KAC20205「お題:どんでん返し」冬
穏やかな昼下がり、ふいにアキが尋ねた。
「未来にはまだ帰らないんですか?」
背の高い女性がそれに答える。
「思ったよりこの時代の居心地がいいので、もう少し居ようかなと」
アキが怪訝な目を向けながらなおも食い下がった。
「他に目的があるんじゃないですか?」
「安心してください。もうあなたを未来に連れて行こうとは考えていません」
「いえ、わたしではなく」
「では、誰のことを言っているのですか?」
「もう、いいです」
プイとそっぽを向くアキの横顔と、背の高い女性の澄ました表情を、ハルが交互に見やる。
アキが何を腹に据えかねているのか、幼馴染であるハルにも分からない。もっとも、未来人を自称するもう一方の女性が現代に居座る理由も彼には想像できなかった。
背の高い女性はフユカと名乗った。
彼女がハルの前に現れたのは、つい先日、世界中で同時多発的にコンピュータウイルスが広まったときだ。
ウイルスについて、テレビに映る専門家たちが「現代では考えられないような新技術」と評していたが、彼らの表現は正に的を射ていて、その正体の出所は未来からであった。
アキから聞いた話では、未来のある時点で技術的な問題が発生し、その解決のためにアキの身体が必要であり、彼女を未来に連れて行こうとしたのが未来人であるフユカ、ということらしい。
結局アキは未来には行かず現代に帰ってきたのだが、その際に未来の科学技術がこの時代に流れ込んでしまったため、こちらの世界であの世界的事件が発生したとのこと。
話を聞いた直後にはハルとしても当然信じ難かったのだが、フユカが現れ未曾有のIT危機を鎮静させたのだから、理解が及ばなくともその現実を受け止めざるを得なかった。
そして未来からのコンピュータウイルスによる騒動を収めて仕事が終わったはずのフユカが、アキとハルの顔を見比べて、しばし思案に耽った後にはたと閃いた顔をしてこう言った。
「しばらくこの時代に留まろうと思います。泊まるところがないので、ハルさんのご自宅にお邪魔してもいいですか?」
突然の発言に呆気に取られるハルとアキ。どちらかが何かを言う前に、フユカはするりとハルの隣にすり寄った。
「ねえ、いいでしょう、ハルさん?」
彼の左腕に自らの腕を絡めだすフユカ。その光景を目の当たりにして、黙ってはいないのがアキだった。
「急に何を言ってるんですか! やることは終わったのでしょう? 未来人は未来に帰ってください」
「そんないけずなことを言わないでください。未来人だって偶には過去で羽を伸ばしたくなるんです」
「そんなこと知りません。帰ってください。早く、ハル先輩から離れてください!」
フユカの胴体にしがみ付くアキに対し、軽々と抵抗するフユカ。薄い身体でどこにも筋肉が隠れていないように見えるが、未来の技術によるものだろうか。
そんな二人のてんやわんやなやり取りは、妥協案としてハルではなくアキの家にフユカが住まうこととなり帰結した。
ホームステイやら何やらの説明で、両親にも無理矢理納得してもらったらしい。
それから数日、幼馴染二人と未来人一人による奇妙な三角関係が続いているのであった。
「ハルさんは中学三年生なんですよね?」
「ああ、そうだよ。アキは一個下の中学二年だ」
「ハル先輩は成績が平凡ですから、ある意味、将来の選択肢が広いですよね」
「どういう意味だ、アキ?」
「まあまあ。そこで、ですよハルさん。ハルさんも成績は向上させたいでしょう?」
「まあ、そうだな」
「無駄ですよ、フユカさん。このわたしがいくら勉強を教えても成績は変わらず横ばいでした」
アキがどこか自慢げに語る。たしかにその通りなのだが、自分の有能さとハルの平凡さを同時にひけらかすようなアキの発言を聞いて、ハルはムッとした視線を彼女に向けた。
そんな視線を受けて、アキはどこか嬉しそうにするのだった。
そんな二人のやり取りを見て、フユカは微笑みを深める。
「それはアキさんの教え方に問題があったせいかもしれません。天才というものは得てして人にモノを教えるのが下手と聞きますし」
「わ、わたしのせいだって言うんですか!」
食って掛かるアキの顔に平手をそっと乗せ、それ以上彼女が近付けないように制御する。フユカの言動はつねにアキの一歩先をいっているように見えた。
ハルの前では完全無欠な振る舞いをするアキも、フユカの前ではどこか幼くさえ見える。
「ハルさん。わたしに勉強を教わってみませんか? こう見えて、人に物事を教えるのは得意なんです」
「はあ。でも、未来人に受験勉強を教えられますかね?」
「任せてください。なにせこっちには、未来の技術があるのですから」
ぽんと胸を叩いてフユカは断言した。
アキは恨みがましい目でフユカを、そして同時にハルをも睨んでいた。
どうしたものかと悩んでいるハルだったが、耳元で「アキさんと同じ高校に行けますよ」と囁かれたことが決定打となった。
アキの恨みはひとまず置いておいて、ハルにはその日から、未来人の家庭教師が付くこととなった。
〇
ハルにとって中学最後の夏が過ぎ、秋が暮れ、冬を越そうとしていた。
アキとは幼い頃から一緒に過ごしてきたが、彼女は自分と学年が違う。高校受験を前にして、会う機会がめっきりと減っていた。
その代わりに家庭教師としてフユカとはほぼ毎日会っていた。
最初の頃は何かと不満を垂らし、ときには邪魔すらしてきたアキだったが、段々とその怒りは鳴りを潜め、ハルの成績が上向きになってからは、彼女からハルに近付くことはなくなっていた。
〇
高校受験、当日の朝。
玄関では父と母が揃って出発を見送ってくれた。
父からは「落ち着いて挑め」という簡素な一言が、母からはお守りと見慣れた弁当箱を渡された。
玄関の扉が閉まるそのぎりぎりの瞬間まで、ハルは両親の顔を見ていた。二人の表情は、不安も心配も期待も混ぜた、親の顔だった。ハルは、自分はこの二人から生まれたのだなと、改めて実感した。
「とうとうこの日が来ましたね」
背後からは聞き慣れた声。でも、最近は聞いていなかった声。
ハルの自宅前で、アキが待っていた。
帽子と肩口に積もる雪が、彼女を一層小柄に見せた。
「見送りにきてくれたのか」
「まあ、今日くらいは見送ろうかと」
「この一年弱、構ってやれなくて済まなかったな」
「――ッ。子どもじゃないんですから、そんなことは気にしないでください」
寒さのためか、彼女の頬は林檎のように赤みがさしている。
それをからかえば「また子ども扱いして」と怒らせてしまうだろう。
「おれは寂しかったよ。オマエと遊べなくて」
「……わたしも、寂しかったです」
「おれと遊べなくて?」
「ハル先輩”で”遊べなくて、です」
アキがにっこりと無邪気に笑う。つられてハルも笑った。
笑い声は、白い息となって空に溶けていく。
「あの人、何も言わずに帰っちゃいました」
「……そうか」
ハルは驚かなかった。この数か月、フユカと接していて、何となくそういう別れ方をすると思っていたから。
「簡単な置き手紙しか残していかなかったですよ、あの人。礼儀がなってませんね。これだから未来人は」
「そうか」
「……ハル先輩には、何か言っていきましたか?」
「いや、おれには何も。手紙すらなかったよ」
それを聞いて、アキは驚きを隠せなかった。
「なんで?」
「なんでって……。最初からそのつもりだったからだろう。家庭教師としての役目は昨日まで。だから未来に帰ったんだろう」
「でも、あんなにハル先輩にくっついていたのに」
「……オマエ、本当に分かってなかったの?」
「はい?」
「フユカさんの行動は、おれに好意を寄せていたからじゃない。オマエに、やきもちを焼かせるためだ」
「え、え? 何の為に?」
アキは本当に理解できないといった表情だ。両手をあちらこちらに振り回し、自身に積もった雪が落ちていった。
「きっと、それで未来が変わるんだろうさ。フユカさんは未来の危機を回避したいと常々考えていたから。現代人たるおれ達には分からないよ」
「わたしが、やきもちを焼く。それだけで、未来が変わる? 未来の危機が、回避できる? なんで、なんで? 未来からのコンピュータウイルスで世界中が大混乱しても回避できない危機が? どうして? わたしの生体データがなければいけないんじゃなかったの?」
理解できない事柄がどんどんとアキの脳内で蓄積していった。彼女の顔は先ほどよりも紅潮し、吐く息は荒くなる。
「だから、未来のことは、俺たちには分からないって言ってるだろ? あれだ、バターエフォートってやつだ」
「それを言うならバタフライエフェクトです。……ハル先輩、受験、大丈夫ですか?」
じと目でハルを見やるアキ、そのいつもの表情が彼に安心感を抱かせる。
「大丈夫、大丈夫。おれには、未来の教えと、現代の天才が傍にあるから」
教えが上手い子孫も、と内心でハルは付け加えた。
アキの頭を撫でてやると、彼女は黙ってされるがままだった。しばしそのまま、ふいに彼女が抱きついた。
「頑張ってください。ハル先輩」
「もちろんだ。オマエと同じ高校を、ゆくゆくは同じ道を進むためだからな」
「はい。そうなることを信じています」
舞い落ちる雪が降り積もる前に、二人は身体を離した。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
ハルが雪道を歩き始める。まだ誰の足跡もないまっさらな道だ。
ハルが道をつくっていく。その足跡には数多くの人が続くだろう。
きっとアキも彼の足跡に続く。そして、いつしか二人は並んで歩むはずだ。真っ白な道を、フユに辿り着くまで。
「ハル先輩! 帰ってきたら、伝えたいことがあります!」
音を吸い込む雪景色の中で、アキの大声がハルに届いた。彼は、振り返ることなく片手を振って答えた。
ハルアキ 四万一千 @tetra_oc
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