祭りの後に咲く葵の花

白石 幸知

冬に咲く葵のお話

「僕に売り子をやって欲しいの……?」

 高二の冬が始まり、そろそろ師に限らず色々な人が走り回る十二月が始まるといったころ、文芸創作部の部室でキーボードをカチャカチャいじっている僕に幼馴染の久田野はそう言った。

「うん、コミケの日、どうしても人が欲しくて……」

 ツイッターでそれなりの数のフォロワーを抱えているイラスト描きであるAoiこと久田野葵くたのあおいは、高校生になってから冬のコミケだけ同人誌を作って販売している。そしてやはりフォロワー数に見合った販売数を叩きだす。

「……僕は別に構わないけど……」

 構わないけど、僕みたいな地味男子がテーブルにいて大丈夫なの……? 不安しかないけど。

「お願いっ、打ち上げ的なやつで何か奢るし、交通費も出すからっ」

 両手を合わせ僕に頭を下げる久田野。普段から押しが強い彼女が、珍しく僕にお願いをしている。いつもはお願いと言いながらもはや強制だったりするんだけど。さすがに今回は大掛かりな移動を強いることになるからそうもいかなかったようだ。これが近所の夏祭りに行こうとかだと有無を言わさないで「行こっ?」の一言で済ませるからなあ……。

「ま、まあいいよ、年末は暇だし……。交通費もどうにかするから無理しなくていいよ。何日目だっけ?」

 さして断る理由も持っていないので、僕は引き受けることにした。

「四日目だよ」

 ……年越しは久田野と過ごすことになりそうだ。

「よろしくね、文哉ふみやっ。ありがとうっ」

 爽やかな笑みを浮かべ、彼女はホッと安心したようにそう言い、目線を僕の顔から目の前に置いているペンタブへと移動させた。また絵を描き始めたようだ。

 ……売り子、か。

 小説を描く僕にとって、色々な経験を積むに越したことはないから、全然いいのだけれど。

 ……僕でいいの? 久田野。足を引っ張っても知らないよ……?

 部室の窓先に揺れる、葉々がすっかり落ち切って丸坊主になった木の枝々を見つめつつ、僕は再びキーボードをテンポよく叩き始めた。


 迎えた三十日の正午。

 着替えをバッグに詰め込んで僕は家を出た。ダウンジャケットの袖から吹きつける冬風は冷たく、思わず両手をポケットに突っ込んでしまうほどだ。

「来た来た。じゃあ行こっ」

 先に僕の家の前に来て待っていたようだ。同じマンション隣の号室に住んでいる幼馴染は暖かそうな淡い青色のトレンチコートをふわりと揺らしてエレベーターへと歩き出す。片手にはスーツケースを引いている。

 まあ、頒布物とか持っていく関係もあるだろうし、女性の旅行って色々必要なものが多いらしいからわからなくもないけど。

「どうかした? 文哉、いつも以上に俯いちゃって」

 ごめんね、普段からネガティブで。

「いや、久田野はスーツケースで僕はリュックだなあ、なんか恥ずかしいなあって……」

 久田野は柔らかい表情をして、ポンポンと僕の肩を叩く。

「一泊ならそんなものだよ、男の子ならね」

 エレベーターを降り、彼女はガラガラとスーツケースを転がして僕の先を歩きだした。


 僕らの住む家の最寄り駅から、新幹線が通る大きな駅までは電車で一時間ほど。そこから新幹線で東京まで最速で二時間ほど。

 普段は乗る機会のない細長い新幹線のフロントノーズに少し興奮しつつ、たまに乗る普通電車より豪勢な指定席車両に乗り込む。これより豪華なグリーン車は一体どれだけ凄いのだろうと、高校生ながら考えてしまう。

「私窓側っ」

 久田野は持ち歩いたスーツケースを上の荷棚に置くと、軽く飛び込むように窓側の席に座りこむ。

「は、はしゃぎすぎだよ……久田野」

「ほら、文哉も座る座る」

 何故かテンションが高い彼女は、隣の座席をトントンと叩き、座るよう促す。

「う、うん」

 僕はリュックを足元に置き、促されるまま席に座る。あ、凄い心地いい……。普通電車のクロスシートより柔らかいし何より足を伸ばせるって最高……。これすぐに寝られそうだなあ……。

「寝たら罰ゲームだからね、文哉」

 とろけるような顔をしていたからだろうか、久田野はじっと目を細長くして僕に告げる。

「え、ええ……? ちょっぴり眠いから寝かしてよ……」

 実は、昨日の夜なかなか寝つけなかった。……そりゃあそうだよ、だって二人で遠出も遠出をするんだ。いつも通りでいられるはずがない。おかげで今の僕は油断すると瞼が落ちそうな状態だ。

「だって寝ちゃったら私が暇になるでしょ……」

 彼女は寂しそうに口をとがらせて、動き出している車窓をそっと見つめる。……え? いつの間に発車したの? 全然音していないよ? 凄くない? 新幹線。

「本とか読めばいいんじゃないでしょうか。コンセントもあるから思いのまま絵を描かれるのもよろしいかと……」

「……じ、実は今日何も本は持ってきていなくて、ペンタブもスーツケースのほうにしまっているんだよね。出すの面倒だから、話し相手いないと退屈だなあ」

 手元に置いているカバンには何を入れているんですか、なら。

「というわけで眠っちゃだめ。何か話題を提供するっ」

 久田野節というか、僕に選択の余地を与えないというか。僕の右手をぎゅっとつねって寝られないようにしつつ、綺麗な作り笑いをしているあたり本当に怖い。

「二人だけで旅行するのは、初めてだね」

 さながら眠れない拷問だ。抵抗するのも無意味と知った僕は、仕方なく適当な話の種を蒔く。

「僕はいいけど、よく久田野は親が許可してくれたね。男と二人で泊まりの旅行するなんて」

「うーん、どっちかと言うと一人で東京行った去年の冬コミよりスムーズだったよ? むしろ文哉も行くって言ったらあっさり許してくれた」

 へ、へえそうですか……ふーん。

「ほら、私の両親、文哉のこと信用してるから。婚前交──」

「その話は前にも聞いたんでいいです、へえ、それはよかったよ」

 やっぱりこの話題は止めておいたほうがよかったかも。僕の胃がもたない。

「……罰ゲーム、ホテルで同じ部屋で寝るってことにするから。よろしくね」

「はっ? ちょ、どういうこと、え?」

 恐ろしすぎて逆に眠気が覚めたよこんなの。

 僕と同じ部屋で寝るってどういうこと……?

 説明らしい説明はしてくれず、新幹線はどんどんと静かに東京へとひた走っていった。


 東京駅に着き、会場の東京ビッグサイト近くに押さえたホテルに直行。

 チェックインは久田野が済ませ、ルームキーを二本持ってロビーのソファで休んでいた僕のもとへ帰って来た。

「残念、ちゃんと二部屋予約していたみたいだね」

 軽く舌を出して僕に鍵をひとつ手渡す。

 創作あるあるだけどさ、手違いか何かで男女同じ部屋になっちゃうって。

「あ、有料放送のテレビカードは買っちゃだめだからね? 文哉」

「……買わないから安心してよ、それよりもう部屋行っていい? やっぱり眠いよ僕」

 大きなあくびを漏らし、少しだけ目に涙を浮かべてしまう。眠気がぶり返してきた。

「もう、だったら部屋で休んでいいよ? 七時くらいになったらロビーに集合。晩ご飯食べに行こ?」

「うん……それじゃあもう部屋行きます」

 自分で聞いていてもひどい緩い声だと自覚しつつ、僕はホテルの綺麗なエレベーターのボタンを押した。


 結果。お昼寝を堪能した僕は久田野のお怒り電話で目を覚ました。その日の夕飯の間、久田野の機嫌を取るのに僕は必死にならないといけなくなってしまった。

 翌日。必要な荷物を引き、僕と久田野は会場の東京ビッグサイトへ向かった。ホテルから徒歩でいける距離だったので、話題の満員電車に乗る必要はなかった。

 一般待機列の様子を見て、こんな大荷物持って電車乗ったら最後、降りられないのではとすら思った。

 サークルチケットでスムーズに会場入り。久田野が与えられたテーブルは、島の真ん中あたり。もう既に両隣のスペースには人がいて、久田野は気さくに「隣のeternal hollyhockです、今日はよろしくお願いします」と挨拶して回っている。

 コミュ強。サークル名……あ、「永遠に咲く葵」ってことね、もろ名前でした。「よろしくお願いしまーす、一緒にいらっしゃる方は……?」「あ、売り子で来た幼馴染です」

「いっ」

 いきなり首根っこ掴まれて隣に連れて来られる。

「……泉崎です、よろしくお願いします」

 挨拶をしろと暗に言われていると察した僕はぎこちなく笑いつつそう言う。

「幼馴染で来るなんて、仲が良いんですね、羨ましいなあー、よろしくお願いしますね」

「は、はは……そうですね……」

 これは、ここでも胃が痛くなりそうだ。


 設営は経験のある久田野の指示に従い、そして始まったコミケ。久田野のスペースには壁サークルほどの行列はできないものの、暇にならない程度にはお客さんがやって来た。

 なかにはスケブをお願いして来る人もいて、彼女の人気の高さを改めて思い知った。

 頒布物は六時間できっちり売り切った。なるほど、これだけ忙しかったら人手も必要ですね。


 行きよりも軽くなった荷物を持って会場を後にし、人ごみもはけている風景を僕と久田野は眺める。

「ありがとね、付き合ってくれて」

 少ししおらしく彼女は僕にお礼を言う。

「……全然。僕も楽しかったからいいよ」

 年の瀬だと言うのに、家にいないでこうしているのに変な気分はする。まるで時間が、空間が切り取られたように、特別な何かを感じる。

「……帰らないと、だね」

 言外に帰りたくないと伝えているような物言いだ。でも。

「……いいよ、来年は受験で難しいかもしれないけど、再来年以降、僕でいいなら手伝うからさ」

「本当? やった、じゃあお願いしようかなっ」

 すると彼女は態度を翻して嬉しそうに表情を崩す。わざとらしく歩幅を大きく歩き、僕の少し先で振り返る。

「……去年の冬コミより、楽しかったよ。文哉がいたから最高のお祭りだった、ありがとね、文哉」

 冬だと言うのに、そこには季節外れの葵が咲いているようにしか僕には見えなかった。寒空に浮かぶ彼女の朗らかな笑みは、僕の体温をほんの少し、上げてくれたのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

祭りの後に咲く葵の花 白石 幸知 @shiroishi_tomo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ