれは先程見ていた井戸のような広さではない。


「コレは、さっきの井戸に落ちたわけではない……か?」


 周囲の広さは8m程度だ。


「さっきの井戸の内径はおそらく2m前後だったはず。およそ4倍か……っ!」


 すこし考え主人公はビクッとして恐怖に顔を染める。


 そして自嘲じちょうするようにフンッと鼻を鳴らし


「……なるほど、俺が新生児ぐらいだったらこんな景色だろう……な……」


 胸の鼓動が早くなる、目眩めまいと顔のほてりを強く感じ、足がぐらつく。足元の土から水が染み出し、泥となっていた。


 奇妙な歌がはるか上方の穴から聞こえてくる。


 祭り事……神……捧げ……奉唄ほうしやう


 足元の泥はとどまることなく溢れ、くるぶし、すね、へと急速にまとわりつく。


「記憶……か」


 強い想いや感情は物に宿ることがある。この場所は、その最たるものであろう、土着文化や民間信仰について研究し大学で教鞭きょうべんをとる武光は瞬時に察した。



 ――――コレは生贄にされた新生児たちの記憶だと



 ヘソの緒が残されたまま、経験も感情も未発達のまま井戸へと投げ入れられる。



 暗闇の底に沈む強い恐怖。


 冷たい水の刺すような痛み。


 呼吸できず生まれてすぐ死へ向かう苦しみ。



 ――ンギャァァッ!


 赤子の声がこだまする。響き渡る。悲しみですらない原初の叫びが。



 ――オギャァァ!ンッ……ギャァァッ!


 狭い石の壁に反響し、慟哭どうこくなげきは意味を持たず。


 純粋な響きは共鳴スル……救いを求めて。



 ――バシャンッ!……ピチャ……ピチャン……



 ソノ声は誰にも届かず、冷たき泥の底へと沈む。


 仄暗ほのぐらい水面には、もうなにも響かない。




「ッカハッァァァ!」


 主人公は頭を上げ勢いよく息を吸った。まるで数分間息を止めていたかのようだ。


 顔からは脂汗がにじみ心臓は猛烈な速度で脈動している。


「ここは……」


 周囲を見渡すと元の姿の森があった。


 空は夕焼けをから薄暗い灰色へと変わっていた。


 振り返ると、そこにあったのは朽ちた井戸であった。


 武光は電波の戻ったスマホを頼りに車まで全力で戻り帰路につく。


 そこから記憶はあまりなく、その夜は大学の研究室に泊まることにした。


 机の上にある缶コーヒーとレンタカーの補修追加料金請求書を見て一息つく。そして即座に友人へとメールを送る。今回体験したことと一応の御祓おはらいというか霊的なのがついていないか見てほしいということ。


 1週間後に会うこととなりその日は研究室のデスクで眠りに落ちた。



 後日例の書物をよく調べてみると


 ヒドリノタカサイ


 とは


 日取ノ髙祭ひどりのたかさい


 と漢字の読みであることがわかった。


 読み進めてみるとその神事の意味が解説してあった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆

「日」とは、明かり輝かすものなり、宝であり最もとうときものである。生まれたばかりの汚れなき赤子を指す。

「取」とは、取り上げる、無事に生まれた赤子、奪い取ることを示す。

「高」とは、高める、現世うつしよから常世とこよへ土地神の側仕えとして昇華させることを示す。

「祭」とは、神事である御祭事ごさいじであり、神に関わる重要なものであることを示す。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 武光は古書を静かに閉め研究机へと置いた。


「ハッ、どりもっとも、たかいと合わせたら”最高さいこうのおまつり”とは……なかなか洒落しゃれてるじゃないか……ふんっ」


 少しの嫌悪けんおと使命感を心に抱きながら、パソコン開きキーボードを打ちはじめる。


 武光は、少しの肩の重さを感じながらも、今回の出来事を客観的に文献ぶんけんとして、学術論文としてまとめるのであった。

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