わたしにユウキを、あなたにアイを
稀山 美波
秘めた愛、伝える勇気
夏だ。
これ以上があるのだろうかという程の、夏。
肌と目を焦がしかねない日差しがグラウンドに降り注ぎ、ゆらゆらと空気が揺らめいてるのが窓から見える。締め切った教室内だというのに、油蝉の声はやかましい。七日しかない生を、鳴き続けることに費やして虚しくならないだろうか、だなんてつい思ってしまう。
「アイ。なに呆けてるんだよ」
外を眺めながら、机に肘をかけて頬杖をついて夏の暑さを恨めしく思っていたその時、私を呼ぶ声と肩を叩かれる感触があった。甲高く澄んだ声と、細く柔らかい手の感触に私は思わず体をびくつかせてしまい、頬に置いた手のひらがずるりと滑った。
「窓の外なんか見てさ、余計暑くなっちまうよ」
私の名を呼んだ張本人はそう言って、肩をすくめてみせたかと思うと、手を団扇のようにして顔を扇いだ。暑い暑いと愚痴をこぼすその口周りには、玉のような汗が滲んでいる。大きくはだけたワイシャツから、ちらりと白く澄んだうなじが見えた。
セクシーと称しても遜色ないその姿に、私はしばし魅入ってしまう。はっと我に返った私にできたのは、しどろもどろにその人物の名を呟くだけだった。
「ユウキ」
ユウキ。
外で照っている太陽みたいに、明るい人。
夏に咲く一面の向日葵よりも、暖かい笑顔の人。
ユウキ。
私の、大好きな人。
「おう、ユウキだよ。なんだよぼーっとしてさ、暑さにやられちまったか?」
私の大好きな人は、私の大好きな笑顔で、茶化したように言ってみせる。この時のユウキの笑顔が、私はたまらなく好きなのだ。毎日この笑顔を見せてくれるのなら、窓際の席でアンニュイな雰囲気を醸し出しているのも悪くないかもしれない。
「アイには似合わねえな、あはは」
前言撤回。もう二度としない。
「……もう知らない」
「わ、わ。悪かったよ、機嫌なおせって。な?」
わざとらしくぶっきらぼうに返事をする。茶化した私が不貞腐れた風に返事をすると、ユウキは決まって『機嫌なおせって』と言いながらあたふたとする。この時のユウキの表情が、私はたまらなく好きなので、大して拗ねていないときもわざと不貞腐れてみるのだ。
「で、何の用?」
慌てふためくユウキの可愛らしい姿も見れたので、満足した私は本題へと入る。どこか上機嫌な私にほっとしたのか、ユウキはいつもの笑顔に戻って、私の机に腰かけた。
「あー、あのさ。今週のさ、日曜さ。祭、あるじゃん」
竹を割ったような性格のユウキにしては、歯切れの悪い言葉が続く。
今週の日曜日、ここら一帯では最大級の祭がある。小さい頃から毎年見ているからピンとこないが、どうやらかなりの規模の花火が毎年打ちあがっているらしい。隣の市はもちろん、他県からもぞろぞろと人がやってくるほどだ。
「あるね、お祭り。それがどうしたの?」
ユウキはいつも、気の合う友人たち数名で祭へ繰り出していたはずだ。きっと今年もそうなのだろう。ユウキと二人でお祭りを回れたらこの上ない幸せだろうなと、思ったことがないでもない。
だけど、私にはユウキを誘う勇気がない。
もちろん、思いを伝える勇気も。
「なあ、アイ。今週の日曜さ、二人で夏祭りいかない?」
とうに諦めた感情を揺り動かす、願っていもいない言葉が、ユウキの口から紡がれた。
「え、え。お祭りを?」
「お祭りを」
「え、え。二人で?」
「二人で」
とても現実のこととは思えず、私は何度も確かめてしまう。そしてそれが事実だと思い知らせるよう、ユウキは私の言葉を復唱した。オウムに言葉を覚えさせているような、なんとも馬鹿げた光景だと思う。
だけどそうでもしないと、これが夢だと、現実ではないと、思ってしまいそうだった。
「いつもの子たちは?」
「ん」
夢ではないと確かめるように、気になったことをしらみ潰しに聞いていく。ユウキは毎年、集団で祭に行っているはずだ。私がそれを尋ねると、心底つまんなそうな顔をして、ユウキは自らの後ろを親指で差した。
「ねえねえ。花火見るときさ、二人っきりになれるスポットがあるんだけど、いかねえ?」
「やだもう、なんかその誘い方エロい」
「俺の家からだと、花火よく見えるんだぜ」
「マジ? めっちゃいいじゃん!」
複数の男女ペアが、きゃっきゃと色めきだっている姿が散見された。彼らは、クラス内でも公認のカップル共だ。その中には、ユウキがいつも連れ立っている子たちもいた。
「奴らときたら、今年は恋人と行くからーってよ。断ってきたんだ。羨ましいことですなあ」
ハッ、とわざとらしく吐き捨てて、ユウキは眉間にしわを寄せた。
「……なんだ」
誘われたのが嬉しい反面、私はすっかりへそを曲げてしまった。
結局、私はただの補欠なのか。そう思わずにはいられなかったからだ。ユウキが私を誘いたくて誘ったわけではなく、ただの穴埋め要因として誘ったに過ぎないと、理解してしまったからだ。
「アイ。勘違いするなよ」
私が不貞腐れると、ユウキは慌ててフォローに回る。
けれども今回は、いつになく真剣な眼差しを私にくれた。普段の陽気で明るいユウキの表情とは違うそれに、私の心臓はビクリと跳ねる。
「あいつらが来ても来なくても、今年はアイを誘おうって決めてたんだ。もう一回言うよ。アイ、二人で夏祭りいかない?」
魅力的かつ誘惑的なその言葉に、私はただゆっくりと頷くことしかできなかった。
◆
日曜までの数日間は、実にあっという間だった。
箪笥から浴衣を引っ張り出し、数十分かけて着付け、鏡の前でくるくると回って妙なところがないかを確認する。髪型もどうしようかと、試行錯誤を繰り返す。そんなことを、毎日していたのだ。
そして、運命の日曜日――夏祭り当日がやってきた。
浴衣の着こなしは完璧だ。髪型も決まっている。化粧も問題ない。
鏡に映った自分のその姿を見て、ふと我に返る。
私は、何を浮かれているんだろう。
この気持ちは、心の奥底にしまっておこうって、決めたじゃないか。ユウキへの愛は、口に出さないでおこうって。
「……いってきます」
「あら、アイ。今年はやけにお洒落に決めちゃって。もしかして彼氏?」
浮かれた気分から一転、現実が私を襲ってくる。
とにかく家を出なくてはと玄関へ向かうと、茶々を入れてくる母親の声があった。女子高生の娘が、夏祭りの日に随分としたおめかしをしているのだ。そう思うのが当然だろう。
母親の言葉に、悪気はない。
けれども、どうしても私の中で沸々とやるせなさや憤りが溢れ出てしまう。
「違うよ」
冷たく言い放って、私は家を出た。
とぼとぼと祭の会場へ向かう足取りは、重い。
私はとうの昔に、ユウキへの愛はひた隠しにしようと決めたのに、ちょっと祭に誘われたからと、この浮かれようだ。
それほどにまで、私の中で押し殺してきたユウキへの愛は、膨らんできてしまっていたのだ。自分でも自覚のないままに、ユウキを愛して止まないのか。
限界が近づいているのが、感じ取れた。
私の胸の鼓動は鳴りやまず、張り裂けそうなほどに膨らんでいる。ユウキへの愛で満たされた心臓が、決壊する音が聞こえてきそうだ。
言おう。言って、しまおう。
振られても、嫌われても、気持ち悪がられても、いい。
この感情を吐き出さないことのほうが、不健康だ。
ああ、神様。
この秘めた愛を伝える、勇気をどうか。
「よ、よう。アイ、待った?」
決心を胸に抱き、待ち合わせ場所で震えていた私を呼び止める声があった。聞き間違えるものか。私が大好きな、愛している、ユウキの声。
二人で祭を楽しんで、花火を見ながら私の気持ちを告白しよう。そう心の中で決めて、私は振り返った。
「……なんか言ってくれよ。似合わねえだろ。でもさ、今日は、アイと二人で祭だからさ」
そこには、普段見慣れないユウキの姿があった。
見慣れた制服姿やパンツルックからは想像もできない、艶やかな浴衣姿。ショートヘヤーながらも、束ねられた後ろ髪にはかんざしが差されている。その束ねた艶やかな髪の下から、白く色っぽいうなじがちらりと見える。
「すごい。すごい可愛いよ、ユウキ――」
「なあ、アイ。今日は……今日だけでもいいんだ。名前で、呼んでくれないかな……」
いつものユウキからは想像もできない、女の子らしい仕草。
さらに鼓動を早くする心臓を押さえつけて、私は彼女に呼びかける。
「……凛子」
私の大好きな人――
「アイと二人っきりだからさ。私もさ……女の子として、見て欲しくて。アイには、一人の女の子として……。あ、あはは、気持ちわりいよな、ごめんな」
私がひた隠しにしてきた、彼女への愛。
それはもう、抑えることも、抑える必要もなかった。
「凛子」
「あっ……」
戸惑う彼女の告白に、言葉はいらなかった。
私は、彼女の手をぎゅっと握る。指と指とを絡め、その繋がりを強くする。俗に言う『恋人繋ぎ』とやつが、私の答えだった。
「アイ……」
ふっと全身の力が抜けた彼女が私にもたれかかり、色っぽい息が耳にかかる。
彼女も、私と同じ悩みに苦しんでいたのだ。女でありながら、女を好きになってしまった、その感情に苦しんでいた。
けれども彼女は、勇気を出して、一歩踏み出した。
はるか頭上で鳴り響く花火のように、感情を爆発させたのだ。
勇気を出したのは、ユウキ――もとい凛子だった。
ならば愛を伝えるのは、アイの役目だろう。
「凛子。大好き」
ああ。私は今、幸福に満ちている。
この最高のお祭りを、私はこれから決して忘れないだろう。
わたしにユウキを、あなたにアイを 稀山 美波 @mareyama0730
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