ラ・フィエスタ

水円 岳

「よう、ホアン。生きてたか」

「まあな。運がいいんだか悪いんだかわからんが」

「いいに決まってるだろ」

「ははは。ホセは絶対にくたばらんと思ってたよ」

「何回か危ない橋を渡ったけどな」


 見渡す限り、一面瓦礫の海になってしまった田舎町。白く乾いた畑とオレンジの木以外何もない田舎町が、ここまで徹底的に破壊されるなんて思いもしなかった。まだ終戦ではなく停戦の状態だが、ほとんど人影のなくなった田舎の廃墟を攻め取ろうなんていう物好きはさすがにいないだろう。いや、いなければいいな……そういう希望的観測しか今は出来ない。


 停戦を待ってこの町に戻ってきた俺とホアンは、奇跡的に崩れていなかった町外れの食堂コメドールに潜り込み、真昼の炎暑を避けていた。ここは、俺たちがバンドを組んで生演奏を聞かせていた店だ。ステージは狭いが観客との距離が近く、酔客の突っ込みを演奏に織り込みながらモダンアレンジのトラッドを披露する。そういう晴れの場だった。


 俺たちは四人組。アコギの俺とウッドベースのホアン、パーカスのマリとアコルデオンのフリオ。電子楽器が入っていないから、どこででも演奏できるのが俺たちの強みだ。でかいホールを満杯にするような大成功は誰も望んでいなかった。バルや食堂で客と掛け合いをしながら楽しく賑やかに演奏をし、そこで飯を食い、次に何を演ろうかとわいわい盛り上がる。それが俺たちの全てであり、それ以外は何も要らなかったんだ。


 だが。のどかに淡々と過ぎるはずの日々は、いつしかどんどんきな臭くなっていった。地方自治と中央集権の間で大きく揺れる振り子は、適度に行ったり来たりしながら永続するんだろう……俺はずっと楽観していたんだが。振り子の糸が突然切れるってのは想定外だったんだ。

 素面の時には「おまえらのやり口は気に入らん」とぎすぎす言い合う間柄でも、飲む時にはみんな同じテーブルで陽気に酒を酌み交わす。俺らは、人間てのがそういう雑駁なものだと思い込んでいた。だから、振り子の糸が切れた途端に殺し合いを始めたのが信じられなかった。狂気の連鎖は瞬く間に全土に広がり、俺たちはいつ終わるともしれない血生臭い内戦に巻き込まれてしまった。


 そう言う俺たちだって流れ者の寄せ集めだよ。それぞれ出自が違う。だが、俺たちが馬鹿の盲信や愚行に付き合う義理はどこにもないんだ。俺たちは再会を約して、一時解散ということにした。状況が落ち着いたらここでまた楽しく演ろうぜ……そう誓い合って。


 一人になってからは、生き延びるだけで精一杯だった。戦火を避け、安全な場所を探して国内各地を逃げ惑った。難民として安全な国外に逃れることも考えた。だけど外に出れば二度と帰国できなくなるかもしれない。それはどうしても嫌だった。ここで四人揃って客に演奏を聞かせる日が再び来るという希望だけは、どうしても捨てたくなかったんだ。


「マリは……無事に日本に帰れたかな」


 不安そうにホアンが目を瞑る。俺も心配だよ。俺たちは、割れている勢力のどちらかが味方になる。だが、外国人はいつも敵側にしか置かれない。俺かホアンがついていてやれればよかったんだが、そうすると彼女を俺たちの巻き添えにする危険があったんだ。フリオもどうしたかな。あいつは見かけはともかく国籍が俺らと違うから、マリ同様に安全確保に苦労したはずだ。


 二人して重苦しく考え込んでいたら。かたんと音がして、閉ざしていた扉がわずかに開いた。思わず身を縮める。


「誰……だ?」


 小声でこわごわ確かめた。そいつがもし兵士なら、俺らには明日がない。それがどちらの側であってもだ。


「やほー」

「マリ!」


 声を聞きつけて飛び出していったホアンが、がっちりマリをハグして、すぐにどやした。


「危ないじゃないか! 女一人でうろうろと」

「一人じゃないもん」

「え?」

「フリオもいるよー」

「なんてえこった!」


 俺とホアンは泣き笑い。まさか、本当に四人全員無事に揃うなんて。そう思ってしまうほど、戦の間に出会った人々の心はひどく荒んでいたんだ。思わず愚痴る。


「揃ったところで、楽器もなけりゃ、客もいない。ひでえな」


 マリの横で穏やかに微笑んでいたフリオが、そろっと口を開いた。


「ホセ。そいつは明日考えよう。今は、メンバー全員が無事に揃っただけでいいじゃないか」


 俺たちの頬にキスして回ったマリが、ぱっと両腕を広げる。


「最高のお祭りっていうのは、みんながこうやって今生きてるってことよ。生きてること自体がお祭りなの」


 そう言って、手拍子を打ち始めた。ああ、そうだな。楽器はなくても手は叩ける。声は出せる。


 にっと笑ったホアンが、曲を口ずさみ始めた。


「おっ! チック・コリアのラ・フィエスタ(祝祭)だな!」

「いいねえー」


 手拍子だけでは物足りなくなって、埃っぽい床を踏み鳴らし、腹の底から声を出して再会を祝した。そうだな。明日のことは明日考えればいい。俺たちが全員ここにいること。自分たちの生を高らかに誇れること。今はそれだけでいい。


 何の気配もなかった食堂が俺たちの演奏で埋まって、その音はいつしか外に流れ出ていたらしい。どこでそれを聞きつけたのか、子供らがひょこひょこと扉の隙間から首を突っ込んで、俺たちが楽しそうに歌っているのを興味深げに見ている。


 その子たちにぱちんとウインクをして、一段と声を張り上げた。観客がいるなら、きちんと演奏しないとな。


「オラ!」



【 了 】


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ラ・フィエスタ 水円 岳 @mizomer

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